第30話 大きな買い物

 一般的に介護業界このぎょうかいは、休みが少ない。もちろん他業界でも少ないところもあるかもしれないが、お盆やお正月もなく、ゴールデンウィークや夏休みなんて、もってのほかだ。テレビでは賃金アップだの言っているが、給料が上がる気配すらない。どこかの偉い人が6000円アップが妥当と言ったとか言ってないとか。一桁間違えてないか?

 あ、冒頭から単なる愚痴で申し訳ない。


「ひーちゃん、さっきから何ぶつぶつ言ってるの?」

「ううん何でもないよ」

「今日はどうする?」

「あぁ、午後は用事があるんだよね」

「そっか、なら今から買い物がてらお散歩しない?」

「いいねぇ、今は金木犀の香りがするよね」

「そうそう、どこに咲いてるか探しちゃうよね」



「ねぇ、午後の用事って何?」

 気持ち良くお散歩を終え、お昼ごはんを食べている時に、ちーちゃんが聞いてきた。

「ディーラーに行こうと思って」

「あぁ、そうなんだ」

「この前点検に出してね、今度の車検ではいろいろ交換しなきゃいけないから高くなりそうなんだって。もう12万キロ走ってるから距離的にもそろそろかなぁと思って」

「買うの?」

「それを相談しに行こうかと。良かったらちーちゃんも一緒に行かない?」

「うん、行く」

 良かった、ほっとした。

「ごめんね、ちーちゃんの休みの日に用事入れちゃって。今月もうお休みなくてさぁ」

「なんで謝るの、私は嬉しいよ。一緒に行こうって言ってくれて」

「ちーちゃん……」

「何、どうした?」

 あぁこれだ、一緒に暮らし始めてからの変化、何気ない一言で涙ぐむ事が増えた気がする。

 単に歳を取ったせいかもしれないが。

「ちょっとツボに入った」

「え、何のツボ?」

「ちーちゃん大好きのツボ」





「けっこう遠いんだね」

「そうなの、担当の営業さんが異動になっちゃってね」

「へぇ」

「ごめんね、付き合わせちゃって」

「いいって、ドライブも楽しいよ」


「竹本さん、お待たせしました。遠くまですみませんね」

「いえ、よろしくお願いします」

 隣のちーちゃんは、複雑な顔をしていたけど、黙って座っていた。

 こちらの希望を聞いた上で、現状を教えてくれた。曰く、全体的に新車の納期が長引いていること、そのために中古車の価格が上がっていること。車検前までに購入出来そうな車で、かつ希望に近いタイプを勧められた。

 見積もりを出されたが、少し予算オーバーか。

「とりあえず見てみましょうか」

 展示してある車へと移動する。

 ちーちゃんも無言でついてくる。

「へぇ、わぁ、すごいね」

 実際に運転席へ座ったり、座席を倒してみたり、ドアをスライドさせてみたり。

「どう?」

 ずっと黙っているちーちゃんが気になって声をかけると、何故か営業さんをじっと見ていた。

「え、あぁ、ひーちゃんがいいなら」

 なんとも気のない返事だった。

 悪くはない、後は予算とのすり合わせだ。

 必要のないものは削って、それでも少し高い。

「少し二人で話してもいいですか?」

「ええ、もちろん」

 一瞬見惚れそうな程の爽やかな笑顔を残して、退席していった。

 営業職って凄いな、私には務まりそうもないな、まぁそんなことは今はどうでも良いや。


「さてちーちゃん、私はこれに決めようかと思うんだけど、どう思う?」




「え?」

 驚いている、そりゃそうか私自身もこんなに即決するとは思ってなかったもんな。

「こういうのって、他にも見てから決めるものじゃないの?」

 私は詳しくないけどと自信なさげに付け足した。

「そうなんだけどね」

「あの人が担当だから?」

「ん?」

 何のことだろう。

「あの人綺麗だもんね」

「は?」

「あの人の異動先にまで来たんだもんね」

 まさか、ちーちゃん勘違いしてる?

 今日一日のちーちゃんを思い出す、家を出る時は上機嫌だったのにここへ来てからは何だか大人しくなって、やっぱり楽しくないのかなと誘ったことを申し訳なく思っていたけれど、営業さんのことを気にしていたの?

「違うよ、そんなんじゃないよ」

「好きなんじゃないの?」

「そんなこと、あるわけない」

 場所が場所だけに小声やりとりしながら、どうしたらわかってもらえるのだろう、テーブルの下でそっと手を繋ぐ。


「もちろん、他のディーラー回ったり中古車なんかとも比べたりして1番自分に合ったものを買うのがベストだと思う。その方が値引きをしてくれるかもしれない。でも、それでまた貴重なお休みが潰れてしまうでしょ、ちーちゃんとの大切な時間とを天秤にかけたらそっちの方が重いかなって。もちろん今見た車の機能や安全性に納得したからでもあるし」

「そう……なの」

「あれでドライブしたくない?」

「したい」

「よし、決まり」

「ひーちゃん」

「なに?」

「やきもち焼いてごめんね」

「いいよ、実は私もね、ちーちゃんが営業さんをじっと見てたから好みのタイプなのかなって思ってた。お互いさまだね」

「え、全然好みじゃないし」

 それは良かった。


 無事に契約し、納期は半年後。

 きっと、あっという間だろう。

 どこへ出掛けようかと、二人であれこれ話す時間も楽しい。


「ありがとうございました。これからも末永くお願いします。良かったらこれ使ってください」

 帰り際に営業さんから渡されたものは、レストランのお食事券だった。

「いいんですか?」

「お二人があまりにお似合いなので、個人的なプレゼントです」

「え、あ、ありがとうございます」

 しっかりバレてたらしい、恥ずかしいけど嬉しさの方が優っている。

 やっぱり営業職って凄いな。


 早速使わせていただき、その夜は盛り上がった……という話。

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