ハニーウィッチ・ユーフォリア

最近

第1話「私のものになりなさい」




 はじめての口づけは死の味がした。

 血の味、それは命の熱さ。

 鉄の味、それは鋼の冷たさ。


「これは契約。あの子を死なせたくないなら協力して」


 深い森の中。悪夢と屍と血に塗れた戦場で二人の少女が向かい合う。

 円を描く茸の陣、悪意を阻む妖精の環の中心で、鎖を無造作に引く。

 相手を縛る首輪が引かれ、厭わしいはずだった顔が間近に迫る。

 時間が無かった。余裕も、退路も、あったはずの自分さえ。


「私のものになりなさい」


 それは命令でさえなく、ただの脅迫に等しい。

 だとしても、その手を取らなければ大切なものは確実に失われるだろう。

 荒れ狂う炎と激痛よりも強く、感情が迸る。

 それはきっと相手も同じだ。

 見つめ合う。互いの瞳に映し出された自分の姿、そこにありったけの憎しみを込めて。


「いいでしょう」


「契約成立ね。それじゃあよろしく、『お姉さま』」


 奴隷の鎖が強く引かれる。

 再びの口づけ。儀式めいた手続き。

 重なり合う二人の影と、響き合う心が紡ぐ言葉はただひとつ。

 この女が、どうか地獄に落ちますように。




 木々が焼ける。全てを包み込むような緑が、鮮烈な赤に染め上げられていく。

 森には死が満ちていた。血と炎が草木を押しのけ、物言わぬ屍が土の上に倒れ伏す。

 立ち込める臭気と熱気。悲鳴、怒号、己を鼓舞する雄叫び。

 男たちが槍や剣を手に戦場を駆けていく。


「怯むな、魔獣どもに知恵はない! 自走障壁を囮にして側面から叩け!」


 壮年の男が指揮杖を振るいながら檄を飛ばす。年若い少年までもが含まれる兵士たちは震えながら前進した。彼らの前に立ちはだかるのは、見上げるような怪物たちだ。

 悪魔じみた石像が矢を弾きながら突進する。二足歩行の巨大な狼が鋭い爪で鎧を引き裂く。樹上から枝を押しつぶしながら大蜘蛛が現れ、その糸で槍や剣を絡め取る。


 魔獣。異形の怪物たちはそう呼ばれていた。恐るべき魔獣は逃げ遅れたと火を恐れて逃げ惑う猪を踏みつぶし、大きな熊を無造作に貪る。人にとって脅威となる森の害獣さえも魔獣にとっては餌に過ぎない。


 戦士たちは果敢に魔獣に挑みかかる。男たちが手にする剣や槍の刃が神秘的な燐光を放ちながら宙を裂いた。それらが持つ役割はただ斬り裂き、貫くのみではない。

 刀身を覆う炎。刺突と同時に炸裂する稲妻。射出されていく氷の刃。

 超常の現象を引き起こす神秘の武装が猛威を振るう。

 しかし。


「駄目です、遺物による攻撃が通じません!」


「こいつら普通の魔獣じゃないぞ、みんな距離を、うわあああ!」


 剣や槍は頑強な肉体には傷ひとつつけられていない。圧倒的な巨体から繰り出される暴力が脆弱な人の群れをたやすく蹴散らしていく。かろうじて維持できていた前線の士気はもはや崩壊寸前だった。


「突撃爆雷はもう無いんですよ! 撤退すべきです!」


「ならん! 応援が来るまでこの場はなんとしても死守せっ」


 指揮官の悲鳴のような叫びが不意に途切れた。

 上空から舞い降りた有翼の魔獣。鳥と獣を混ぜこぜにしたかのような怪物が男を強襲し、地面に叩きつけたのだ。戦士たちの表情が絶望に染まる。全滅という単語が彼らの意識を埋め尽くそうとしたその時だった。

 

 空から、槍が降り注ぐ。

 雨のように大地に叩きつけられた無数の槍と矛。それらは白く発光しながら魔獣たちを取り囲み、移動を妨げる柵となった。

 魔獣たちは牙を剥き出しにしながらじりじりと後退し、円を描く柵の中心に追い詰められていく。まるで刃の柵を恐れるかのように。

 状況の変化に戸惑う戦士たちの背後から、涼やかな声が響く。


「拘束完了。みんな、配置について。場が染まり次第、封印を開始します」


 誰もが呼吸を忘れ、その少女を凝視していた。

 つくりものめいた造形。息遣いが想像できないほど華奢で人形じみた輪郭。

 あおぐろい左右非対称のショートヘアに温度はなく、蒼玉の瞳に柔らかさはない。

 白を基調とした学生服には戦場であっても汚れひとつなく、黒い膝丈の箱ひだボックスプリーツスカートにはわずかな乱れも見られない。徹底的なまでの存在の整い方が、一層この少女の場違いな異物感を強調するようだった。


元型アーキタイプは?」


「いずれもシャドウ、惰性型です。邪石像ガーゴイル妖犬ワーグ妖蜘蛛フィシリ、それから一体だけ大型の有翼獣グリフォン。中隊規模では難しい相手ですね」


 超然とした雰囲気の少女に気を取られていた戦士たちは、彼女に続いて数人の少女たちが現れて魔獣を取り囲んでいくのに気づいた。揃いの服装からいずれも学生とわかる。リーダー格と思しき少女のすぐそばで状況を分析する小柄な姿は後輩だろうか。細いリボンが似合う可愛らしい少女を、リーダーらしき上級生が何気ない仕草で頭を撫でる。小さな方はくすぐったそうに身をよじった。


銀舌士ぎんぜつしの賛歌無しでよく持ちこたえたものです。リリー、彼らの治療を」


「はい、お姉さま」


 リリーと呼ばれた小柄な少女が手を前にかざす。髪を飾っていたリボンをするりとほどくと、それは見た目からは信じられないほど伸びていく。するすると広がっていくリボンは幾重にも分かれ、包帯のように形を変えて負傷者たちの傷口をやわらかく包み込む。

 直後、驚愕と安堵の声が漏れる。神秘の力が怪我人たちの傷を癒しているのだ。


「治療しながらで構いません。方呪の構築補助をお願いします。あなたならできますよね、リリーフォリア・フォン・フォルクロア?」


「もちろんです。私、お姉さまの期待に応えてみせます!」


 仲の良い姉妹のように戦場に現れた少女たち。

 二人を中心に広がった学生たちは鉄柵に囚われた魔獣たちを見据え、掌を向ける。

 少女たちの指先から広がった光の線が無数に折り重なって複雑な図形を形作る。

 幾何学的な美、それは無機質なようでいて花のような自然の美を感じさせる神秘。

 輝きは花の中心に向かって収束し、やがて消失する。


 呆然と成り行きを見守っていた戦士たちは気づく。恐るべき脅威であったはず魔獣たちが忽然と姿を消していることに。かわりにそこにあったのは、魔獣たちと同じ数だけの中空に浮かぶ球状の発光体だった。リーダー格の少女が手を翳したまま小さく呟く。


「封印完了。遺物の再定義を実行。命名、『邪石の槍』、『孤犬の爪』、『天糸の鎌』、『翼王の大剣』」


 呪文めいた言葉に命じられたように、魔獣と入れ替わりに現れた光の球体がその姿を変えていく。石で出来た槍、禍々しい鉤爪、虫の節足さながらの大鎌。

 異形の武器が構築されていく光景に男たちは感嘆のため息を漏らした。


「これが封術士。遺物を創造する力の担い手か」


 遺物アーティファクト。それは旧時代の遺跡から発掘された至宝。

 人に牙を剥く魔獣に対抗できる神秘の武装である。

 遺物を手に戦うのが男たちの役割だったが、この少女たちが持つ力はそれとは性質を異にする。彼女たちは千年前の技術を現代に蘇らせ、遺物を創造するための『封術』を行使する『封術士』なのだ。


 魔獣という人智を超えた脅威を封じ込め、その神秘なる力を抽出し、武器として加工する。彼女たちのおかげで新たな遺物が生まれ、戦士たちは戦うための力を得て前線に赴くことができる。知識として知っていた重要な人材の仕事ぶりを間近で目にした男たちは感嘆のため息を吐いた。しかし。


「やはり、大型の封印はそう上手くはいきませんね」


 遺物になる寸前に見えた球体、その最後のひとつが突如として膨張し、はじけ飛ぶ。

 光の牢獄から強引に抜け出したのは最も巨大な有翼の魔獣だった。

 騒然となる戦士たちの前に進み出た少女は落ち着き払って告げる。


「魔獣を弱らせて再封印を試みます。皆さんは退避して下さい」


 涼やかな微笑み。窮地を救われた男たちの一人が毅然として反論した。


「いや、あとは我らに任せてくれ! 本来、封術士の役割は弱った魔獣の捕獲と封印による遺物生成。前に出て戦うのは我々の使命だ!」


「いえ、本当にすぐ終わるので大丈夫ですよ。それに遺物の神秘力が通じない相手なのでしょう? 皆さんを危険に晒すわけにはいきません」


「は? いやしかし、危険なのはあなたも同じでは」


「ええ、ですから」


 一歩。無造作に踏み出した少女の動き。

 その歩みひとつだけで、巨大な魔獣が悲痛な鳴き声を上げた。

 戦士たちはようやく気づいた。ただなすがままにされていた怪物の尋常ならざる怯え、その原因が何であったのかに。


 生気のない貌。命なき人形の相。

 少女は死だった。

 全ての熱を奪う冷たい刃の輝き。優れた武具は美術品としての価値を持つ。死をもたらすものは、時として寒気がするような感動を見るものに与える。


 そして感嘆とは、時として劇的で見事な終焉に対しても向けられる感情だ。

 高く掲げられた指先、妖しく輝く指輪の光が遥かな頭上へと昇ると、円を描く光の向こう側から無数の何かが押し寄せてきた。

 上空を天蓋のように覆う槍、大地からせり上がってくる剣矛、森の枝葉をかき分けて包囲を狭めてくる鉄槌。

 天地を覆うおびただしい数の遺物、その威容。


「私の遺物、数だけはあるので。投げて降らせれば重さだけで片付きます」


 そのひとつひとつが戦士たちが手にしている神秘の力を持った武装と同等以上の威力を宿している。ただひとりで軍勢をも凌駕する武力。その異質さに誰もが息をのむ。

 ほっそりとした手が振り下ろされる。指揮官の号令は常に死の合図だ。

 それをもたらすのが美しい少女であろうとも、生と死は平等に与えられる。


 質量が降り注ぐ。

 重く、硬く、神秘など関係のない純粋な鉄塊の暴力が魔獣に襲い掛かった。

 全てを叩き潰す鋼鉄の豪雨、吹き荒れる武器の嵐は木々をなぎ倒し、土と草木を根こそぎにしながら緑を焼く炎ごと片端から吹き消していく。

 肉片さえ残らない。流血は土砂に沈み、無数の白銀が山となり赤を、緑を、全ての自然な色彩を輝きで覆い隠した。


「あ」


 少女は目を瞬かせた。長い睫毛が目立つ、ゆっくりとしたまばたきだった。


「いけない。一割程度に留めたつもりだったのですが、やりすぎてしまったようです」


 常軌を逸した暴力。圧倒的な殺戮を前にして戦士たちは言葉もない。

 少女の形をした死。魔獣よりも恐るべき存在を前にして誰も何も口にできなかった。

 そんな中、同じ封術士であるらしき仲間の女学生たちだけは平然と少女に駆け寄って口々に彼女を誉めそやしていた。


「流石はユーネクタお姉さまです!」


 肉片と化した魔獣の成れの果てに封印を試みる少女。その姿を呆然と見ながら、傷ついた男たちのひとりがふと思い出したように呟いた。


「そういえば、聞いたことがある。今の『学院』の封術専科に、世界最強と呼ばれている遺物使いがいると」


「封術専科に? 本科じゃないのか?」


 隣にいた男が怪訝そうに問いかける。この世界の戦士たちはそのほとんどが『学院』とよばれる施設で訓練を受けてから戦場に赴く。彼らもまた少年時代はその場所で過ごした卒業生である。


「ああ。きっとあそこにいる女の子がそうだ」


「遺物使いであり封術士でもあるってことか。そりゃすごい。天なる聖神は彼女に二物を与えたってわけだな」


「いや、賜り物ギフトは三つだ。聖神ユネクティアに愛された彼女の名前は、たしか『ユーネクタ』と言うらしいからな」


 女性名ユーネクタ、あるいは男性名ユネクトというのは最大の世界宗教を信じる敬虔なユネクト聖教徒にはよくある名前でしかない。しかしその圧倒的な力を目にした後では、神の威光を体現する神聖な名のように感じられた。


 一方、少女たちの集団は敵を掃討した後も油断なく周囲の警戒にあたっていた。封術士部隊の隊長であるユーネクタは最後の魔獣を封印し、遺物を生成しながらも何事かを思案しているようだった。


「妙な魔獣でした。遺物を無効化する能力もですが、群れの規模に反して魔獣が強すぎる。こんな前線から離れた場所で何を? 偵察にしては妙な感じが、あら?」


 それを見つけたのは隊員のひとりだった。

 ユーネクタによる遺物の爆撃。あらゆるものが原型を留めずに破壊されつくした中で、たったひとつだけ無傷のまま魔獣だった肉塊の影に隠されていた何か。


「特殊な遺物でしょうか? 何かを護送していた? 危険かもしれません。私が調べます。全員、距離をとって封術の準備だけして下さい」


 ユーネクタが近づいて覗き込む。それは巨大な箱だった。

 あるいは、こう形容する方が適切かもしれない。

 棺。死者を包み込む器と。

 遺物の扱いに熟達した封術士は目を眇めてじっと棺を観察し、やがて呟く。


「起きているでしょう? 出てきなさい」


 命令は冷ややかに響いた。

 やがて、恐る恐るといった感じで蓋が開く。

 棺から現れたのはひとりの少女だった。橙色の光を宿す瞳に、しなやかな野狐を思わせる可憐な民族衣装。蜂蜜のような濃い黄色の髪が肩に流れる。

 

 金細工のイヤーカフに飾られた耳は長くほっそりとしている。妖精エルフ族と呼ばれる種族に見られる身体的特徴をユーネクタはじっと見つめた。

 悪しき魔獣に捕らわれていた少女の救出劇。

 だが華々しい勝利の場面としてはあまりにも静かに過ぎた。エルフの少女は怯え、絶望に瞳を曇らせている。それは目の前に立つ救い主が魔獣よりも恐ろしい死の具現であるのだと正確に理解しているためか。それとも。


「なるほど、これは意外な収穫です」


 温度の無い、刃のような声音だった。

 エルフの少女は凍り付いたように身を縮こまらせ、浅い息を何度も吐き出している。

 死刑宣告を待つ罪人のように、破滅を目前にした前線の兵士のように。


 ところで、この世界にはある社会通念が存在していた。

 世界の存亡を巡って争う生物種は大きく分けて四つ。

 文明社会を滅ぼさんとする邪悪の化身『魔人ロマンカインド』。

 その手足となって殺戮の限りを尽くす邪神の仔ら、『魔獣ビースト』。


 それに抗うは、世界を守護する遺物の担い手『貴族ブルーブラッド』。

 そして、貴族に従属する定めの『亜人デミヒューマン』である。

 亜人は『正統なる人類ブルーブラッド』の下位種であり、特有の身体的特徴を持った『遺物を扱えぬ弱卒』とされていた。


 戦場では傷を癒された戦士階級の貴族たちが肩を組み、互いの無事を喜び生存の喜びを噛みしめている。封術士たちの救援によって幸い人的被害は最小限で済んだのだ。

 大きく損耗したのは使い捨ての『自走障壁』や『突撃爆雷』と呼ばれる兵器であり、替えの利くそれらが失われたことを惜しむ者はいない。


 棺の中にいた妖精、橙の瞳から涙を流す少女を除いては。

 頼りない盾ひとつを持たされて矢面に立たされていた『自走障壁』は魔獣の爪に引き裂かれて屍の山を築いている。爆薬を持たされて突撃を命じられた『突撃爆雷』たちは大した成果も上げられずに焼け焦げた姿で捨て置かれている。

 それらの耳は、棺の少女と同じように長かった。


「私の名はユーネクタ・ドゥクス・オブ・スペアミント。突然だけどあなた、私のものになりなさい」


 有無を言わせぬ命令に、妖精の少女は震えながら頷く。

 それがはじまり。

 これは屍の上に立つ少女たちの、支配と従属の物語だ。




 世界を脅かす邪神が滅びてから千年。生き残った邪神の眷属、魔人族との戦いの最前線を担うのは大陸に散らばる六つの学院で養成された戦士たち。彼らは『遺物』と呼ばれる神秘の武器を手に、世界の敵である魔人族とそのしもべである魔獣たちと戦っていた。


 六学院のひとつ、諸族連合戦士養成校・通称『フォルクロア』。

 この物語の主役は勇ましき『遺物使い』の戦士たちではない。

 強力な遺物で戦う英雄たちを養成する本科とは別に、『封術専科』という学科が存在する。そこは女性だけが扱える『封術』によって神秘を『象る』方法を教える専門課程。そこで学ぶ少女たちは『封術士』と呼ばれ、『新しい遺物を作り出す存在』として人々から敬意を払われていた。


  ある時は遺物の創造を。またある時は遺物を手に戦う強く気高い華たち。

 人は彼女たちが集う学び舎を『フォルクロアの花園』と呼んだ。

 伝承に謳われる理想郷への夢と憧憬、希望と願いを込めて。



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