平行線の世界

仲仁へび(旧:離久)

第1話



 湖水の騎士学校 校舎内部


 湖水の騎士学校で教鞭をとるツヴァン・カルマエディは、職務を遂行している最中だった。


 天気は嵐。

 日中は喧騒につつまれる校舎は、雨粒が建物を叩く音で支配されている。


 今日は、余計な探求心や冒険心を発揮して校舎に忍び込んでいる馬鹿がいないようだ。


 見回りが楽に終わりそうで助かる。


 あくびを一つ。

 隠すことなく口を開けたツヴァンは、この後の予定を脳裏に思い浮かべていた。


 仕事で手抜きはしない。

 なので、消化すべき書類が己のデスクに積みあがるのは、まれな事だったが、今日はまだまだやるべき事が控えていた。


 学校の中に入り込んでいた不審者……フェイス・アローラについて対処する必要があるからだ。


 他の学校と情報共有をするために、担当教師でもないのに資料まとめを手伝わなければならなかった。


「めんどくせぇ」


 仕事を一つ終わらせてもまだ仕事が残っている。そんな現状に文句を言う。


 だがだからといって、手が抜けないのは事実。


「馬鹿もいねぇことだし、早めにきりあげっか」


 フェイスのこれまでの所業を考えると、早急な対応が求められるのは仕方がない事だった。


 あれは、どこかひっかかる人間だった。

 その体から、危険なにおいがしていた。

 けれど、ほとんど遠目で見るくらいだったので、その危険性を正しく認識できなかった。


 アインが、かつて共に旅をしていた少女が。片割れがいた頃のツヴァンなら、相手の素性を見抜くこともできただろうが……今の自分では、ただの人間のように怪しむ事しかできない。


 旅の終盤で起こった事を思い出しさえすれば、何か違ったかもしれないが。

 今のツヴァンの記憶は、真実に触れる気配すらない。


 そんな考え事をしながら一区画ごとめぐっていると、人の気配を感じた。

 何者かが夜の校舎に紛れ込んでいる。

 その事実に警戒を一段階引き上げるが……。


 気配の元を追って目にしたのは、見慣れた生徒だった。

 自分が担当している女生徒、夜の暗闇に沈む中でも目立つ淡い金髪の髪の少女だ。


 名前はステラ・ウティレシア。あだ名は狂剣士。

 他のひよっ子より、はるかに高い剣の腕を持つ、優秀な生徒だ。


 件の危険人物フェイスの罠にかかったらしいが、今も平然と学校に通い続けている。

 たくましい精神をしているのだろう。


 その時までは、そう思っていた。


 だが……。


 ツヴァンが目にしたステラの様子は、そんな想像とはかけはなれたものだった。


 視線の先、ふらふらとした足取りで進む少女はまるで迷子のようだ。

 親に見捨てられた幼子のように、何かを探して校舎の中を徘徊している。


 ひょっとして正気ではないのでは?

 とも思ったが、それも違うようだ。


 ステラは明確な目的をもって、自分と関わりのある場所をめぐっているようだった。

 普段よりつかない他学年の教室には目も向けない。


「……」


 ツヴァンは無言で、その後をつけていく。


 一つ一つの教室を見ては悲しげにするステラの様子を見て、彼女が何を探し求めているのか分かった。


 おそらく、幼馴染の少年ツェルトの記憶を探しているのだろう。


 これまで常に隣にいたらしいツェルト。

 ステラとツェルトは、遠からず互いに思いあっている事が分かるような仲だった。


 だから、その存在が消失したことで不安がっているのだろう。

 胸の内にあった、大切な記憶が消える空虚な感覚。

 それは、無視しようとしても無視できるものではなかったのだ。


 たとえ、どんなに打たれてもへこまないあのステラ・ウティレシアでも。


 年頃の少女らしいその感情に、ツヴァンが思ったのはおそらく自分勝手なものだった。


 動揺。


 検討はずれの評価を抱いていたという事実を顧みて、心を乱していたのだ。


 しっかりしていると、一人で立てると思っていた。

 だから、甘えて無理を言って、生ぬるい平穏にひたっていた。

 そんな自分が次第に情けなくなっていく。


 複雑な胸中を持て余すツヴァンは、そのまま徘徊するステラの姿を追っていく。


 夜の暗闇の中でも見つけやすい金髪の女生徒は、やがて階段へとさしかかった。


 頼りない足取りで、一段一段降りていく。


 踊り場にある窓では、空から降ってくる大量の雨粒が大合唱していた。


 そのおかげで気配を消すのが楽なのはありがたかった。


 踊り場を通り過ぎ、さらに階段を下っていくステラを見たツヴァンは、ある事に思い至った。


 自分が所持している悲嘆の剣。

 人の歴史が分かる呪いの剣。

 その剣を使えば、何かが分かるかもしれない。


 ある意味個人情報をかってに除くことになるが、それでも手をとめなかった。

 それくらい、目の前の少女はあやうく見えたのだ。


 ステラを目の前にして、手にした剣を振りかぶろうとした瞬間。


 窓の外で、雷が落ちた。

 差し込む稲光が、暗かった校舎の中を一瞬だけ白くそめあげる。


 そして、罪悪感を抱えたまま剣を手にしていたツヴァンは、振り返ったステラにその姿を見られていた。


「……っ」


 少女ののどが動く。息をのむ音が、聞こえるようだった。


 そこにあるのは、剣を持った状態で、生徒の後をつける教師。


 どこからどうみても誤解される絵面でしかないこの状況。

 目的が目的なだけに、とっさの言葉が出てこない。

 数秒ためらってから、なんでもないような態度を装って口を開くが……。


「こんな夜中に校舎をほっつ歩いてんじゃねぇ。俺が面倒じゃねぇか」

「っ」


 軽口には反応しない

 ステラの様子は、固まったままだ。

 剣をしまうツヴァンを見て、顔を真っ青にしている。


 心配になって声をかけるが、相手には届いていないようだった。


「ウティレシア?」

「ぃ、いや……」


 やがて少女の口から漏れ出たのは、悲鳴だった。


「いやぁっ……、来ないでっ!」


 そのとたん。

 心の底から、演技であるなどとはまるで思えないその絶叫を上げた少女は、一目散にその場から走り去った。


「おい、待て!」


 ツヴァンは遠ざかっていくステラの背中を慌てて追いかけた。

 こんな夜中に妙な様子の生徒をここで放っておけるほど、ツヴァンは非情ではない。


 取り乱した様子で廊下を走り抜けたステラは、校舎の反対側にある階段を、昇っていった。

 迷いのない足取りで階下へ向かうのではなく、なぜか屋上だ。


 屋上に向かう扉が施錠してあるから安全とは、思えない。

 身を守るために剣を持っているなら、意味がないからだ。


 案の定、扉のノブは壊されていた。

 屋上に向かうと、強烈な雨粒が体を叩く。


 降りしきる雨の中に身をさらしながら、ステラの背中を追いかける。

 やがて屋上の端に追い詰められたステラは、手すりに体をあずけて、こちらにおびえた目を向けていた。


「いや、来ないで。お願い……」

「落ち着け、ウティレシア。お前は混乱しているだけだ」

「どうして、どうして……一緒にいてくれるって。なのに。嫌いだって」


 相手をなだめようと話しかけるが、こちらに言葉が耳に入っていないようだった。

 うわごとのように繰り返す言葉の中身を聞けば、話が通じてない事は一目瞭然だった。


 このままではらちが明かない。


 一旦気絶させて、取り押さえるか。

 そう考えたから、こちらの考えが伝わったのだろう。


 害するつもりはなかったが、殺気が少しもれたのかもしれない。


「ひ……」


 悲鳴をもらしたステラはビクリと体を震わせて、さらに後ろに下がろうとする。

 しかし、背後にはもう下がれるスペースがない。


 そして、次の瞬間。

 まったくの不意打ちで予期せぬ事が起こった。


 老朽化していたのか。誰かが悪ふざけで壊したのか。

 金属が破断するような音が響いて、手すりが壊れた。


 当然。そこに身を預けていたステラが無事であるはずもなく……。


「ぁ……」


 夜の校舎の屋上から、中空へ身を投げ出す形になった。


「っ、ウティレシア!」


 その体が重力に従って落下していくなか、手を伸ばして間一髪で支える。


「う、ぐ……っ」


 直後、己の腕にかかった人間一人分の重みで肩がはずれそうになった。


 が、生きている。


 掴んだ手の先、体を支えられているステラ。


 しかし彼女は正しく己の状況を理解していないのか、それともtこちらへの恐怖がまさっているのか暴れ始めた。


「ぃ……、いやぁ! 離して! 離してぇ!」

「ば……かっ、暴れんな! 落っことすだろうが!」

「ごめんなさい! ごめんなさい。謝るから、許して。嫌いにならないで!」

「くそっ」


 なおも話が通じない中で。こちらからのがれようと懸命に身をよじるステラを見て、ツヴァンは死に物狂いだ。


 下手をしたら自分も落ちてしまう中、懸命に目の前の少女をなだめる方法を考えた。


 何を言ったらステラの心に届くのか。

 どういえば、正気に戻ってもらえるか。


「落ち着け、ウティレシア! 俺はお前の敵じゃない。俺はお前を傷つけたりしない!」

「いやっ、離して! ツェルト」

「ツェルト……。お前には、俺の姿がライダーに見えてるってのか」


 どういった見え方をしているのか知らないが、ステラの視界にはツヴァンの姿がツェルトに見えているらしい。

 夜の校舎の中で剣を携えた男を、ツェルトと見間違えた。

 フェイスの罠とそのことが指し示す事実から導き出される答えは……。


「さす、がに、胸糞わりぃどころじゃねぇぞ。野郎……」


 一番大切に思っていた人間からさなされた仕打ち、それが心の傷にならないわけがない。

 どんな人間であっても、許されない所業だった。


「殺さないで! 私、私もっと頑張るから。貴方の役に立つように、努力するからっ、いっぱいまだ、たくさん頑張れるから、だから……嫌いになんてならないで」


 ツヴァンは唇をかんだ。

 雨に交じって、血の味が口の中に広がる。


 今の状態のステラを正気に戻す方法。

 それを、思いついてしまったからだ。


 しかし、その方法はある意味……。

 フェイスがやった事と同じ事でもある。


 血の味と地獄のような時間を味わう。

 そんなツヴァンの視界の中に、何かが見えた。


 夜の闇の中。

 地面が見えるはずのその場所には何もなくて。

 真っ暗な空間だけが広がっている。

 

 その中から、何か巨大なものが出てこようとしていた。

 大きな牙が並んだアギト。

 そして、表面を覆う鱗。


 醜い怪魚の姿をしたそれは大きく内をあけて、落ちてくるステラを丸呑みしてやろうとしていた。


 見たことがある。

 かつてどこかで。

 だが思い出せない。


 きっと、その時もツヴァンはこんな風に誰かの腕をつかんでいたのだろう。

 その結果はどうなったのだろうか。


 怪魚がこちらへせまりくる。

 死んだ生気のない目をむけながら。


「っ!」


 息をのんだツヴァンの手が滑って、ステラの体が落下しそうになった。

 雨で滑りやすくなっていたからだろう。

 慌ててつかみなおすと、もう眼下にその幻影はみえなくなっていた。


 ツヴァンは決断した。


「……ステラっ!」


 効果は劇的だった。

 先ほどまで暴れるだけだった少女がおとなしくなって、こちらを見上げている。


 ツヴァンはその反応を見て、たたみかけるように言葉を重ねた。


「もう、大丈夫だ。俺はお前を傷つけたりしない。俺がお前を守ってやる」

「ツェルト……」


 慎重に。けれど間があかないように。

 記憶の中にあるツェルトがどんな物言いをしていたか、思い出しながら。


「俺は絶対にお前を裏切らない。要らないなんて、そんな事言うわけないだろ」

「ほ、本当に……? また、私と一緒にいてくれるの?」

「ああ、当たり前だ。ずっとお前と一緒にいてやる」


 ほっとした様子のステラを、苦心しながら引き上げる。

 屋上で息をついていると、ステラが背中の服をひっぱった。


 視線を向けると、すがるような光が瞳の中にあった。


「いなくなったりしない?」


 一人ぼっちになりたくない、そんな思いをのぞかせるステラはこちらの言葉を待っている。


 服を掴む指先をはずして、その手をしっかりと掴む。

 安心させるように。


「……俺だって一人になりたくないしな」

「良かった」


 そして、ステラは何かを言いかけるが。


「ツェルト、あのね。あの時の返事だけど、私貴方の事が…………」


 こちらの顔を見つめて、言葉をきった。


「ううん、何でもない」


 ほっとしたステラは、糸がきれたように気を失う。

 倒れるところを支えてやれば、こちらにしがみつかれる。


 まるで悲しみの海の中でおぼれまいとしているかのように。









 あんな精神状態のステラを学校に通わせるわけにはいかない。

 というわけで、しばらく休学になった。


 ステラには医者の判断だと言い聞かせて、屋敷での療養を行わせる。

 呪術に走られていない部分が多いから、とそう付け足しながら。


 その後ツヴァンは、カルネという生徒と共に呪術を解く方法について調べる事になった。


 ステラが呪術の影響を受けたのは、夢の檻にとらわれた時は初めてではないらしい。

 カルネとツェルトの証言で明らかになった。

 なぜ、すぐに大人に相談しなかったのかとカルネに問えば、呪術にかかった事を証明できなかったから、と言われてしまう。


 まともにとりあってもらったはいいが、解呪の方法を研究する流れに進まず、疑わしきは罰せよという事になったら困るだろう、とも言われた。


 その通りだ。


 言葉もない。


 世の中にいる人間は、懸命な判断を下せるやつばかりではない。


 頼りない姿を見せている自分が、その件に関してなじる事などできるわけがないだろう。








 ウティレシア邸 私室


 ツヴァンが見舞いに行くと、金髪の少女は室内で木刀と仲良しこよししていた。

 つまり、素振りをしているところだった。

 頭痛がする。


 得物をとりあげようとすると口をとがらされたので、土産に買ってきた甘味でおとなしくさせる。

 オレンジジャムで味付けされた焼き菓子を、ミニテーブルの前に陣取ってお上品に手で小さくして食べるステラ。


 とても幸せそうだ。


 一息ついている間に部屋の様子を観察してみるが、特に変わったところはない。

 屋敷の方も、知らぬ間に不審者が入り込んだ形跡はなさそうだった。


 ここには昔なじみのレットやアンヌもいる。

 下手な人間が手出しできる場所だとは思わないが、連中だって四六時中この屋敷にいるわけではない。

 留守を狙われる可能性もあるので、油断ならなかった。


 室内観察を終えると、ステラがツヴァンの顔をじっと見つめいた。


「何だ?」と、視線で発現を促す。


「貴方、最近ずっと眉間にしわが寄ってるわよね」

「色々あってな」

「大変なの?」

「お前の手を借りるほどのものじゃない。大した事ないから安心しろ」

「そう? 手助けが必要だったらいつでも言って。力になるから」


 記憶が欠けて認識がおかしくなっていても、ステラ・ウティレシアの根本的な人格はまるで変わらないようだった。


 お人よしで、おせっかい。

 困っている人を見たら手を差し出さなければ気が済まない。


 そんな性格のままだ。


 そんなステラは、お姉さんぶった態度で説教してくる。


「強がりはほどほどにね。男の子だから頑張っちゃうのかもしれないけど、私だってツェルトの力になりたいんだから」

「大の大人捕まえて男の子扱いかよ。……いや、何でもない」


 辟易した態度でいれば不思議がられたので、首をふってうやむやにする。

 甘んじてその評価を受けるしかない。

 ステラにとって今のこちらは、ツヴァンではないのだから。


 ツェルトの日ごろの苦労と悲哀が見て取れる会話だった。


「そっちは……お前の方はどうなんだ?」

「ステラ」

「ん?」

「私の名前はステラよ。ちゃんと名前で呼んで。そういうの良くないと思うの。どんな先輩の真似をしてるかしらないけど、ぜんぜん恰好よくなんかないわよ」


 どうやらこちらがステラの名前を呼ばないのを、思春期の小僧がぐれている、と勘違いしているらしい。


 自分から傷をえぐりに行くようなマネはしたくなかったのだが、これ以上は怪しまれる。


 ツヴァンは仕方なく、期待に応えた。


「ステラ」

「はい、よくできました」

「子ども扱いするな」


 満面の笑みで下さた評価に複雑な気持ちになった。


 ここは演技するまでもない。

 ツェルトだってたぶん同じ反応を返しただろう。

 

 ステラとツェルトはまぎれもなく想いあっている仲だろうが、何事もなかった場合でもなんだかんだで大した進展がなさそうな気がした。


 もともとの話題を思い出したのだろう。

 記憶の底を洗い出すように、ステラは視線を虚空へさまよわせた。


「最近どうしてるかだったわよね。そうね……、基本は屋敷でお父様の仕事を手伝っているわよ。そして庭で鍛錬。休みの日は護衛の人と一緒に家族で町に出掛けたりしてるわ。でもちょっとそれが心苦しくもあるの」

「何でだよ。家族そろって出かけるなんて、普通の事だろ」


 一般的な家庭としては、と思いながら問いかける。

 こちらの言葉を聞いたステラの顔色は憂いに彩られていた。


「だって、前はそんな事なかったから、余計な気を使わせちゃってるんじゃないかって。いつも家族と町に出る時は、用事とか仕事のついでだったから、遊びになんてなかった……」


 ツヴァンは、領主としての仕事について多少知っている。

 詳しいほど、ではないが……娘がこの年になるまで、そういった経験がないというのはおかしいと思った。


 確かに忙しいときもあるだろうが、たった一日も遊びの時間が取れないなどという事、あるはずがないのだ。

 ツヴァンが見た限り、ステラの両親は子供の事を考えないような輩ではない。


 とするとそれは、貴族でありながら魔法が使えないという、ステラの体質を考慮してのものか。

 あとは、厄介事をすいよせる体質の事も、あるだろう。


「そんな事気にするなよ。今のが正解で、今までのが間違い。変だったのが正しい形に戻っただけだ」


 だから正直にそういえば、むっとしたような反応。


「どうしてそんな事分かるのよ」


 問われて言葉選びに迷う。

 ツェルトらしい言い方とは、なんだろうか。


「あー……なんとなく?」


 何のひねりもない言葉が出たが、及第点だったようだ。

 ふくれるステラは、疑問を抱いた様子がない。


「もう、私は真面目に話してるのに」

「悪い悪い。ほら、俺の菓子やるよ」

「あむ……ちょっと勝手に人の口の中に、ほうり、こまないでよ。あむぅ……」

「といいつつも、しっかり食ってるな」


 それからも日ごろの愚痴につきあって、小一時間。


 食後に腹が膨れたせいか、別の事情のせいなのか、ステラはテーブルにつっぷして居眠りしてしまっていた。


 それを見て、ツヴァンは部屋を出る。

 その場を去るが、ずっとそこにいた人間に背中を向けながら言葉をかけた。


「眠ってる。今なら気付かれんだろ」


 背後にいるとび色の髪の少年は、何も言わずに部屋に入っていった。


 ツェルトがステラの傍にいられるのは、今のような状況の時だけ。

 ステラが起きている時は、「見られていない」ので接することができないのだ。


 想い人から存在を消されたツェルトは何を思うのか。

 その胸中を無遠慮に想像する事はしない。







 ステラが在籍している学年の授業がすべて終了した。

 幸か不幸か、ステラとフェイス以外の全員の卒業式が執り行われる事となった。

 ステラの扱いは、停学中のままだ。


 優秀な人材を無駄にしないために、三年以内なら復学できることになっているからだ。


 だが、ツヴァンとしては……、いや他の者だってもうステラには剣を握ってほしくないと思っているだろう。


 おそらくステラが再び学校に来ることはない。

 そう、思っていたのだが、難事は思わぬ方向からやってきた。








 湖水の騎士学校 職員室


「冗談だろ?」

「ニオが冗談なんかで、こんな事言うと思う?」


 卒業式が終わったばかりの時間。職員室にかけこんできたニオは、ツヴァンに驚くべき事を述べた。


 それは、ツェルトが王宮に連行されたという事実だ。

 そして、王都でクーデターが起こったという事実も。


 首謀者であるグレイアンの名前を聞いて、頭をかかえたくなった。


 おそらく、有能な人材を無理やり働かせるために、この時期を狙ったのだろう。

 卒業した騎士の卵達の大多数は、騎士になって働く事になる。

 が、グレイアンは疑心が強い。

 騎士出会ったときの少ないコネを使って情報を集めたが、人格がひどいものらしい。


 おそらく、有能な者には首輪をつけておかないと気が済まないのだ。

 法から外れた事をさせる時や、過剰な任務を言い渡す場合、好きなように使う時にも、枷があった方が使いやすいと思ったのだろう。

 

 ニオは、いつものような態度ではなく真剣な表情で続ける。


「時間がないから、これだけしか言わない。ニオはエルランド様を守るためにしばらく潜伏するつもり。その気があるなら、アクリの町に来て」


 在籍している時からなんとなく、ニオが王宮関係に人間だという事は分かっていた。

 自らの主であるエルランドの安否が気になるのだろう。無駄口をたたくことなく、本当にそれだけいって職員室から飛び出していってしまった。


 ツヴァンもやりかけの仕事もそのままに、その部屋を離れる。


 面倒な事になった、どころではない。

 まずい事がある。

 ステラだ。


 ツヴァンは、ステラの評価を王宮に渡してしまっている。

 そのデータを見たのなら、もしかしたらグレイアンの手が及んでいるかもしれない。


 ステラは学校を休学しているが、前例がないからといって楽観できるような話ではない。


 今のステラが王宮で働かされることもなったら、どうなるか分かった物ではなかった。


 焦る内心を抱えて、ウティレシア領へ急ぐのだが……。


 その歩みは遅すぎた。


 ウティレシア領はすでにグレイアンの手の者によって占領されていて、領主の地位がはく奪されていたからだ。

 ステラの姿は当然そこにはない。


 ステラの弟であるヨシュアと合流したツヴァンは、ただ事の顛末を聞かされるしかなかった。






 

 王宮 『ステラ』


 ステラは食堂で一人寂しく食事の時間をすごしていた。

 四人掛けの席なのに、一人でだ。

 美味しくない。


 どうやら自分は、周囲の人間から嫌われているようだ。

 学校を卒業していないのに騎士になったから、ズルしているとでも思われているのだろう。


 両親を人質にとられて無理やり働かされているにすぎないのだが、周りにそれは分からない。

 言いふらす事でもないし、口止めされているので弁解しようとしても機会がない。


 同じ境遇にいるものとしてはアリアやクレウスも該当するのだが、彼らはしっかりと学校を卒業している。

 だから、ステラのような事にはなっていなかった。


 ステラだけが、広い王宮の中で一人ぼっちだった。


 付き合いがある騎士もいるにはいるが、隊が違うので触れ合う時間はごくわずか。


「王宮のご飯ってもっとおいしいと思ってたわ」


 味のしないご飯を、ただ口に運ぶ。

 食事の時間は、栄養を補給するために機械的な作業を繰り返しているだけだった。


「ここに、ツェルトがいてくれたら……」


 あのとび色の髪をした幼馴染がいてくれたら、どんな状況でもきっとステラは寂しくなんてならなかった。

 けれど、騎士を目指していたはずのツェルトの姿は王宮にはなかった。


 どこにも見当たらなくて、アリアやクレウスに聞いても、きちんとした返答を得られない。


「ツェルト……」


 美味しくないご飯がさらに美味しくなくなっていく。

 

 ご飯とにらめっこしながら、スプーンを口に運ぶ作業をしていると、ふいに横を誰かが通ったような気がした。

 顔をあげて視線をそちらに向けると、テーブルの上に何か小さいものが置かれていた。


 小さな包みだ。

 かわいい包装の。


「え?」


 一体だれが、と周囲に視線を巡らせるが、それらしい人物は分からない。

 周囲にそれなりの人がいるのに、いやだからこそ人ごみにまぎれてしまって分からくなってしまったのだろう。


「私にくれたのかしら?」


 落ち込んでる自分を見かけて、通りすがりの誰かが励ましてくれたのかもしれない。

 そう思うと、少しだけ心が温かくなった。


 落とし物という線や、勘違いという線も捨て切れないが、だからといって紛失物としてしかるべき場所にとどけてしまうのもためらわれる。


 結局検討がつかなかったので、申し訳なく思いつつも包装をはずした。

 すると、中にはお菓子。

 そして、動物を模した飴細工が入っていた。


「これって、もしかして」


 お店の人が作った作り物かもしれない。

 けれど、細工物を作る人間には心当たりがあった。


「王宮のどこかにいるの?」


 脳裏に思い浮かぶのは、いつも自分の隣にあった人。人懐こい笑みを浮かべた幼馴染。

 ステラの前には姿を現さないけれど、彼はもしかしたら予想しているよりも近くにいるのかもしれない。

 そう思うと、さきほどより元気が湧いてくるのだから不思議だった。


「ありがとう」


 正確には誰がよこしたのか分からない。

 けれど、ステラにとってはそれは救いだった。


 この一人ぼっちの冷たい世界の中で、確かな温もりをもたらしてくれたのだから。


 食べるのが勿体ないので、ステラはそのお菓子を持ち帰ってしばらく眺めることにした。 








 王宮 王座の間


 そんな事があったから、しばらくは頑張れた。

 アリアとクレウスとは任務でたまに一緒になる事があるので、その時に色々な話をできたのも良かった。


 けれど、雲行きが怪しくなったのは、王宮につれてこられて少しした時の事だ。


 ステラに下された任務は、これまでにないものだった。


 いつかそういった事を言われる日が来るのではないかと思っていたけれど、それがこんなにも早くとは思わなかった。


 その日、ステラは現王であるグレイアンに直々に呼びだされた。

 護衛らしい騎士は数名、遠巻きにしてこちらを見ている。


「何の、御用でしょうか」


 呼び出された部屋の中、ステラは警戒しながら相手に尋ねる。


「……」


 しかし、相手は無言で、こちらを物でも観察するように無遠慮に眺めるのみ。


「あの……」


 いつまでたっても用件を口にしてもらえないので、口を開いたのだがそれがグレイアンの勘にさわってしまったのだろう。


「薄汚い平民が。私の許可なく喋るな」

「……っ」


 今のステラは貴族ではない、そのため平民と同じ扱いになるのだが、グレイアンが言っているのはそういう事ではないだろう。

 今のはまずかった。

 そう考え、謝罪の言葉を述べようとしたが、それよりも先に相手が再び口を開いた。


「魔法も使えぬお前をわざわざ使ってやっているのだ。自分の立場をわきまえろ」

「申し訳、ありません」


 そこでもう、相手の人格の底がしれた。

 おそらく貴族市場主義を謳うラシャガルやコモンとおなじような人間なのだろうが、彼らと対峙した時のようにはいかない。


 歯向かえば、両親に迷惑がかかる。

 どんなに腹が立っていても、殊勝な態度でいなければならない。


 だが、そんな心の内も見透かされているようで。

 グレイアンは不快そうな声を出す。


「反抗的な目だ。優れているのは容姿だけか? 低俗で卑しい性根がにじみ出ているぞ」


 こぶしを握り締めそうになったが自制。

 頭に血が上るのを感じたが、理性を働かせてこらえる。


 こちらが自制心との決死の闘いを行っていると知ってか知らずか、グレイアンはなおもこちらをあざけるような表情で続ける。


「だが、そんなお前に名誉ある仕事を紹介してやろう」


 それは、非情な任務だった。


「恐れ多くも私達に歯向かってくる犯行勢力共を殺してこい。息の根をとめろ。根絶やしにするんだ」


 一瞬呼吸を忘れたが、まだあった。


 グレイアンはその後は、と続ける。

 その後。

 まだ、何かあるというのか。

 これ以上の酷い任務が。


「貴族に尽す権利を与えてやろう」

「ぇ……?」


 言われた意味が分からないでいると、何かをよこされた。

 投げ渡されたのは、紙の束。

 目の前の床に落ちたそれを手に取って読むと、多くの名前が並んでいるのが分かった。


 どういうことかと顔を上げて視線を向ければ、


「帰ってきたら、順番にこの者達の部屋へいけ」


 そんな言葉と共に下卑た笑みが返ってきた。


 はるかな高みから、懸命に足元を歩く者達を見下ろすかのような態度で。


「平民であるお前に、名誉ある仕事を与えてやると言っているのだ。どんなに脳のない存在でも、女として生まれてきた事だけは誉めてやる。血を残せ。貴族の母であるというのなら、生まれてきた罪を許してやるといっているのだ」

「っっ!」

「返事をしろ」

「わ、わかりました」


 とうとう言い渡されてしまった任務は、真っ先に自分のような騎士が守らなければならない存在を、この手で傷つけなければならないものだった。


 こなしたとしても、自分に待っているのは人間の尊厳を無視した仕打ちだけ。








 女性兵舎 私室 


 殺したくない。

 ステラが剣をとったのは、そんなことをするためではない。

 罪もない人達を守るためだ。


 それなのに、なぜこんな事になってしまったのか。


 最初はただ、自分と大切な人を守る事ができればそれでよかったはずなのに。


 私室に引っ込んだステラは、思い悩むしかなかった。


 成功させると、罪のない人々を殺してしまう。後に待っているのは地獄の日々。

 しかし、だからといって手を抜いてしまうと、家族の身が危ない。


 罪もない人々も、家族も守るにはどうすればいい。


 それは、簡単だ。


 普段はそんな事思いもしなかった。


 けれどどうしてか、その時はすぐに頭に浮かんできた。


 それは――


 ステラが死ねばいいのだ。


 そうすれば全てが解決する。


 手を抜かずに真剣に任務にあたったその末にステラが死んでしまえば、罪もない人達も家族も死なずにすむだろう。

 自分一人だけが犠牲になれば。

 好きでもない人に抱きしめられるという事も、なくなる。


 しかし、その可能性が思い至った瞬間から、体の震えがとまらなくなった。


 本当にそれしか方法がないのか。

 他に方法はないのか。


 ステラだって死にたくはないのだ。

 だって、死ぬのは怖い。


 前世のステラはあんな死に方をしたのだ。

 悪意に触れて、見捨てられて、一人ぼっちで孤独になって。


 そんな悪夢の出来事をもう一度繰りかえす?

 怖くないわけがなかった。


 でも、だからといって何も選択せずに自分だけが逃げるわけにはいかない。

 どんなに怖くても、だ。


 そんな事をしたら、大切な人達に顔向けできなくなってしまう。


 みんなが褒めてくれる、認めてくれるステラ・ウティレシアではなくなってしまう。


「私……、私は、どうしたらいいの?」


 眠れない夜を過ごしながら大切な人の名前を呼ぶが、都合よく駆けつけてくれるわけがなかった。








 隠れ家前


 とうとう任務の日がやってきてしまった。

 逃げなかったステラは、情報通りの場所に向かっている最中だ。


 任務の事以外は何も話してくれない部下たちを引き連れて。


 目的地から離れたところに馬車を置いて歩く。


 そうしている間にもステラは皆が助かる方法を考え続けていたが、とうとう良い方法が思いつくことはなかった。


 犯行勢力が隠れているらしい建物までたどり着いてしまった。


 そこで、最後に小声で打ち合わせをする。


「私が先行するわ、貴方達は後からついてきなさい」

「手柄を横取りしようたってそうはいきませんよ」 

「ぜんぜん、そういうのじゃないわよ。効率を感型だけ。地図を見た? 狭い通路がいくつもあるんだから、実戦慣れしてる私が前に出た方がやりやすいでしょう?」

「……分かりましたよ」


 苦労して意を唱える騎士を説得し、何とかステラは望んだポジションをキープする。

 自分がうまく幕を引ければ、余計な争いを起こすことなく事を収められると思ったからだ。


 打ち合わせを終えた後は、やるべき事をやるだけ。


「時間ね。いくわよ」

「りょうかい」


 視線で合図し、中へとびこむ。


 室内に人の気配があったが、それはまだ遠い。

 ステラは後続の騎士たちを引き離すように前に出た。


「侵入者だ!」


 しかし、ややあって、建物内部のいたるところから声が聞こえてくる。

 こちらの存在に気が付いたらしい。


 一気にあわただしくなって、建物内に喧騒が満ちる。


「おい、こっちからも声がするぞ」

「グレイアン様からの直々の命令だ。逃がすとまずい」


 それが、まずかった。

 騎士たちは、声がするらしい各方向へばらばらに進み始めてしまったからだ。


 足を止めたステラが注意するものの、彼らは聞く耳をもたない。


「戦力を分散させてはだめよ。相手の規模は知っているでしょう。きちんと作戦通りに動いて!」

「うるさい! どうせ、手柄を独り占めするつもりだったんだろ! 平民なんかに手柄を渡してなるものか」

「私は、そんな事」


 少しも考えてない。

 ただ、両方とも助けようとしただけ。

 それだけだったのに。


 彼らは建物の各地で戦いを始めてしまう。


 もうステラ一人では、事を収める事が不可能になってしまった。


「どうして、こんなことになるのよ……っ」


 あれだけ悩んで、考えて、悲しみぬいて選択した方法があったのに。

 それを選べば、犠牲は一人ですんだのに。

 現実は甘くはなくて、ただステラをあざわらっていた。


 もう、どれだけ頑張っても無駄なのだと、そう思いたくなる。


 膝を屈したくなる。

 しかし、それでも、ステラは。


「っ、戦いをやめて降伏しなさい。この場所は包囲されているわ!」


 顔を上げて前を向く。


 これで、全員を助けられなくなってしまったかもしれない。


 けれどだからといって、助かるかもしれない一人を見捨てることはできない。

 その人にとっては、たった一つの命なのだから。


「剣をおさめてくれれば攻撃しないから!」

「何甘い事いってるんだ。血すじだけじゃなく、平民は頭の出来も残念なのかよ。グレイアン様は殺せと命令していただろ」


 けれど、他の騎士たちは背中を向けた者にも、もう戦えない物にも容赦なく剣をふりおろしていく。


「だからって、そんな……こんな事、こんなの騎士の仕事じゃ」

「ああもう、うるせぇな、王様から贔屓されてるからって調子乗ってんじゃねぇ! なあおい、もう面倒だからここでやっちまおうぜ。卒業していない半端ものなんだ。見た目だけの奴だ。どうせ大した事ないんだろ」


 それどころか、こちらにまで剣を向け始めた。


 なんでそうなるのかステラには分からない。

 自分がいる場所は、そんなにも救いのない場所なのか、地獄のような場所だったのか。


 良心なんてまるで見られない騎士達に囲まれたステラは、震える手で剣を握りしめた。


 ステラがどうあがいても、この世界がこんな答えしか返してくれないというのなら……。


 もう、頑張らなくてもいいんじゃないだろうか。

 楽になっても良いんじゃないだろうか。


 自分の事だけ考えて、自分のためだけに生きていっても良いんじゃないだろうか。


 だからステラは、この剣で彼らを殺してしまたって、いいはずだ。

 身を守るためなんだから。

 自分の幸せを守るためなのだから。


「……、……」


 答えがでないまま、衝動のままに剣を振ろうとするステラ。

 しかし、その動き離されなかった。


 なぜなら。


「遅くなって悪かった」


 そこに、大切な思い人が立っていたからだ。


「ツェルト!!」












『ツヴァン』


 ツェルトやニオ達と協力して、ステラを王宮から救い出す事が出来た。


 計画に時間がかかったが、間一髪と言ったところだろう。

 

 ステラが、ステラの仲間に……いや、かつての仲間達に殺される姿なんて、見ずに済んだのだ。


 それからは、ニオ達が潜伏している隠れ家にかくまって、おとなしくさせることになった。


(本意ではないとはいえ)王宮の騎士として働いていたステラの立場が立場なので、また部屋の中にこもり切りにさせてしまうが、こればかりはしょうがない。


 ステラの両親達には、ヨシュアから連絡をつけた。


 しかし、利用価値がなくなった彼らはこのまま解放されるかと思ったが、まだ見張られているようだった。


 なんでも今度は、母親の能力に目をつけられたとかいう話で、どうあってもステラの周囲は平穏な生活が送れなさそうだった。


 一方、お尋ね者になっていないツヴァンの方は、犯行勢力の小間使いとして雑用を押し付けられている。

 顔が知れていない人間は貴重らしいため、いいようにこき使われていた。


 一応元騎士であるツヴァンだが、色々あってこちらの生存を知る人間が少ないのが功を成しただろう。








 そういうわけなので、雑用を押し付けられたツヴァンは町に出ていた。


 こまめに必要になる生活物質は誰かが調達しなければならない。

 だが、束になったメモ(しかも書かれている文字が膨大)を見ると、気が滅入ってきた。


「ったく、ウレムの奴。卒業後に教師こき使ってんじゃねぇよ」


 文句を言いつつ店をめぐっていくと、露店を出している少女に声をかけられた。


「そこのおにーさん。いやおじーさん? ちょっとだけ、うちの店見てかない?」

「客に媚びるなら、呼び名は統一しろ。生憎とガキの相手するほど暇じゃねぇよ」

「じゃあじゃあ、銀髪の王子さま! ちょっと売り上げに貢献して私を助けて下さいな」

「見え透いた手口すぎんだろ」


 なれなれしい少女に声をかけられながらも歩みをとめないツヴァンだが、相手の少女はこちらの腰にしがみついてきた。離れない。


 通りで目立って、ちょっとした見世物になってしまう。


「ちょっとストップー。おにーさん。あたしのお店を見捨てないでよ」

「うるせぇ、小遣い稼ぎなら他ぁ当たれ」

「ちっ、けちけちじじぃ」

「あぁん?」


 鮮やかすぎる態度の変貌に、思わず顔をしかめて視線を合わせてしまった。

 しかしそれが少女の手口だったらしく、にっこりと笑ってオハナシモードにはいってしまった。


 興味を持ってくれたらこっちもの、といった様子だ。

 よほど話術に自信があるのだろう


 こちらを離したは良いが、口から言葉が出るは出る。


 ペラペラしゃべり続ける少女の顔をよく見ると、片目が義眼だった。

 小遣い稼ぎと評したが、割と本気で商売をしているのかもしれない。

 憶測にすぎないが。


「奥さんにこんな商品はどうですかぁ、子供さんにはこちらがおすすめでーす」

「家庭なんざ持ってねぇよ」

「じゃあ、彼女さんにおすすめの商品を紹介しましよー」

「んなもん、いねぇよ。客引くんなら、ちゃんと相手観察しやがれ」

「えー、うっそだぁ」


 嘘なもんか。

 やりずらい少女を相手に、自然と眉根が寄ってしまう。

 ユースと会話している時のことを思い出してしまった。

 奴は、その場から一歩も動かずに口だけで相手を疲れさせるのだから、大した野郎だった。嫌な意味で。


 口が良く回る奴は苦手なのだ。

 ずっと、前から。


 客観察をないがしろにした少女店主は、なおも勝手に営業を続けている。


「あ、これなんて珍しい希少品なんですよ」

「珍しいと希少がかぶってんだろ」

「じゃーん、湖に封印されたばけものの絵本」

「……は?」

「誰が書いたか分からない一品でひじょーにあやしい絵本ですが、泣けると評判の手作り絵本。立ち読みしていったお客さんはもれなく、大泣き! びえーんお姉ちゃんこのオハナシ悲しいよーとの事です」

「ガキの感想じゃねぇか」


 とはいいつつ、不本意ながらも興味がわいてきたのは確かだ。

 ちょっと見せろ、と少女が持っている本を奪ってパラパラとめくっていく。


「……。誰が書いてんだよ」


 そこに書かれている内容をみて、元から深かった眉間のしわがさらに深くなった。


 内容が、割と正確だったからだ。

 ツヴァンにはそれが分かる。


 実際にその場面を見てきたから、よくわかる。

 見てきた……というか、当事者だった。

 

「さあー。でもどうでも良いじゃないんですか? 使えればだいたいおっけい!」

「おっけいじゃねぇ。商売やんなら、ちゃんと情報あつめろ」


 分かったのは目の前の少女が、喋れば喋るほと疲れる少女だったという点だけだ。


 疲労を覚えつつも、これ以上つきまとうなと財布の小銭をたたきつけてやる。


「まいどありぃー」

「さっさとこの町から出てけ。二度以上見たくねぇ」


 おかしな買い物をしてしまったような気がしないでもないが、いまさらだ。


 小銭を見つめてホクホク顔になっている少女から、再び話しかけられないうちにその場から離れることにした。









 隠れ家


 そんな事があったものだから、隠れ家に帰る頃には精神的疲労で疲れ果てていた。


 出迎えたステラが心配そうな顔をしている。


「えっと、大丈夫? なんだか、すごくげっそりしてるけど」

「なんでもない。しつこい物売りに絡まれただけだ」

「そう、それならいいんだけど。とにかくお疲れ様、仕分けは私がしておくわ」


 そして、こちらが持っていた購入品を引き受けて、言葉通り仕分けと整理を行い始めた。


 しかし、その手が途中でとまる。

 日用品やら食料品やらにまざっているおは品物に気がついたようだ。


「あら? これ、絵本よね」

「さっき言った物売りに買わされたやつだ。あれは本気で面倒だったな」

「貴方がそこまで言うなんてね」


 苦笑するステラは一見いつも通りだ。


「ニオが喜びそう。共用部分においておこうかしら」


 絵本の使い道について考えている様子は、普通にしかみえない。

 だが、それはただ虚勢を張っているだけ。


 あの日、任務の現場から助けて以来、毎晩眠れていないようだったからだ。

 たまに起きだして、夜中にぼうっとしているのを何度見たことか。


 たぶんそういう体質なのだろう。

 精神に負荷がかかると、眠りが浅くなる人間なのだ。


 そう考えていれば、珍しい購入品に興味をくすぐられたらしいステラが中身を読んでいた。


「湖の町に住むばけものの話……。ばけものは人を襲って食べてる悪い奴……」


 つづられている内容は大したことないものだ。

 絵本なのだから、文がそんなにない。


 ある時ある場所に、ばけものがいた。

 そのばけものは、たくさんの人を殺してたべていた。

 けれどその化け物は、自分の心の内にやどる悪感情を制御するすべををしらかなった。だから、感情に折り合いをつけるためにそうしていた……という話だ。


「と……、先にこっちを片付けちゃわないと」


 途中でわれに返ったステラが荷物の整理に戻る。


 ツヴァンはその姿を見ながら、聞いてみたくなった。


「お前だったら、そのばけものをどうする」


 その言葉を聞いたステラは手を止めずに、答えた。

 何でもない事のように。


「私だったら、まずは話をするわね。そして、共存するうえで何か問題があったら解決するために協力する、かしら」

「優等生すぎる答えだな」

「悪い?」

「もうちょっと、自分の事考えろよ。周りの奴が心配するだろうが」

「そう、よね。でも、それでも私のやるべき事は変わらないと思うの。だって、本当はそのばけものだって、悪い事なんてしたくないって、そう思っているかもしれないでしょう? だったらどんなに危なくたって確かめるべきだと思う」

「ほんと、かわらねぇよな」

「ツェルト?」


 少し油断していたようだ。

 思わず素を出してしまったのを誤魔化すようにツヴァンは言葉を重ねた。


「いや、俺が好きなお前のままだって言っただけだ」

「好きって、もう……。ごまかさないで」

「お前だって俺の事が好きだろ? なら、問題ないな」

「そうやって都合が悪くなったらすぐそういう事いう。なんでそんななのかしら」


 強引すぎる軌道修正だった気がするが、うまくごまかされたようだ。

 

 こんな歯が浮くようなセリフを日常的に述べていたツェルトの神経が信じられないが。








 隠れ家周辺


 ステラとの会話を負えて、隠れ家を出るとそこにツェルトが立っていた。

 ツェルトは、家の外壁を眺めながらこちらに話しかけてくる。

 決してこちらには視線を向けようとはしないままで。


「で、様子はどうだ先生」


 誰の、などと聞くまでもない。

 ツヴァンはステラの状態について口にする。


「まあまあだな。安定してはいるが、毎晩眠りにつけてねぇ。それ以外は普段と変わらねぇよ」

「そうか……」

「……」


 無言が語るのは躊躇いの感情だ。

 そわそわとした様子で、思案している気配を伝えてくる。

 ツェルトは何かこちらに聞きたがっているようだった。


「話があんだろ?」

「……まあ、な。それ、この前見た時と全然違うんだけど、どうなってるんだ?」

「ああ、これか」


 ツェルトが初めて視線をよこしたのは、ツヴァンの髪だった。

 指でつまんだそれは色がぬけたような白髪になっている。


 ストレスで髪の色が抜ける、なんて話は聞いた事があるが、そういった類のものではない。


「まあ、気にすんな。俺が俺である事に変わりはねぇよ」

「気にすんなって言われても……気になっちゃうから聞いてるんだけどな」


 自分では大したことないと思っているのだが、周囲の人間には意外とそうでもないらしい。

 見た目が変わる事は今の状況では大歓迎なのだが、不安の種はなるべくなら残したくない。


「つっても、お前が理解できるような事は話せねぇぞ。昔色々あって、人間じゃない時があったけが、今はただの人間。これはその名残のようなもんだ」

「まじで、よくわかんない説明だったな……」

「だから言っただろーが」


「つまりどういう事だ?」と混乱し続けるツェルト。

 

 元生徒には悪いが、本当にこれ以上のことは話すつもりはない。


 この時代、今の状況には関係のない事だからだ。


 その後、互いの近況を報告しあって、別れる事になった。


「ステラの事、頼んだからな」

「安心しろ、こればっかりはちゃんとするつもりだ。いつも、あいつを一番に考えてる」

「……その言い方だと不通逆に安心できなくなるよな? 分かっててやってるのか?」

「何が不満だ。きちんと言ってやっただろうが。それとも、俺の一生つかってあいつの命を守るとでもいえばよかったってぇか」

「やめろ! 不安になるような事重ねてくるな。怖いんだよ先生」


 何がだよ、と思うがそれ以上の事は言いたくないらしい。

 頭を抱えるだけだった。


 はぁ、と息をついたツェルトは切り替えるように告げる。


「俺はステラが好きだ」


 知ってる。

 そんなことは、もうずっと前から分かりすぎるくらいだ。

 その時だけはまっすぐに視線が合った。

 

「だから、ステラを守りたい」


 その思いが報われる時が来るのかどうかは分からない。

 それなのに、ツェルトには迷いがなかった。


 頭をさげてきた。


「頼む。俺の代わりにステラを守ってくれ」









 隠れ家


 しかし、その約束が危なくなるのは、そう遠い日ではなかった。


 一時的な物だと思ったがどうやらツヴァンの肉体的な変化は、ステラの精神状態に影響を受けているらしい。


 それが分かったのは、犠牲が出てからだ。


「あぁ、あぁぁぁぁ」


 隠れ家がかぎつけられた。

 それで、騎士たちがなだれ込んできて、多くの犠牲者が出てしまった。

 幸いにも主要なメンバーは逃げられたが、犠牲の方が多い。


 ステラは、彼らを脱出するための時間を稼いでいたのだろう。

 その手に握っているものから、剣を握って戦ったのが分かった。

 だが、その抵抗はあまりにも小さすぎた。


 剣を向けてきたのは元騎士でなければ、襲われたのが夜中で不意をつかれた形でなければ、何かが違っただろうか。


「どうして」


 戦いに参戦したステラの身元はばれていない。

 やってきた敵はすべて、ツヴァンがつぶしたからだ。


 けれど、救えた味方は少なかった。


 たくさんの犠牲の中で生き残ったステラは、理想に押しつぶされてしまったのかもしれない。


 悲痛な声を上げながら、顔見知りだった誰かの、動かない手をにぎりしめている。


 ツヴァンはその肩を叩いて、慰めてやるべきだったのだろう。

 けれど、それはできない。


 泣いているステラを守ってやることも。


 彼はもう人間ではなくなってしまったのだから。


 泣き叫ぶ、金髪の少女に背を向ける。


 かみ砕いた人間の頭を腕を、足を腰を、こぼしながらできるだけ遠くへ向かう。

 この意思があるうちに、遠くへ。

 遠くへ。


 けれど。


 足音がおいかけてきた。


 ついてくるな。

 ついてくるな。

 ついてくるな。


「待って。行かないで」


 俺はもうお前をまもってやれないんだ。


 一人にしてしまうけれど、俺がころしてしまうよりはうんといい。


「一人になったら駄目なの。だって、そんな事……」


 しぬよりこどくていてくれたほうが、まだいきられる。

 かのうせいが、あるなら。おいていったほうがいい。


 いきてほしかったんだ。

 ずっと、そうおもっていた。


 ただ、りそうがついえても。

 どろにまみれたとしても。

 かなしくて、しにたくなっても。

 むりょくにうちひしがれていたとしても。


 おれはただ、たいせつなひとに、いきてほしかっただけだったのに。


「――貴方は一人になったら駄目なの!」


 歩みがとまる。

 金髪の少女が追いついてきた。


「一人にならないで。それはとても寂しいから。つまらない事ばかり考えてしまうから。一人にだけはならないで。私が一緒にいてあげるから。貴方がしてくれたように、傍にいてあげるから」


 ずっと変わらなかった。

 どんなに冷たい雨に打たれても、その心を打ちのめされても、彼女の本質は変わらなかった。


 ステラは、もう人間のそれではなくなってしまったものに触れてきた。


 温もりは感じない。

 感覚もない。

 でも、何も感じなくても心を感じた。


「たとえどんな事が起きても、一人ぼっちになんてさせやしないわ。だって私は貴方が尊敬してくれたステラ・ウティレシアだもの」


 この先、十中八九ろくでもない事が起きるだろう。


 きっと全部幸せにはならない。

 遠くへはたどり着けない。


 それでもまだ守っていくだけの力は、ここにあった。


 同じ思いなのに、違う場所を歩いている。


 それでも二人は歩いていた。

 どこまで行っても決してまじわらない平行線の道の上を。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

平行線の世界 仲仁へび(旧:離久) @howaito3032

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ