何でも出てくるレストラン
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何でも出てくるレストラン
駅から五分の好立地、雑居ビルの二階に何でも出てくるフレンチレストランがあると評判だった。
メニューは無く、椅子に座ってベルを鳴らすとこのご時世には珍しいフリフリエプロンのウェイトレスがやってきて、「何なりとご注文をどうぞ」と言うらしい。
注文内容は本当に何でもよくて、牛フィレステーキからカツ丼からプリンから、頼めば五分程度で出てくる。驚くのはまだ早い、食べ物でなくても出てくるのだ。干したてのワイシャツが欲しいといえば出てくるし、仕事が欲しいと言えばその場で企業を探して面接の日程を組んでくれる。風呂に入りたいと言えば同じビルの三階にある温泉に案内してくれるし、家が欲しいと言えば建売の一軒をくれるというのだ。
それでもって、金額は一回につきなんとたったの三千円。どれだけ注文してもだ。食事は美味いし、洗濯も身支度もしてくれると好評で、店の名前は『ル・ヴァンシュ』というが世間からは『家内いらず』とあだ名されていた。
「お前も行ってみたらどうだよ、健康診断引っかかってんだろ?」
同僚の正木に言われ、ムッとしたがその通りだった。毎年中性脂肪が高く血糖値も良くない評価が出ている。一回三千円で済むなら、健康にして欲しいと言えば身体は良くなるだろう。
「そんな都合のいいところがあるなら、病院も警察もいらないよ」
俺は冗談には付き合っていられないと振り払って、職場を後にした。会社から駅までの道を歩きながら、将来への不安をぼんやりと考える。このままでいいのだろうか、給料は上がらないし身体は不健康だし、年齢はそのまま彼女いない歴と同じ。もし突然死んだとしても、発見されるまでに白骨化していそうだ。
いやいや、何を考えているんだ俺は。明日も明後日も変わらない日常が続いていくだけだ。不安を感じている暇があるなら、新聞の電子版にでも目を通しておくべきだろう。今日の大見出しは、件の感染症のワクチン開発が反対派の意見に推され中止になり、国内での製造は一層難しくなるとのことだった。この国に希望や未来はないのだろうか。
駅前にくると、例のレストランの入っている雑居ビルが妙に輝かしく見えた。我ながら馬鹿馬鹿しいなと笑いながら、俺はレストランに続く階段を上った。人気だ好評だという割には混んでいる様子はなく、店内はがらんと空いていた。フリフリエプロンのウェイトレスがやってきて、席に通される。客は俺一人だけのだようだ。まるで新規開店さながらの真新しい白いテーブルクロスが気味悪かった。この店の噂は、もう三十年も前から囁かれ続けているというのに。
「何なりとご注文をどうぞ」ウェイトレスはにこやかに微笑む。そういえば、小学生の頃にこんな感じの女の子に恋をしたことがあるなと、ふと思い出した。
「じゃあ、赤ワインとステーキをいただこうかな。良い部位を頼むよ」健康診断の結果が何だ、今日は食べたいものを食べよう。それで死ねるなら本望じゃないか。
「かしこまりました」
冗談半分で言ったのに、ウェイトレスは五分後本当に高そうなワインと熱々のステーキを持ってきた。それも希少部位のシャトーブリアン、一度は食べてみたかった高級肉だ。匂いに我を忘れ、その柔らかい肉質にむしゃぶりついた。ヒレの一番上等な部分、脂肪が少なく肉本来の旨味が口いっぱいに広がる最高の体験だ。余計なソースはいらない、塩だけでガンガン食える。ワサビ醤油も追加した。
結局私はおかわりを注文し、その後二枚も食べた。ワインで程よく酔い、会計を頼むと噂通り三千円ポッキリ。これはすごい、眉唾ものだと思っていたものが実在すると、こうも感動するものなのか。いい気分のまま、電車に乗って家に帰った。確かにこれは家内いらずの名に恥じないサービスだ。
電気をつけてもやや暗い1LDKの室内は、あの夢のような時間から一気に現実に引き戻した。そうだ、明日も仕事だ。明後日も、その次も。そうやって四十年働いて、齢をとったら捨てられる。悲しい日本社会に生きているのだと、ホロリと涙がこぼれた。当然出迎えてくれる人もなく、にこやかに微笑んでくれるのはあのウェイトレスくらいしかいないのだ。
次の日から、俺はレストランに通い詰めた。最初は飯を食うだけだったが、段々服や鞄なども新調して、家にあったものは全部ゴミとして出した。風呂も温泉でゆったり過ごし、家には寝に帰るだけだった。ベッドを出してくれと頼んだが、営業時間を超える滞在は出来ないと断られてしまったので、渋々だ。
俺は金さえ払えば何でも出てくる素敵なレストランの虜になっていった。家は殆ど空き家同然になったが、仕事はグングン捗った。食事は自分の好きなものだけを食べているので体重やその他諸々はそのままだったが、病気の治療もしてくれるので全く気にならなくなった。
ある日、いつも通り駅に向かって歩いていると、雑居ビルの前に人だかりが出来ていた。皆俺のようなサラリーマンで、死んだ魚のような眼をしてこの世の終わりだと叫び、絶望に打ちひしがれている。
一体どうしたものかと階段を上っていくと、レストランのガラス扉に『閉店しました。今までご愛顧いただき誠にありがとうございました』の張り紙がしてあった。
俺はガツンと頭を殴られたような気持ちになった。前の晩ウェイトレスは何も言っていなかった。どうして突然店は閉まってしまったのか。階段を降りて、駅前に蠢く集団の中に俺も入った。それ以上どうしようもなかったからだ。
飯を作るのも皿を洗うのも、洗濯も掃除も買い物も、全部望めば出てきたからやり方を忘れてしまった。家に帰っても、捨ててしまったから万年床になっている布団以外には残っていない。
俺はこれからどうやって生きていけばいい? 今までどうやって生きてきた? 忘れた、忘れた、忘れてしまったのだ。ここにいる人々と同じように。集団の中に正木の姿があった。彼は俺と目が合うと、気まずそうにすぐ目をそらした。あいつも、きっと忘れてしまったのだろう。
何も出来ない男たちの集団は、そのままいつまでもいつまでも、その場に佇んでいることしか出来なかった。
何でも出てくるレストラン 狂飴@電子書籍発売中! @mihara_yuzuki
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