憂うなかれ、新しきは定まった
5月28日から始まった
当然だ。彼等は先日、魔術協会にその名を刻む英雄となった人間なのだから。
「こうも視線が多いと嫌になるな」
「そう? 色々割引してくれるからお得だよ?」
「お前は間抜けているからその程度しか思わないだろうが、僕はあまり嬉しくないんだよ」
「む、英語は覚えたてだけど、悪口はわかるよ」
「そんなことはどうでも良い」
「どうでも良くない。名誉毀損だよ」
「お前はどう思う」
「お姉ちゃんはどう?」
左右のパトリアとエマの言葉に、真ん中の1人は何処かボーとしながら答えた。
「ええ、そうですね」
言い合う2人に挟まれながらも、永は何かを考えていて反応が乏しい。チラチラと目を向ける2人の視線にすら気を向けないのは、普段の永からは考えられないことだ。
(はあ、連れ出してみたが気は晴れないままか。何を考えているんだホント)
パトリアはそう溜め息を吐くが、それにすら永は気付かない。中途半端で終わった決闘会の後、城に戻ってきてからずっとこの調子である。
パトリアが注目を集めることを承知しながらも、永を賑やかな場所に連れてきたのはそれが原因だ。
だが永はそんな周りの心配や注目には見向きもせず、意識は予想と現実の境を彷徨っていた。
深く、広く、正確に、永は思考の海を揺蕩う。それは理解してしまった者としては正しい行為であり。またある意味無駄な行為でもあった。
なんせ、答えは既に永の中で出てしまっている。解かれずにうやむやとなった謎、永はその答えに至る過程を探し続けているわけだ。
しかし、最も大切な部分。つまり謎を生んだ者の『動機』を、永は朧げながら掴んでいた。
(タムリア。貴方はその為に全てを仕組んだのか。金枝の使者を使い『英雄』を望む共犯者を揃え、私達を役者に仕立てた。……それは分かった。なら、なんでエルファントは殺された?)
『どうやったのか』は予想できた。だが、『何故やった』のかが分からない。
と、その時、永の目にある記号が飛び込んできた。
「エマ、そのお菓子のマークはなんですか?」
「んんー? 羽の生えた人、かな?」
「妖精の一種だよ。それは貴族派のミクシワリが経営する店のマークだな。ミクシワリのシンボルである四大元素の精に連なるものらしい。というか、お前はいつの間にそんな高級店に行ってたんだ」
「さっき貰った。親切なお姉さんだったよ?」
「馬鹿か。毒だったらどうするんだ」
「バカにバカって言われても……」
「なんだと!?」
永の耳には2人の会話は入ってこなかった。
ただ新たなピースのおかげで、新たに見えるものが増える。
(妖精……エルファントは妖精の記号を残していた。そう言えば、それを読み解いた時に伝言があった。『短い恩を果たせずすいません。あれは夜の女王』だったか)
エルファントを襲ったのが夜の女王だと思っていた。だがそうでないならば、エルファントは何を伝えたかったのか。
そういえばおかしい。エルファントが当主を務めるテリム家は、アハトラナに長く仕える家系。それも一時的にとはいえ主人と仰ぐタムリアに城を用意する程の。それなのに『短い恩』とはどういうことだろうか。
(いや、違う。あれは私とパトリアという存在だから読み取れたこと。もし、あれがタムリアに宛てたものでないならば)
永の中で最後のピースがはまった。
見えてきた動機はあまりにも単純で、それ故に納得がいく。
「エマ、次は何を食べたいですか?」
「お菓子」
「うわっ、復活したか。悩みは無くなったか?」
「ええまあ、考える必要がなくなりました」
永は相変わらずの無表情で調子を取り戻していた。
そう、永は得た答えと道筋を胸にしまったのだ。
(タムリア。だから貴方はエグリムに彼女を殺させたのか)
†††††
「今頃アサガミは真相を掴んだ頃合いだろうな。私の正体までは辿り着かずとも、久々に内面を透かし視られた気分だよ」
その書斎において主人と呼ぶべき人物は、アンティークチェアに深々と腰を落ち着けながら、ぬるめのキャンディの注がれたカップを口に運ぶ。バリエーションティーなのだろう。珍しいことにベリーの香りが高く舞っている。
「美味いな。なかなかの組み合わせだ。そうは思わないか、
問われたルシルはカップを口から離すと、尊大な態度でソーサーに戻す。
「ふん、酒の方が美味い。何が『愛情』だ。お前が誰かを愛するのは構わないが、弟子以外には興味を持つな。それとも『後悔』の方だったか? お気に入りだった宝石が寝返ったからか?」
「おお、それを言ってくれるな。私としても苦渋の判断だったんだ。寝返っただけならば良かった。私の正体を暴く事もまだ許そう。だが、その情報の危険性を知っていながら自らを犠牲にする、それも自らより劣った者を守る為に。それは流石に見過ごせないだろう?」
タムリアが大袈裟な仕草で悲しみを表現する。いや、それは大袈裟などではない。それで彼女は人1人の死を決めたのだから。彼女は本気で悲しんでいるし、本気で後悔している。
だが同時に“そういうもの”として結果を定めたのも彼女。誰かの死が必要だったから、必要なだけ揃えた。単にそれだけの話として、タムリアは受け入れていた。
結果は単純。悲しみも後悔も、エルファントを殺すことを止められなかっただけだ。
「アサガミはエルファントがスパイだったから殺したと思っているだろうな。間違いではない、いずれは粛清していた。まあ、そこが私の正体を知らぬ者の限界だな」
「それでアハトラナ嫗、お前はアバルハクラに何を吹き込んだ?」
ルシルの鋭い視線がタムリアに狙いを定める。
太陽の笑みはそれでも崩れず、むしろ意地悪い色が顔を出していた。
「何簡単さ。ルシル・ホワイトを引き摺り下ろしたくはないかと囁いただけだ。宝石姫は退屈していたからな。すぐに飛びついてきたぞ」
「余計な事を。今殺せないと知っていなければ殺していたぞ」
忌々しそうにタバコに火をつけたルシルだが、直後に火が闇に包まれる。それを確認した彼女はフィルターを噛み潰すと、口から離し手で握り潰した。
手を離した時には消失していたタバコだが、タムリアともう1人は神の炎で消したと悟った。
「おいおい、それは流石に力技過ぎないか?」
「チッ、黙れ。火を律から弾くなんて馬鹿げた真似の為に、一体何人死んだ?」
タムリアはその問いに、もう1人へと目を向けた。
「209体。我が
重く響く重厚な声は、洞窟を通る風の音を連想させるが、聞く者はそれ以上に暗い深みを感じるだろう。
「ご苦労なことだ。その指輪に囚われた魂の叫びが強いのはそういう理由か。お前が盟主の忠誠以外にその力を使うとはな。エグリム」
ここにいる者を除けば永だけが気付いていた、いるはずがない者の生存。神秘祭儀局の調査官であるミリセントすら考えもしなかった、人間ならば無意識の内に除外する死者の復活という現実。死体だけが残っていたのではなく、魔術的にも死んだと確認されていたのだ。誰であっても結論付けるに足りるものだった。
だがその程度、エグリムを真に知る者にとっては驚きに値しない。
大魔術使いとはそういうもの。
単に出力が優れる者、神代の概念を受け継ぐ者、魔術の段階を一段階上げた者、そして不可能を可能にした一代限りの異能者。
誰も彼もが人の限界に近づく、あるいは限界を超えた者。それに常識を求める方が難しい。
「これが、盟主への忠誠に通ずる。そう定められたからこそ、そこな“夜”に手を貸したのだ。盟主はすでに見つけていた。それを視たのは我が占星も同じ。神の炎の中でも隠されぬ、星の如き重き者。その天球は憧憬足り得る。その果てに盟主の祝福があろうと、我が友は語った」
エグリムにとっての忠義を尽くすべき者はただ1人。すなわち人の魔術の始まり。魔術協会を存続させる重石。
それを魔術世界では盟主と呼ぶ。
盟主への忠道を貫けるのであれば、エグリムは神すらも殺してみせるだろう。
「全ては盟主の為、か。ならば答えろ。お前が宝石を殺す為に大魔術を使ったのは何故だ? 確定させる必要もなかった筈だ。世界に歪みを生む価値が、一体何処にあった?」
ルシルの問いに、エグリムは目を虚空に向けながら答え始めた。
「宝石が愛した人。その者にはいくつもの道があった。弱き者であり続ける道、刻限を迎える道、堕ちていく道、願いのみを抱え頼る道、全てを決められ幸福を覚える道、ただ尽くし満たされる道……そして、人を捨てる道。盟主は望んだのだ、彼の幼子達の成長を。その為には、愛を忘れぬ怪物が必要だったのだ」
エグリムが目を瞑る。
その姿からは、冷たい古壁のような物悲しさを感じさせた。
見た者がはっきりとしない悲しさを覚える程なのだ、本人の感じる哀れ気は思うにあまりある。
そしてルシルは悟った。この男が犯した、罪の形を。
「ああそうか、お前が定めたのは宝石の死ではなく、宝石が守ろうとした人間の生の在り方だったわけか。そして誰よりも人の魂の形を知るお前が哀れに思うということは、ただ人を捨てるだけじゃなく、そいつは魂ですら人を捨てるのか? いや、お前らが捨てさせたわけだ」
「…………」
エグリムの沈黙は、肯定に違わないだろう。
「そこまでにしておけ、聖者をいじめて何になる。ははは、そんなことはどうでもいいだろう? それよりもお前の娘の」
「何を勘違いしている?」
タムリアの言葉を、ルシルは低く響く声で遮った。
「私が気に入らないのはお前だ。お前は夜の支配者としてではなく、アハトラナとしてでもなく、ただの破綻者として運命を破壊した。ああ気に入らない。これで二度目だが……殺せたら殺していたぞ」
刃のような言葉がタムリアに向けられる。
ルシルは心底気に入らないと、不快さを滲ませる。それが相手に通じないと知っていても、言葉にするだけで自分の気分も少しは変わるのだと、ルシルは人生の中で経験していた。
「お前が宝石を殺したのは、人間の生き方を捻じ曲げる為でも、その結果あいつらを成長させる為でもない。ただ単に気に入らなかっただけだろう? 自分の下から離れた宝石が不愉快だったから、お前は都合良く殺しただけだ」
だから言いたいままに言葉を並べていく。
どうせ相手は何も変わらない。ならば、言いたいことは言っておくに限る。
いつかタムリアが言葉を思い出して後悔するならば、これ以上の愉悦もない。とはいえ、ルシルは一切の期待をしていないのだが。
「分かり易く言ってやろう。お前はな、ただの殺人鬼だ」
それだけ言って落ち着いたのだろう。ルシルは未だ不快さを表に出しながらも、険のいくらか取れた顔をしていた。
その顔を、タムリアは太陽の笑みを浮かべながら、興味深げに観察する。
「ふーむ、我が弟子の言うことはいつもながら的を射ている。だがそうだな、私が何もかも捨て去れるのならば、これほど嬉しいことはない。おおエル、お前はそこまで私を魅了していたのか。
「装飾品扱いを当然とするならば、宝石が逃げるのも無理はあるまい」
「ほう? エグリム、聖者にしては愛が足りないぞ。口にするならもっと慰める言葉をくれ。私は心傷なんだ」
エグリムは節くれだった手で指輪を撫でながら、タムリアへと黒々とした目を向ける。どこか無機物のようにも思える瞳には、一体何が見えているのだろうか。
「“夜”よ。お前は人ではない。いずれ殺される偉業を果たさねばならぬ痛ましき壁よ。大地に近いながら星を従える支配者よ。幼子達を生贄に何を見るというのか。魂を歪ませる大罪を負い、それでも進むと言い張るつもりか?」
「ははは、魂の行き着く先を定めたのはお前だろう? それは盟主が望んだことでもある。盟主がその果てに何を求めるのかは知らないが、きっと良いものが見れる」
太陽の笑みを浮かべるタムリアの口角が、僅かに裂けた。
「盟主は魔術世界のみならず外の世界にさえも革変を齎すつもりだ。そうなれば自ずと見えてくるだろうさ。お前達霊長の導く星の輝きの一端がな。そして魔術世界を含めた神秘世界の新しき
極上の酒に酔ったかのように、タムリアは恍惚とした笑みで言葉を続ける。
「ああ新しき
口元が裂けるように弧を描く。
太陽の形はまだ辛うじて保っている。だが、その裏に感じる雰囲気はもっと暗く、不安定で、心をざわつかせる。
そして彼女の正体を知る者ならば、脳裏に浮かべるものはただ一つ
暗い夜にこそ輝く、儚くも空を支配するであろう、欠けた月。
太陽から欠けた月へ、月から不安定な太陽へ。タムリアの顔は二つの色を行き来する。
しかし読み取れる感情は、少しも変わりはしない。
歓喜、期待、愉悦、快感、法悦。
夜にこそ輝く上位者の空気が部屋に満ちる。
「いささか予定より多いが、魔術世界の英雄は生まれた。そしていずれ神秘の奇跡に浸り、お前は神秘世界の神となればいい。そして全能者共を踏みにじれ。ははははは!
世界を侵食する程の狂気、そして陶酔。
ともすれば見た者を狂わせるその姿は、それ故に何者よりも美しい。
こうして劇の一幕は終わった。
英雄が生まれ、憧憬が灯り、新世紀の可能性は宿った。
ありうべからざる者よ、貴方は望まれるままに生きるのか。はたまた新たな道を示すのか。
貴方の隣に立つ者達の軌跡を、どうか手を貸し見届けるのだ。
人の輝きに目を眩まされることなかれ。
自らの目を曇らせれば、それは捨てる事と同義なのだから。
己と唯一無二の親しき者に真実を知らせるなかれ。
守るべきものは絶望し、すでに失った者に気付いてしまう。
次こそは、何も失うなかれ。
小さくも愛らしい心が、砕かれ朽ち果てぬように。
貴方は次の物語を紡ぐのだ。
それが奪われた者の、せめてもの慰めとなろう。
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