25話 失った友情と、恋慕


夜が明けた。


……ある意味、地獄の夜が。


そうして寝不足の、……寝かけては起きてを繰り返すタイプの、夏休みとかにやってもう二度と経験しないって決めていたタイプのそれが、俺を死にそうな目に遭わせていた。


それは、精神的な面と、肉体的な面が……有り体に言えば、興奮しすぎていたからだろう。


恥ずかしい限りだが、こっちは母さん以外の女性……「女」と、こんなにも近いところで暮らしたことがなかったから耐性がないんだ。


……うん、これはきっと、同級生の男子の大半と同じだろう。


理性が働いていた分だけずいぶんとマシ……だと、そう思っておかないと俺の気持ちが。


「直人? ほんとうに大丈夫ですか?」


………………………………眠い。


頭が働かないっていうか、もういろいろと、どうでもいいって感じになっている。


頭も体もくらくらするし、ふらふらする。


「……まだたったの2日です。 おとといは……その、緊張が抜けたばかりだからぐっすりと眠れただけで、やっぱりあのときの傷はまだまだ癒えていないんですよ。 ですからっ」


となりを……俺の肩に両手を乗せながら、心配そうに声をかけつつ俺の斜め後ろを歩く早咲。


いくら男に見える格好をしていても、今はどうしても女にしか見えない早咲が。


………………………………その優しさが、昨日の夜からずっと辛いんだ。


「ほら、無理をしたら結局は直人が苦労するんです。 今からでも部屋に戻って」

「……平気だ。 授業くらいは問題ない」


「いえ、どう見ても眠れなかったんじゃないですか! お肌の調子だって昨日より悪いですし、クマだってできていますしっ」


とん、と目の前にひとっ飛びして……目の前から両肩を掴んでくる早咲。


ぐい、と……ほんの少しだけ低い身長を補うために背伸びして顔を近づけてくる、早咲。


………………………………だから、近いんだって。


昨日の夜……夕方まではむしろそれがいいって思っていた距離感の近さが、今はむしろ困るものになっているんだよ。


だけど、それを言ったら俺が早咲を「女」として意識してしまっていることを早咲本人に……俺のことを「男の友だち」だと思ってくれているこいつに教えることになる。


それは、絶対に駄目だ。


知られたら……もう、親友どころか友人にもなれなくなるんだから。


「ほ、……ほら。 眠れないって言っても、仕方ないから本とか読んでいたしな? それに俺、一気読みとかゲームとかで徹夜することあるし……慣れているから大丈夫だ。 なんならテスト前なんかいつもこうだしな」


嘘だ。


俺は徹夜なんてできる体質じゃない。


数少ない友人たちからはよく聞いていたようなことを言っただけだ。


俺自身は、どれだけテンションが高くたって……遅くとも3時ごろには眠気に耐えきれなくなって昼まで寝たくなるものの、母さんにいつもどおりの時間にたたき起こされてその日1日を苦しい思いをしながら過ごすしかない体質なんだから。


おまけにその何日か後には決まって風邪を引くしな。


「ほんとうですかー? ウソはいけませんよー?」


だから止めてくれ早咲。


ジト目なんかされたら、もう完全に女にしか見えないじゃないか。


「ほ、ほんとうだって。 そ、それに……そうだ! 少しは外に出て気分を変えたいしな? いくら安全で安心できるからって言っても、いつまでもあの部屋に引きこもっているわけにはいかないんだしな? あと、早咲にも負担かけるし」


「僕は……おっと、私はいいんですけど」

「いやいや、悪いって。 主席なんだろう? 俺のところにいるあいだ勉強も運動もろくにできないだろ」


今度は嘘じゃない言い訳ができた。


少しだけ、……少しだけ心が軽くなる。


「ん――……まあ、1週間過ぎたくらいから少しずつしようとは思っていましたけどねぇ。 そのくらいの余裕は作っていますよ」


「当の本人な俺が大丈夫だって言っているんだよ。 もう2日近く一緒にいてくれたおかげで、俺、今はずいぶん楽になったんだからさ」


これもほんとうだ。


襲われそうになったあの夜、そのまま軽いカウンセリングとかを受けたけど……実はあの時点で俺はほぼ元通りに戻っているっていう自覚はあったんだ。


あの悪意以上に心強い……絶対に信用できる「友人」がいたっていう事実で、俺はもう引きこもる必要もなかったんだ。


ただ、みんながものすごく……徹底的に顔を合わせないようにしている時点で相当に心配しているんだろうなって考えていただけで、俺にとってはあの襲撃はどうでもいいものになっていたんだ。


ただ……せっかく見つけた早咲って言う友だちと、もう少しだけ、修学旅行の自由時間のような時間を過ごしたかっただけなんだ。


だけど。


早咲は、男の友だちから女の、……親しい人になってしまった。


「けど……直人にとって、この世界の男子生徒にとって成績なんてささいなものですし。 無理に授業に出る必要もないんですよ? 出席だってしなくても卒業できるんですし……なにより、直人にはまだトラウマが残っているはずなんです、そのトラウマの相手の「女性」だらけの教室に行く必要は」


ああ、早咲は優しい。


俺が女なら惚れそうなくらいに。


……男なのにそうなっているっていう時点で、俺はもうどうしようもない人間なんだ。





昨日、あの晩、早咲のことを意識しているっていう自覚がはっきりとした後。


早々に風呂から上がった俺は、眠いからとさっさと寝室に行こうとして……昼間に、おとといの夜と同じように同じ部屋に寝ようという早咲の提案にうなずいていたことを思い出した。


俺自身が墓穴を掘っていたっていうのに気がつくと同時に、このままじゃ夜も眠れない、かと言って今さら別の部屋でと言ったら俺が意識しているのを察せられるかもしれなかった。


だから俺は、寝る前にタブレットで読むからと……さすがはこの世界の男としてのVIP待遇だな、頼んで1時間もしないで運び込まれた、ちょうどいい感じのついたて越しに早咲と寝た……、同じ部屋で、別々のベッドで睡眠を取ったんだ。


もっとも、俺はたいして眠れなかったけど。


いや、眠くはあった。


ただ、どうしても早咲の……姿さえ見えなくなったものの、寝息とか寝返りの音とかが聞こえてきて、そのたびに目が冴えただけで。


そんで、眠くなっては起きてを繰り返すこと数回で朝。


……あんな状態が昼も夜も続くんだったら、まだたくさんの人がいる教室で学生らしく授業を聞いて……早咲が言っていたとおり俺の成績っていうのはたいして問題にならないらしいから、なんなら居眠りでもしていた方がよっぽど精神的に楽だからな。


「だから早咲……、えっとほら、こっちで生きていくんだったらさ、いくら成績気にしなくてもいいって言ったって、勉強、追いついて……そこそこできた方がいいだろ? 授業出てるうちに一般常識とか……放課後とかに教えてもらってたもんも分かってくるだろうしさ!」


「それは……まあ、そうでしょうけど。 もし……あのときはそう思っていたので、もう、ですけど、直人が私と同じような世界から来たということでしたら、ああいう扱いは」


「そうだよ、ああいう……お客さま待遇って言うのか? そういう特別扱いされて最初はラッキーって思ってたけど、やっぱそろそろがんばりたくなってきたって言うか!」


廊下で立ち止まったまま、働かない頭で必死に説得しようとして早数分。


周りの護衛さんたちも、これどうしよう……みたいな雰囲気で待っているし、予鈴も鳴っている。


ごめんなさい、護衛の人たち。


……と言うかこの人たち、たぶん早咲のこと知ってるよな。


昨日とかに軽い散歩に出たりしたときにも、「僕」っていうのとたまに混じるくだけた口調で話していたりしたし。


もっとも、この人たちは常に俺から……俺と早咲の会話が聞こえない程度のところで立っているから、細かい話は聞こえていないはずだけど。


いや、でも……ときどき聞こえることはあるだろう。


風って、結構声を運ぶからな。


で、この先のエリア……男子生徒の関係者以外の、つまりは俺がこれまで学校だと認識していた場所に出る。


今なら引き返せるよ?……みたいな感じで俺を戻そうとする早咲と、早くここから出て他人のいる空間に行きたい俺。


それはさらに数分続いて………………………………とうとう早咲が折れた。


「……はぁ……分かりましたよ、そこまで言うのであれば。 ……あー、まあ、男ならいちど決めたらもう、変えませんよねぇ。 その辺女の子であればうまいこと言えば僕の言うとおりに……とと。 そういうことでしたらもう止めませんね。 それなら私……あ、みなさんの前では「私」で通しているのでよろしくお願いしますね? 教科書とかを取りに行くついでに先生方に知らせて来ますね。 なので、直人さんは先に教室に行っていてください」


「ありがとな、早咲」


配慮してくれて、という意味と、折れてくれて、という意味で。


「まあ、ほんとうに直人が平気かどうかって言う、女子だらけの空間であのときのトラウマが起きないかどうか確かめるいい機会ではありますし。 ……けど、まだあれからたいして時間が経っていないんです、無理はなさらないでくださいね?」


「……もちろんだ」


「それでは、また後で、教室で。 ……すみませーん、直人と話していたんですけど……」


………………………………。


遠ざかっていく早咲。


護衛さんと二言三言を交わした後、もういちど振り返って手を振ってきて……そのまま出て行った。


「…………………………………………………………………………………………」


廊下はしんと静まる。


俺がぼけっと立っているのと、俺の周りの護衛の人たちが……身じろぎもせずに立っているだけだ。


と、俺はそこで気がついた。


…………………………俺、夢中だったから鞄すら持ってきていないじゃないか。


……疲れたし、戻って……少しだけ休んでから教室に出よう。


確か今日の時間割、最初はLHRだったし、30分くらい平気だろうし。


「………………………………、はぁ――……」


とぼとぼと引き返す。


……早咲とふたりだけの空間が、俺にとってこの世界でいちばんに楽な空間だったはずなのに。


それなのに、それが俺の気持ちひとつで……こうも、いちばんに苦しい空間になるなんてな。


ぜんぶ、俺のせいなのにな。






早咲ちゃんと距離を置くという選択をした直人くん。その選択は果たして。

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