第6話 狼を狩る獣⑥
次の日の朝。
地平線から太陽がゆっくりと姿を現した頃、ティアはいつもの横にならない独特な睡眠から覚醒すると日々の日課を淡々とこなし、セバスが扉を叩くのを万全の態勢で待った。
結局、セバスがティアの部屋を訪れたのは随分後のことだった。無論、それまでセバスは寝ていたわけではなく、自分が仕えるガルオッシュ家の一族への朝食の準備や今日の使用人たちの動きの確認、大きな屋敷に異常がないのかを見回るなど執事長としての職務を終えた後であり、扉の向こうに立っていたセバスはティアのために細やかながらも丁寧に調理された軽食を手に持っていた。
扉を開けたティアは用意された朝食をさっさと流し込むと、すぐにセバスと一緒に部屋を去った。そして、二人が目指したのはガルオッシュ家の次男エルメールの部屋であり、セバスが事前に報告していた甲斐あってか、何の苦労もなくティアはエルメールと対面することが出来た。
「狩人殿、このままの状態で話をさせてもらうがよろしいか?」
ティアを待っていたエルメールは優雅に食後の紅茶を…というわけではなく、豪勢ながらもビシッと整頓された自室の奥に設けられた書斎にて、おそらくは執務机であろう机に積まれた書類に目を通しながらちらりとティアに視線を向けそう言った。
「構いません。それでは早速お話を。昨日お兄さんの部屋を調査しましたが、やはり人狼がお兄さんを殺したことに間違いはありません」
「そう…か。それで?人狼はこの屋敷にまだ居るのか?」
「人狼はまだ必ずここに居ます。微かに臭いがするんですよ。人の皮を被った狼の臭いが…」
「臭い…?」
それは人狼を狩り続けてきた狩人の独特の言い回しなのかと自身を納得させると、エルメールは羽ペンを滑らせながら話を続ける。
「それで人狼に目星は付いたのか?」
「怪しい人物は数人います。人狼になる動機とお兄さんを殺す動機のある人物が何人か見えてきました」
「成程」
「失礼ながらエルメールさんもその一人です」
「…何?」
そこまで聞き流すようにしてティアの話を聞いていたエルメールであったが、その言葉には流石に作業を止めずにはいられなかった。手にした羽ペンをペン置きに挿し、少し身を乗り出して自分を人狼だと疑っているティアを睨むように見つめる。
「この私が…人狼だと?」
「可能性の話です。何やらお兄さんと個人的にもめていたとか」
「あぁ…やはりその話か」
こうなった以上、薄々覚悟はしていたのかティアの発言に特に驚いた様子もなくエルメールは軽く頭を抱えた。
「これは興味本位ですが、お兄さんとは何をもめていたんですか?」
「…答えたくない、と言ったら?」
「勿論、それは個人の自由です。他人の兄弟の話に首を突っ込むつもりはありません」
ティアは口ではそう軽く言っていたが、その眼は獲物を狙う猛禽類のようにじっとエルメールの動きを探っているようでもあった。
しばしの静寂。コツコツと置時計が時間を刻んだ後、悩んだ末にエルメールは大きな溜息を付いた。
「その物騒な銀の短刀で掌を刺されても敵わんからな。分かった、私と兄の話をしよう。事の発端は父、ダッチオ・ガルオッシュから始まったことだ…」
そう話を切り出すと、エルメールは懐かしそうに、そして悲しそうに自分と兄と父、そしてガルオッシュ家の話を始めた。
当たり前の話だが、銀と火の国『エギレスト』は突然パッと湧いて出来上がった国ではない。この大きな陸地にぽつぽつと点在していた人類が長い長い時間を掛けて戦いと話し合いを繰り返した結果、今のような形を形成したわけである。その中でも他者より優れ、他者を先導し、他者の上に立つ者が他者をまとめて一つの共同体を生み出し、それが国と成った時、同時にその建国に貢献した先駆者たちの一族は功績を称えられて他の国民とは区別を図るために「貴族」を名乗るようになったのである。
このガルオッシュ家もそんな功績を称えられて貴族を名乗ることを許された一族であり、現在の『エギレスト』の政治を担う8つの貴族たちと同じ血が流れていることに嘘偽りはない。だが、同じ血が流れているだけで、国を動かす程の実権があるのかと言われればそうではなかった。ガルオッシュ家の領地が国の大都市『ハインツバルグ』から遠く離れたこんな寂れた場所にあることから分かる通り、今やガルオッシュ家は“血が繋がっている”こと以外に誇れるものはない、言わば“過去の栄光”に縋る有様であった。
その許し難き事実を打破するためにも奮起したのが、エルメールやジラモランたちの父、ダッチオだった。
ダッチオは他の7つの貴族たちとは違い無駄に威張ることなく、自ら領地を歩き、領民を気遣い、領土を豊かにするよう努力してきた。また、それだけでなく隣国、血と魔導の国『フェアトレーク』との間で勃発した戦争においても目覚ましい活躍を果たし、一代にしてガルオッシュ家を盛り上げていった。そんな父の姿に感化されてエルメールやアルフレックも貴族でありながらも軍人という道を進むべきだと志し、父を支えることでガルオッシュ家を建て直そうと必死になっていた。
しかし、そこで悲劇が起きてしまう。
十数年前、『エギレスト』に人狼問題が発生する直前の『フェアトレーク』との戦争において、ダッチオは戦死してしまったのだ。志半ばにしてガルオッシュ家は当主を失い、その勢いは見る見るうちに減退してしまった。しかも、それに追い打ちを掛けるかのように次期当主に選ばれたジラモランという男は到底ガルオッシュ家を背負って立てる器ではなく、ダッチオが生涯を捧げて築いた功績は彼の死と共に崩れ去ってしまったのである。
そして、そんな一族の光であったダッチオの死を発端として、長男ジラモランと次男エルメールの仲は最悪を極めていった。
父が亡くなった後も何とか必死になってガルオッシュ家を支えようと奮闘するエルメールに対し、形だけの当主であるジラモランは高級品と女遊びに夢中の典型的な貴族のままであった。それに腹を立て幾度の兄弟喧嘩を繰り返した結果、ジラモランは悠々自適な生活を保証される代わりに当主としての座をエルメールに譲ることとなった。元より地位などどうでも良かったジラモランは、逆に面倒なことを弟が全て背負い込んでくれたと開き直り、そうしてこの豪勢な屋敷に閉じこもるようになったというわけだ。
だが、そんな自堕落な彼も父の後を追って亡き人となった。彼自身もこんな形で父の後など追いたくなかったであろうが…。
「…とまぁ、私と兄の話はこんなところだ。確かに他の者たちが噂するように、私には兄を殺したい程の動機がある。それは否定できない」
「……」
ガルオッシュ家の政治的な立場と、自分と兄との関係が如何なるものであったのかを淡々と述べたエルメール。しかし、その瞳には兄の死を嘆く色は無かった。
「何を言っても私に対する狩人殿の疑いが晴れるとは思わない。…だが、1つだけ言っておきたい」
「…何でしょう?」
「…私なら、この手で兄を殺す。面と向かい、剣を取り、正しく兄を殺す。わざわざ人狼になることなく、私は人のまま、弟として兄を殺したであろうよ…」
幾度となく死線を潜り抜けてきたティアには本物の殺気と言うものは肌で感じることができる。だから、今エルメールが発した言葉が虚心なのか本心なのかはティアにはすぐに分かった。それだけを確認できるとどうしてか満足そうな顔をし、最後に軽い挨拶をしてその場を立ち去った。
「最後は残った弟二人か…」
エルメールの書斎を出たティアは早速セバスに連れられて次の部屋へと向かっていた。残るは三男アルフレックと四男フレジオ、それに数名の使用人。彼らから話を聞いて、ティアはその内の一人から人狼を見つけ、その卑しき獣に銀の弾丸を打ち込まなければならない。
だが、彼の心に不安という弱さは一欠けらも無かった。
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