恋と呼ぶには切なくて 愛と呼ぶには儚くて

天倉 天地

第1話 再会

「遥?」

 季節は秋口。気温はすっかり涼しく、日の当たりも柔らかい夕暮れ時。会社帰りに駅前のスーパーで食材を買い込む私の名前を呼ぶ声があった。瞬間、過去の記憶が頭の中で閃光のように弾けた。初めて覚えた胸の高鳴り、彼女の笑顔、手のひらの温度、二人で過ごした甘やかな日々、胸を締め付ける痛み、口内に広がる別離の苦味。溢れ出して、収束し、現在に戻る。聞き覚えのある声だ。柔らかさと、凛とした強さが同居する、懐かしい響き。聞き間違えるはずがない。

 右を向くと、買い物カートを伴った一人の女性が立っていた。肩甲骨の長さまであった黒髪はばっさりと切られ、肩の上でわずかに揺れている。艶めいた薄桃色の唇、少し目尻の下がった眠たそうな瞳。白いシャツにベージュのカーディガンを羽織り、ジーンズを合わせたラフな服装は、昔の彼女なら絶対にしなかった格好だけど、今の彼女にはとても似合っていた。当時のあどけなさは鳴りを潜め、すっかり大人びた……違う、所帯じみた雰囲気をまとっていた。でも面影がある。間違えるはずがない。

「小夜……」

 さ。や。十二年ぶりに、その名前を発音する。少し肌寒い生鮮食品売り場での、なんとも色気のない再会だった。

「久しぶり。もう何年会ってないっけ」

「十二年だね」

 正確には十二年と八ヶ月だ。小夜との思い出は全て鮮明だ。最後に会った日のことも、今でもはっきりと、まるで昨日のことのように思い出せる。

「十二年かぁ。そりゃお互い年もとるよね」

「いいじゃん、小夜は。若々しくてさ」

 それに、相変わらず可愛かった。昔から美人なのに子供っぽくて、綺麗というより可愛い子だった。ふわふわしたわたあめみたいな子だった。あどけなさが抜けて、落ち着いた雰囲気をまとった今でも、芯にあるものは変わっていない。自分の気が緩んでいるのが分かり、引き締め直した。

「遥だって、ずっと綺麗だよ。でも、ちょっと疲れてる?」

「元気だよ。小夜は元気?」

 何でもないといった風に少し首を傾けて、やや笑みを浮かべながら尋ねる。もう二度と会わないつもりだった。でも、いつかばったり出会ってしまうんじゃないかとも思っていた。だから小夜と再会した時、どんな風に振る舞えばいいのか、いつも考えていた。でも仕事帰りの再会は、できれば避けたいパターンだった。年季の入ったパンツスーツ姿を、仕事終わりのくたびれた私を見られたくなかった。気にしすぎだろうか。内心動揺していたが、努めて冷静に振る舞えていると思う。多分。

「元気元気。毎日主婦やってますよ」

 そう言ってにっこり笑いながら、片腕でガッツポーズをとる小夜の左薬指に、結婚指輪が控えめに鎮座している。そのきらめきが、私の胸をちくりと刺した。彼女の笑顔を見ていると、十二年前どころか初めて会った時から何も変わっていないように思えた。十二年なんて月日、まるで経っていないかのように。でもそんなわけがなかった。

「遥は仕事終わり? いつもここで買い物してるの?」

「定時で上がれた日はね。この時間になると値引きが始まるし」

「わかる。早い時間よりこっちの方がお得だよね。人も少ないし」

 せかせかと動く買い物客を尻目に他愛無い会話を続ける私たちは、周囲からどのように見えているのだろう。微笑ましく見えるのだろうか。それとも買い物の邪魔だと思われているのだろうか。決して見た目通りのほがらかな状況ではないと、見破れる人が果たしているのだろうか。

 初めて来たスーパーじゃない。買い物する時間もいつもと同じだ。何故今日、小夜に出会ってしまったのだろう。お互いに気付くことなく、これまでもすれ違っていたのだろうか。それとも、小夜はとっくに気付いていて、今日意を決して私に声をかけたのだろうか。そんな風には見えないし、そんな遠回しなことをする子でもない。

「ねえ。遥は今日、夕食は?」

「特に考えてないよ。その辺で食べてもいいし、帰ってから作ってもいいし」

 どうしてそんなことを聞くんだろうと思った。と同時に「まさか……」という思いもあった。いや、そんなはずはないと身構えていると、

「じゃあ一緒に食べない?」

 ……少しだけ、思考が凍った。多分、一瞬。一秒くらい。

「いいけど、ご家族はいいの?」

「旦那は出張中で、子どもはうちの実家でお泊りしてるの。今日は外食しようと思ってたんだけど、遥、付き合ってよ」

 そう言って昔と同じ笑顔で小夜が私を見つめる。正直混乱している。何にかといえばすべてにだ。

 十二年ぶりに小夜と再会したこと。

 何事もなかったかのように小夜が普通に話しかけてくること。

 彼女が結婚していると、改めて認識したこと。

 夕食に誘われたこと。

 何を考えているのか分からない。

 私が小夜との関係を一方的に絶ってから、もう十二年も経っているのに。

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