痛みこそ、愛

魚野紗芽

痛みこそ、愛

 夜の道を歩くのは、割と好きだ。そういう趣味の人は一定数いるだろう。夜はそれだけ、人を誘う引力みたいなものが満ちている。

 暗い空でいつも輝いている月とか、歩道に並ぶ電灯の灯りとか、踏み切りの赤い光とか。あれだけ昼間に光を浴びていたのに、夜にまで人は光を求める。光を求めてやまない。コンビニの光に集う虫とそう変わらない。

 中でも私が好きなのは、人の家の明かりだ。白っぽい光もあれば、橙色の光もあるが、どの色も見ていて飽きない。遮光カーテンが閉められていても、その隙間から微かに伺える家庭の温もりを思うと、気分が良かった。温かな家庭を思い浮かべては、いつもよりも大股で歩く。人の少ない道を我が物顔で歩いて、自然と腕の振りも大きくなる。

 「……アキ?」

 聞きなじみのある声に前を向くと、そこには幼馴染のヨウがいた。あら、と手を挙げて応えると、ヨウは眉を顰める。ただ挨拶を返しただけなのに、なにか悪いことをしただろうか。

 「こんな時間に一人で出歩くなよ」

 「そう言うヨウも一人だけど……」

 「俺はいいんだよ。……お前は、ちょっと自分を大事にしろ」

 大事にしろと言われたって、と思ったけれど口にはしなかった。言ったらきっと説教が長くなるだけだ。うーん、と曖昧な返事をしていると、ヨウはため息をついて「一緒に行く」と言った。

 「一緒に?」

 私の問いかけに応えないまま、ヨウはどこに行くのか尋ねて来る。別に目的地など無かったので、私は肩を竦めてみせた。

 「目的地、ないのか?」

 「目的地があったら散歩じゃないよ」

 あっそ、とヨウはめんどくさそうに返して、私が歩き出すのを待っている。仕方がないから私は一歩足を踏み出した。

 ぽてぽてと、歩道の上を二人で歩く。自分の歩みが先ほどよりも小さくなったのを感じて、目的地を作ってしまいたくなった。

 「……ねぇ、変に暗い道とか歩かないから大丈夫だよ?」

 「明るいとか暗いとか、そういう話じゃない」

 見上げたヨウの顔はちらりともこちらを見ない。憮然とした顔で歩いている。いかにも付き合わされて面倒だとでもいうように。

 そんな顔をしているくらいなら放っておいてくれてもいいのに、と思いながら「ヨウはどこに向かってたの?」と尋ねてみる。コンビニ、とぶっきらぼうに応えるので、私はコンビニを目的地にすることにした。

 歩きながら、家の窓を眺めることを再開する。でも、一人の時のように上手くいかなかった。折角綺麗な光がそこにあるのに気が散る。集中できない。短い髪を撫でていく夜風も、さっきまでのように清々しくは感じられなかった。

 あんなにも自由だった散歩が、急に窮屈に感じられる。好きなように動けない、と身体が騒いでいる。

 別にヨウのことは嫌いではない。昔からずっと一緒にいるからどういう人なのか良く知っているし、あまり愛想のよい方でない私にもよく付き合ってくれる人だ。他の周りの人に比べれば、だいぶ気を許していると言っていい。

 けれど、夜だけは。私の静かな夜だけは、分け合えそうもなかった。

 「宿題やったか?」

 前を向いたまま、ヨウは私にそう問いかける。隙間を埋めるためみたいな質問は、別に本当に聞きたい内容なんかじゃないんだろう。

 「明日見せて」

 「いつになったらお前は自分で宿題をして来るんだ」

 そんなことを言いながらも、結局ヨウは私に宿題を写させてくれるんだろう。いつものことだから。

 また、無言の時間が続く。一人だと無言はただの静寂で息がしやすいのに、人がいる無言はじっとりと身体にまとわりついてくるみたいだ。

 コンビニの灯りが見えて来て、少しホッとする。折り返し地点まであと少し。

 「……お前んち、相変わらずケンカが酷いな」

 ぽつりと、ヨウが口にする。私とヨウの家は隣同士なのだ。あまりに大きな声で父と母が怒鳴り合うので、隣の家まで聞こえて来るんだろう。

 別に家族ぐるみで付き合っている訳でもなく、ただの隣同士だ。廊下で会えば会釈程度はするが、仕事が忙しい上にあまり人と関わろうとしない私の両親は、ヨウの家のことなどなにも知らないだろう。自分の娘と同い年の子どもがいるということすら、知らないのかもしれない。

 両親はいつもなにかに急き立てられているかのような忙しさで過ごしている。身体の周りに常につむじ風を起こしているみたいな人たちだった。家にいても全く緩やかに過ごそうなんて考えていないようだった。その上自分の都合しか考えていないから、少しでも自分の考えていたプランの邪魔になるとすぐに吠える。仕事は出来るが、家庭人としては最低だった。

 「……もう、ずっとだもの。慣れちゃった」

 慣れた。というより、対処法が分かった。邪魔さえしなければ吠えられないので、こちらが存在を消してしまえばいいのだ。

 始めは部屋の中に籠っていたりしたのだが、両親のぶつかり合う声はどうしても遮れない。ノイズキャンセリングなども試してみたのだが、いつかこちらに不意に火の粉が掛かってきやしないだろうか、と思うと落ち着けなかった。

 だから、私は外に出る。夜は私を静かに、無条件に受け入れてくれるから。窓の明かりは、マッチ売りの少女が見る幻みたいに気持ちを紛らわせてくれる。

 私の足りていない部分をそっと満たしてくれる。透明の水みたいなもので。決してそれが力になったりすることはないのだが、その中で揺蕩うことを許される。

 窓の明かりで想像する温かな家庭像に身を切られながらも、目を逸らさずにはいられない。痛みすら、心地よかった。

 「慣れたなんて……」

 そう言ったまま、むっつりとヨウは黙ってしまった。

 ヨウはきっと優しいけれど、私を救うことは決してできない。私の孤独を、私が明け渡すことはないからだ。私は空っぽの笑顔で、ヨウを見上げてから前を向いた。コンビニの灯りが、身体に猛突進していた。

 「はい、コンビニ」

 「……なんか、お前も飲む?」

 「おごってくれるなら」

 応えないまま入店するヨウに続いて私もコンビニに入る。一人で散歩するときは絶対に踏み入れない場所。コンビニは入るもんじゃなく、遠くから眺める方が好きだ。

ヨウはいつも飲んでるスポーツドリンクを手に取る。私はちょっとだけ高いカップのミルクティーをヨウの手に押し付けた。


 フィルムをストローで突き破り、口をつける。甘ったるい味にイヒ、と笑う。夜の静寂を破られてしまったから、思い切りこの不自由を味わうことにした。

 なぁ、と自然に家への道を選んで歩き始めた私に、ヨウは話しかける。ん、と見上げると真剣な表情のヨウがいた。

 「またああやって喧嘩してて嫌だなって時とかさ、散歩するなら俺もついてこうか? 危ないし」

 「結構です」

 ヨウの言葉に、私はフフフと笑って応える。

 ヨウはやっぱり優しくて、可哀想な私をどうにかしてくれようとしている。

 けど、私が求めているのはそんなちんけな愛なんかじゃなくて、絶対的な静寂なのだ。孤独でいたいわけじゃない。時には寂しくて人にちょっかい掛けたいこともあるけれど。でも、私の孤独は私のもので、それについて聞かれることも同情されることも、私の心を侵略されたのと同じような嫌悪感を抱く。一人の世界が一番美しく、私の心を慰撫してくれるのだ。

 人の家の窓に思いを馳せ、ほんの少し自分を傷付けながら、夜の空気を吸い込んで、どこまでも自由に、めちゃくちゃに歩く。私を救うものは、夜だ。それ以外にあり得ない。

 私の笑顔の拒絶を、ヨウは複雑な表情で見遣って、ため息をついた。少しだけ傷付いたような表情に、私はもっと笑みを深める。

 もっとそういう表情を見せてくれたらいいのに、とミルクティーを啜りながら考える。私の言葉に傷付いてくれたら、私のことを好いていてくれてるって分かりやすいのに。

 私の腕はぶらぶらと、さっきよりも少しだけ大きく振られる。オレンジ色の窓を見て、笑いながらストローを強く噛んだ。

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