いなりの日


 ~ 六月十七日(木) いなりの日 ~

 ※浮石沈木ふせきちんぼく

  みんなが適当に話した信憑性のない

  事柄が、道理を越えて力を持つこと。




 昨日の大事件。

 そのタイトル。


 『シャーペンは三度消える』


 この物語での。

 被害者は誰かと問われれば。


「キツネ乗せられてたとこが、まだいてえ……」

「え? 重かった……、の?」

「いや、断じて違う。これはただのアレルギーだ」

「キツネアレルギー?」

「……石の」


 結局、シャーペンは普通に委員長のペンケースから出て来たから。

 被害者は、たったの一名。


「まったく……」


 盗難事件ではなく。

 別の傷害事件が生まれただけ。


 なんとも俺泣かせなバッドエンド。


 と、いうことで。

 お口直しに。


 別の謎に挑もうと思って。

 やってきたのは飼育部の部室小屋。


「なるほど。プレハブになってるのか」


 飼育棟の向かいに据えられた簡素な建物に。

 随分と歴史を感じる『飼育部』の木製看板。


「部屋の中には鳥籠がいくつかあって、オウムとインコとカナリアはここで飼っているんです」


 そう説明してくれるのは。

 クラスメイトの飼育部員。


 いつものように。

 萌え袖から覗く細い指先をいじりながら。

 おどおどと上目遣いに俺を見上げるのは。


 灰汁と押しの強いメンバーばかりに囲まれる中。

 『我がクラス唯一の癒し姫』。

 あるいは『僕らの可憐なる乙女』と称される。


 出席番号三番。

 伊藤くん。


「伊藤君って、後輩にも敬語なんだってね」

「この方が、お話ししやすいので……」


 申し訳なさそうに肩をすくめるその姿。


 ううん。

 相変わらず可憐だ。


 そんな乙女くんを、女らしさの師匠と呼んで。

 いつも観察しながら行動を真似するこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 カーディガンの袖を引っ張って。

 萌え袖作ろうとしてるけど。


「く……。悔しい……」

「間違えて春姫ちゃんのカーディガン着てきた時点でお前の負けだ」


 七分丈でどうしようってんだ。


 あと。

 背中にお稲荷さん背負った乙女はいねえ。


 ……昨日、散々叱ったからな。

 秋乃は、心から反省してくれたようだ。


 お稲荷さんをピッカピカにして。

 一体一体、元の場所へ帰してあげていたようだが。


「あれだけ持ってきて。違う場所に行っちゃった子、いねえのか?」

「あ、あんま自信ない……」


 やれやれ。

 困ったやつだ。


「さあ、どうぞ」


 伊藤君。

 心の中ではもちろん、乙女くんと呼んでいるわけなんだが。


 部室の鍵を開けてくれた彼に。

 促されるまま中に入ると。


 綺麗に整頓されたプレハブの中に下がる。

 五つほどの鳥籠が目に入る。


「ここの籠で飼っていたんです」


 そんな中。

 一つだけ、空になっている鳥籠のそば。


 開きっぱなしの窓から吹き込む風が。

 ベージュのカーテンを揺らしていた。



 ……さて。

 こいつは初級問題。


 お集りの皆様には、この謎が解けただろうか。


 探偵助手としては。

 気にせずにはいられぬ違和感。



「窓にカギはどうした。開けっぱなしなのか?」

「そこの窓はいつも開けっぱなしですね……。でも、ドアのカギはしめるようにしているんです」


 意味ねえじゃん。


 でも、それなら断然。

 外部の人間が怪しくなったな。


「誰かが外から籠を開いたのかもな。手、余裕で届くし」

「可能性はありますけど、そのようなことをする方がいらっしゃるとは思えません……」


 乙女くんらしい物言いだが。

 そんなことする奴はごまんといる。


 ちょっとした出来心か。

 それとも、もっとひどい悪意によるものか。


 カーテンを開けて。

 窓枠の様子を確認すると。


 レールに詰まった土が。

 ここしばらくの間、窓が閉じられていないことを物語る。


 そして窓から顔を出して。

 左を向くと。


 身長よりちょっと小さな。

 年季の入った社が一つ。


「……秋乃」

「へい」


 随分殊勝に言うことを聞いた秋乃が。

 おんぶ紐を外してお稲荷さんを一旦床に置いてから。


 丁寧に胸に抱いて。

 扉から出て行った。


「舞浜さんが背負っていたのは、ここのキツネさんだったんですね?」

「なんだか、いろんな御利益があるみたいだな、こいつ」


 昨日聞いた話では。

 悪いとこ治すとか。

 マッチョがどうとか。


 プレハブをぐるっと回って。

 社にお稲荷さんをおさめる秋乃を見下ろしていると。


 乙女くんから。

 実に乙女らしい言葉が返って来る。


「そうみたいですね。恋愛成就に、とっても御利益があるらしいですよ?」

「何でもありだな!? どんな歴史があるんだ、こいつに?」

「歴史ですか? 二年前の卒業制作らしいですよ?」

「歴史、ねえ!」


 キャラクターコラボお守り感覚かよ!

 一体お前らは何に祈ってるんだ?


「でも皆さん、このキツネさんにお願いしたら恋が叶ったとか噂し合っていて。今でもたまに、お願いしてる方がいらっしゃいますよ?」

「確証バイアスだ。二年の間にうまくいった例が一件でもあったらそうなるわな」


 乙女くんはきょとんとしてるけど。

 人は誰でも自分に都合のいい情報が輝いて見えるもんなんだよ。


 例えば成功例を一件聞いて、不成功例を五件聞いたって。

 『叶うかもしれない』どころか。

 『きっと叶う』って感じるもんなんだ。


「え? それじゃ、御利益無いんですか?」

「ただの偶然だろ」

「ど、どうしよ……」


 乙女くんは、指先を口元にあてて。

 急に悲しそうな顔をする。


「なんだ? 何かマズイのか?」

「安西さんと五十嵐さんと、恋バナしていた時に、ここを紹介しちゃった……」


 恋バナ?

 委員長は、ギリギリあるかもしれんが。

 メイジには似合わねえな。


 むしろ、一番似合うのが乙女くんという怪奇現象。


「なんだ、そんな事か。気にしないでいいよ」

「なんで?」

「もし失敗したとしても伊藤君のせいにはしない。単に、お稲荷さんのせいにするだけだ」


 それならよかったと。

 胸を撫でおろす乙女くん。


 ほんと、言動ばかりか考え方まで乙女だな、お前。


 しかし、委員長かメイジの好きな人……。

 気になるな。


「……お稲荷さん?」

「ん?」


 窓の外とは言え、すぐ目の前。

 秋乃にも、今の話が聞こえたようだ。


 でも。

 今の話の、なにが引っ掛かったんだお前。


 まさか。

 恋が叶うって話が気になったとか…………。


「お、お昼に食べたの……、これ?」

「乙女、零点」


 なんでなのとか膨れられても。

 色気のある話は完全スルーだし常識知らずだし。


「面倒だなお前は。お稲荷さんを俵型に切って甘じょっぱく煮込んだのが、お昼にお前に食わせてやったお稲荷さんだ」

「な、なるほど……。ゼンマイと一緒のパターン……」


 なにそれ。

 ……ああ、ゼンマイ炊いたやつをゼンマイだって食わせたことあったっけ。


「お稲荷さん……、美味しかった……」

「ああ、すぐにまた作ってやる」

「…………じゅるり」

「乙女、マイナス五十点」


 もちろん、また作るって話は。

 優しさからの発言じゃねえ。


 俺が食いたかったのに。

 全部食われちまったせい。


「それより、調査はどうした」

「完璧……。ここから籠に手が届くから……」


 そう言いながら。

 秋乃は籠を開いてみせたんだが。


「…………届いたところで、どうして逃がしたの?」

「それを探るのがあなたのお仕事」


 助手にびしっと敬礼した所長が。

 いつもの虫眼鏡を片手に調査を開始したが。


 俺は、とある可能性に気が付いて。

 慌てて秋乃の調査をやめさせた。


「待て所長! 今すぐそこから離れろ!」


 だが、一歩遅かったようだ。


 秋乃は、口を両手で押さえて。

 涙目になって後ずさる。


 なんてこった。

 俺ともあろうものが。


 秋乃が酷い光景を見ちまうのを。

 止めることが出来なかったなんて。



 最も可能性が高いのは。

 愉快犯による犯行。


 そして、誰かが大切にしているペットを。

 逃がしちまうような奴だ。


 そんな犯人が。

 次に考えることと言えば……。


「秋乃!!!」


 乙女くんと共に部室を飛び出して。

 よろめく秋乃の元へと走る。


 そして、覚悟を決めて。

 社の裏を覗き込んでみたら。



 オウムの死骸が……。



 いや?

 無い。


 どこにもない。



「…………ん? お前、何を見たんだ?」


 首を左右に振ってても。

 それじゃわからんぞ。


 仕方が無いから自分で調べてみれば。


 お稲荷さんの耳が。

 何かで光ってる。




 くまなく磨いたばかりのお稲荷さんについた。



 …………謎の液体。




「うわっ!?」



 背筋も凍るような現象に。

 思わず尻餅をついて後ずさる。


 そして、歯の根も合わない程怯えた俺の耳に。

 ようやく口を開いた秋乃の声が届いた。



「…………生食、不可」

「うはははははははははははは!!! 乙女、マイナス百点!」



 しょうがねえな。

 そこまで気に入ったなら。


 明日は、たっぷり作ってやるか。

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