30 最後の試練(1)


「あれ……あれ? 直人?」

「あ……………………うん」


「なんでこんな時間に……って、シャワーの音で起こしちゃいましたか? ごめんなさい、寝る前にどうしても入っておきたくって。 うるさかったですか?」

「いや、その………………………………」


何で、隠さないんだ。


そんな、……運動しているって言っていたもんな、体はすごく引き締まっていて一切の無駄って言うものがなくって、しなやかで。


なのに女って証拠に控えめながらも胸があって、男とは違う尻やふとももの太さって言うものがあって………………………………全身が白くて、つるつるで。


俺がただ突っ立って見ているだけだからか、いつものクセで、また、こてんと……少しばかり頭を傾けただけで、ただ不思議そうな顔をしていて。


何で、俺に見られても……少し恥ずかしい程度の表情なんだ。


タオルは両手で持ったまま、なのに隠すこともしないんだ。


俺に体を……きっと劣情を込めた視線がなめ回しているのが分かっているはずなのに、それでも平気なんだ。


「恥ずかしい」程度なんだ。


「…………っ、せめてタオルとかで体を隠したらどうだ」

「え? ……ああ、そうですね、僕、一応女ですものね」


絞り出すようにして声をかけ、早咲の白い体に白いタオルが巻かれ始めてからほっとするとともに、そもそも俺自身が目を逸らすか後ろを向けばそれで済んだのにって気がつく。


……出て行けとか見るなとか言ってくれた方がよっほど気楽だと思う。


下手に俺のことを「同性の友人」って思っているからこその反応なんだろうけど。


いつも女子を……聞くところによると手当たり次第に連れ込んだりしているらしいから、人にはだかを見られることに抵抗が無いのかもしれないけど。


でも、初めて見た女性のはだかが早咲だった俺にとっては、今の光景はあまりにも強烈すぎて。


「……ふぅ、これでいいでしょうか。 ごめんなさい、貧相なものを見せてしまって」

「いや、それ、男のお前が、あ、いや、女になってるお前が言う台詞じゃ」


………………………………。


……バスタオルで体を隠してくれたけど、たった今風呂場から出て来たらしく髪の毛からは止まることなく水が滴っているし、それが額や肩や胸元……脚へ水が流れ、下のマットに吸い込まれていく。


それがなおさらに生まれたままの姿だった早咲の体を思い起こさせて、俺は……抑えるのに必死で、早咲との会話も虚ろだ。


「だってー、背が高いのにそれに見合わない体型でしょう? まぁ、運動するときには楽ですし、なにより精神的な体って言うんでしょうか、そういうものとそこまでズレがない感じなのでいいんですけどね」


「………………………………………………………………………………………………」


「……あ、こんな時間におふろ入ってた理由ですか? あのですね、僕、さっきまで映画観ちゃっていたんですよー、それも2作続けて。 よくあるじゃないですか、お勧めって出たから思わずーって。 あ、直人が寝た後からですよ? で、さっき見終わってほっとひと息ついて、お湯湧かして。 入る前にちょっとだけ直人の寝顔見たんですけど、ぐっすりみたいだったので気にしなくてもいいかなーって思っていたんですけど、やっぱり夜中に長いシャワーは駄目ですねぇ。 今度からはなるべく早く入ります」


「あ、……ああ」


「起こしちゃって、その上、気まずい目に遭わせちゃって。 ごめんなさいねー、ほんとうに」

「いや、……俺は」


いっそのこと怒られた方が楽だった。


マンガみたいに、アニメみたいに、引っ叩かれたりして。


だけどこいつは「男」だから、そもそも怒る理由がないんだ。


だから俺は、あいかわらずに早咲のタオルの起伏から目を離せないんだ。


………………………………。


……こいつ、髪の毛をくくっていないときは肩まで届くんだな。


ぱっと見ると、……いや、見なくても「女」でしかない。


だから俺は動けないままなんだ。


「えっと…………………………?」

「……………………………………」


沈黙が流れる。


お互いに息をしている音しかしない空間。


シャンプーのいい匂いが熱気とともにこもり続ける空間。


………………………………男と女だけの、空間。


………………………………………………………………………………………………。


いや、そうじゃない。


早咲は男なんだ、だけど体は女、いつまでもここにいたら失礼以前に犯罪だろう。


いくら中身は男だろうと体は女なんだからな。


「……とりあえず。 ……その、悪い、悪かった。 ノックもせずに入って来て」


「いえいえ、そもそも鍵忘れたの僕ですし。 そもそも換気扇ついているから聞こえなかったでしょうし」


「とっ、とにかく済まなかった! 俺、すぐに出るからっ…………………………!?」


と、急いで出ようとしたのが間違いだったのかもしれない。


一瞬で真後ろを向くって言う、元々運動神経もいい方じゃなくて最近ろくに運動もしていなかった俺の体にとっては難易度の高い動きをしたせいか、それともさっきからぼーっとしていたのも寝起きだったからかは分からないけど、気がついたら足首の痛みとともに俺の視界は傾いていた。


バスタオルを巻いただけの早咲を視界の隅に捉えたまま、足がもつれた感覚と三半規管が転びかけている、って言う信号を感じたまま。


「っ! 直人、危ないっ!」


………………………………………………………………………………………………。


体に、軽い衝撃が走る。


思わずの反応で……体育でボールが不意に飛んできたときとか虫が飛んできたときとか、そういうときみたいに目をつぶり、ただ衝撃に備えていた。


……だけど、思っていたよりはずっと弱いものだ。


それに、なんだか………………………………柔らかくて温かい。


柔らかいのはバスマットのおかげで、温かいのは熱気のせいか?


いや、それにしては柔らかすぎるし、温かすぎる。


その上、後ろから倒れたと思ったのに……気がついたら突っ伏すようにしているし。


何が起きたの、か、……。


………………………………。


目を開く前に、背中が冷たくなり体の一部が熱くなる。


何とかしてその衝動を、妄動を抑えようと必死になっている内に、耳元から声が聞こえてきてしまう。


――――――――――抑えられる限界を超えつつあったところにトドメとして。


「直人。 ケガはありませんでしたか? どこか痛いところは?」

「――――――――――――――――――――おかげで、無いよ」


「そう、よかったです。 大切な大切な男子で……あ、友人って言うのもありますけど、そんな直人がケガをしたとなれば僕がどんな処分になるか分かりませんし」


「――――――――――――万が一そんなことがあれば、俺が全力で止めさせる」


「………………………………。 ……そうですか。 ふふっ、格好良いですね? ですがそういうのはお嫁さんになる子に言ってあげてください。 そういう、昔の映画での演技とか創作の世界でしかお目にかかれない……ちょっと変ですね、そういう台詞はこの世界の女の子にとっては夢の中の夢なんですから。 もちろん、お嫁さんに限らず囲う子に対しては、積極的に囁いてあげてください」


そう言いながら早咲に軽く胸を押され、それに合わせて俺は腕に力を込めて体を持ち上げる。


なるべくゆっくりと、腰を引かせるようにして。


――それはもちろん、ほら。


今、こうして目を開けたら飛び込んできたような姿勢になっているからだ。


俺の目のほんの30センチくらい下には早咲の整った顔と地面に広がる髪の毛。


俺の両腕には早咲の……俺をかばって下に来たときの衝撃で取れたんだろうか、さっきまでタオルで包まれていた胸が当たっている。


俺の腹の下には早咲のすらりとしてくびれに沿って女らしい形をしている腰。


そして、膝をついた状態の俺の腰の下には。


右膝がもう少しで触れそうになっているのは……早咲の、ふともものつけ根、……開いた状態の、股。


つまり、結果として俺は、せっかくのバスタオルが解けてしまって……全裸の早咲を押し倒した形になっていて。


ついでに言うと、無意識でか偶然でから分からないけど俺の両腕は早咲の柔らかい胸を軽く両側から押す形になっていて、俺の両膝は早咲の股のすぐそばにあって。


「………………………………あのー、直人?」

「………………………………………………」


さっき俺は後ろに……いや、傾いたって感じだったから横にか、倒れそうになっていた。


なのになぜこうしてうつ伏せになっていたんだ?


それに早咲も、あまりにも動きが速すぎないか?


だって、俺が転びかけてから転ぶまでには長くて2、3秒だろう?


そんな一瞬で俺の下敷きになって……しかも、きっと背中は痛いはずだ。


頭だって打っているかもしれない。


いくら鍛えているって言っても、いくらバスマットがあるからって言っても、背中から滑り込んで男ひとりを受け止めるって言うのは間違いなく痛いはず。


それなのにどうしてこいつは平気なんだ。


身体面でも精神面でも。


だってこの状態は……。


「……直人ー? あのー、直人ー?」

「………………………………あ、う」


声が出ない。


あまりの情報量に……感情と劣情とで頭がきちんとした方向に働かない。


「痛みとかなかったら、そろそろどいてくれますかー? この体勢、けっこうきついんですよぉ。 それに天井の光がまぶしいですし」


「………………………………………………………………………………………………」


「……あと、ですね?」


早咲の声に引きずられ、俺の目が早咲の目とぴったり合う。


心なしか潤んでいて、頬が赤くなっているように見える……ああ、これが上気した顔ってやつなのか、なんて思考が駆け抜ける。


「いくら男同士でもですね、この状態でおっぱいとかおまたとかを見たり、腕でおっぱいふにゅんってするのは止めてくれませんか? ……あー、直人ってラッキーなんとかって体質だったりします? なーんて、冗談です。 ……で、ですね? 見ちゃうのはしょうがないですけどね、僕だって直人の立場ならそうしちゃうでしょうし。 だから……えっと。 ………………………………。 お、おーい、なおとー。 そろそろどいてくださいよ――……あれ、聞いてます?」


もぞもぞと動く……からこそ余計に目が胸に吸い寄せられてしまう情けなさに自分を殴りたくなる。


けど、………………………………どうしようもないんだ。


こんな状態になった以上、俺にはもうどうしようもない。


だって俺には、こんな経験はなかったんだから。






直人くん、最大のピンチ。健康な男子高校生的に。

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