白夢神社の縁結び
翌朝、スマホのけたたましいアラーム音によって俺は覚醒した。片手を伸ばしてアラームを止め、上半身を起こす。急に起こされて早くなった鼓動を深呼吸によって鎮める。
立ち上がって照明を点けると、朱莉も体を起こして目を擦っていた。普段は綺麗に手入れされている長い髪がボサボサになっている。
「どうして貞治君が一緒に寝ているの?」
ゴミを見るような目付きで俺の顔を見上げた。誠に心外である。
「俺たちは今婆ちゃんちに泊まっていて、同じ部屋で寝た。以上だ」
「ああ……」
そういえばそうだった、という顔をして、小さなあくびを漏らした。
寝ぼけている朱莉は放っておいて居間へ行く。婆ちゃんは既に起きていた。
「おはよう、貞治ちゃん。起きるの早いね」
「おはよう。あのさ、俺たち今日白夢神社に初詣に行ってきていいか?」
「ああ、いいよ。お婆ちゃんは遠くには行けないから二人で行ってきて」
「分かった。なるべく早く帰って来るよ」
婆ちゃんは頷いた。
すると背後から足音が聞こえ、振り返ると朱莉がいた。
「朱莉ちゃん、おはよう」
「おはよう」
「朱莉、神社に行くこと話しといたぞ」
「うん」
それから俺たちは、婆ちゃんが作ってくれた卵焼きと味噌汁をほかほかのご飯と一緒に食べた。一人暮らしをしていたときや千沙の家では朝食で白米を食べることはなかった。温かくて優しい味が体の芯まで沁み込んでいく。
昔千沙や爺ちゃんと縁結びのお守りを買いに行ったという話を婆ちゃんにもした。婆ちゃんは「そんなこともあったねぇ」と懐かしそうに目を細め、今日は雨が降るかもしれないから傘を持って行きなさいと教えてくれた。
朝食を済ませたあと、出し抜けに朱莉が言った。
「貞治君、私今から洗面所で着替えるから」
「そんなんいちいち言わなくていいから、さっさと行ってこい」
と言いつつ、朱莉が着替えている間に俺も和室で着替えた。千沙や婆ちゃんならともかく、朱莉にパンツ姿を晒すのは教育上よろしくない。
朝の準備を全て終えると、俺たちは玄関で婆ちゃんに向き直った。
「じゃあ、行ってくる」
「気を付けてね、いってらっしゃい」
「いってきます」
朱莉も控えめな声でそう言った。婆ちゃんは、自分は行けないのになぜか嬉しそうにしていた。
マンションの渡り廊下へ出ると、東京の灰色の空が目の前に広がった。雨はまだ振っていないようだ。朱莉は婆ちゃんに借りた紺色の傘を手に持ち、俺は自分の折り畳み傘をバッグの中に入れている。
朱莉と二人でお出かけするのはクリスマスイヴ以来だ。あの日のように容赦ない寒さで手足がかじかむ。自分たちの街より高い建物が並ぶ街中を歩き、駅で電車に乗った。正月の朝だが人の姿もそれなりに多く見られた。
二十分ほど経つと、東京都内にある目的の駅に着いた。人の数も増え、駅前では初詣へ行こうとする老若男女が行き交っていた。俺と朱莉は離ればなれにならないように気を付けながら、彼らのあとに続いた。
大通りを歩き、交差点で曲がり、坂道を上ると、石の柵と深緑の木々で囲まれた広い敷地が見えてきた。都会のど真ん中にある神社で、入り口に建てられた巨大な石標には白夢神社と刻まれている。
「着いたぞ」
「人がいっぱいだね」
朝の九時過ぎだというのに、石畳の道に参拝者の列ができている。
「ああ、迷子になるなよ」
「子供じゃないんだから大丈夫だよ」
俺の目にはどう見ても子供にしか見えないが、敢えて触れないことにした。
「懐かしいなぁ。じゃあ、お守り買うとしますか」
「まずはお参りしなきゃダメだよ」
「……すいません」
また売り切れても知らねえぞと思いながら、二人で参拝の列に並んだ。
待っている間暇だからスマホで白夢神社について調べてみた。すると、この神社で縁結びのお守りが売られるようになった経緯がネット上に書かれていた。
安土桃山時代、とある恋人たちが正月にこの神社で不思議な白い鳥と出会い、卵を貰う。その後二人は戦で生き別れ卵も失くしてしまうが、数年後に生きて再会し、結婚する。二人が再会した場所には不思議な白い鳥から貰った卵が落ちていたという。のちにその鳥はシラユメドリと呼ばれるようになり、白夢神社は縁結びの神社として語り継がれるようになった。
現在売られているお守りは卵のような形をしていて、伝説に倣って一組のペアにつき一個だけを販売しているらしい。だがその融通の利かない形式と希少価値が逆に人気を後押ししているようだ。ペアの組み合わせに関して決まりはない。恋人だろうと夫婦だろうと親子だろうと兄弟だろうと友達だろうと同性だろうと、とりあえず二人組であれば何でもいい。伝説でシラユメドリが出会ったのはたまたま恋人同士であったが、卵は万人に対して授けられるという解釈だ。縁結びというよりは関係を長続きさせるためのお守りなのだろう。
そんな風にネットを見たり朱莉と雑談したりしているうちに、参拝の番が回ってきた。
俺は一円玉、朱莉は五円玉を賽銭箱に投げ入れ、鈴を鳴らした。
「朱莉、俺の真似しろよ」
「うん」
俺は作法通り二礼二拍一礼をした。お願いごとを念じるのではなく、神様に感謝の気持ちを伝えるのが正しいやり方だ。でも俺は何も願わないし、神に感謝もしない。自分でどうにかする、ただそれだけだ。
横目で見てみると、隣に並ぶ朱莉もちゃんとできていた。朱莉は何かを願ったのだろうか。千沙に関することだったらいいのだけれど。
参拝を終えたあと、ようやく縁結びのお守りを買うことにした。
朱莉は気付いていないが手水は割愛している。理由は冷たくて嫌だからだ。
売り場の方に行ってみると、神社に到着したときよりも人が増えていて、またしても行列になっていた。人気があるのに窓口は一つしかない。仕方がないので最後尾を見つけて後ろに並んだ。
「縁結びのお守りも売ってるから、やっぱりカップルとか夫婦が多いな。縁結びは二人組にしか売らないらしいぞ」
「あっ、そうなんだ」
「俺たちは兄妹という設定にしとくか? お兄ちゃんって呼んでくれてもいいぞ」
「き、気持ち悪い……」
「間違っても貞治君なんて呼び方するなよ。ペアの女子小学生から貞治君って呼ばれたら貞治君捕まっちゃうから」
「もう分かったから……」
俺の馬鹿話に朱莉はすっかり呆れている。そして話題を別のことに切り替えた。
「でもママが行ったときは二人じゃなくて三人で行ったんだよね? ママどうするつもりだったんだろ」
「当時は売り方が違ったのかもしれないし、千沙が知らなかったのかもしれないし、別に三人で行ったってその中から二人で買えばいいだけだ」
「そっか」
「まあ千沙なら爺ちゃんとじゃなくて俺と二人で買うだろうな。女子高生と爺さんのペアはさすがに絵面がヤバすぎる」
俺はケラケラと笑った。
しかし、朱莉は表情を変えずに何かを考えているようだった。
「……ひいお爺ちゃんって、どんな人だった?」
どこか遠い目をしながらぽつりと言った。
「俺が小さいうちに死んじゃったからよく覚えてないけど、なんか口を開けば婆さん婆さんって言ってたな。ここに来たときも婆さんとまた来たいって言ってた気がする」
「どうして死んじゃったの?」
「病気だけど俺も詳しくは聞いてない。でも、ぽっくり逝っちまった」
「ふーん……」
朱莉はそれ以上何も訊かなかった。どうしてそんなことが気になったのだろう。俺には分からない。
五分ほど経つとようやく売り場に到達した。窓口の向こうに、どう見ても女子大生が冬休みのバイトでやっている感じの巫女さんがいる。朱莉が前に出て彼女に向かって言った。
「縁結びのお守り、二つ下さい」
「すみません、そちらは一組様につき一個だけなんです」
巫女さんが慣れた口調で返答した。
「えっ」
朱莉は知らなかったようだ。そういえば個数制限のことは話していなかった。俺は後ろから朱莉に声をかけた。
「悪い、言ってなかったな。でも千沙の分は買えるからいいだろ。他のお守りでも買えば」
「うん……」
朱莉は少し迷ったが、すぐに決断した。
「じゃあ、これ一個だけください」
「五百円になります」
朱莉は財布から小銭を出し、縁結びのお守りだけを買った。他のお守りには興味がないようだ。
俺たちが売り場を離れると、ぽつぽつと雨が降り始めた。婆ちゃんが言った通りだ。俺は折り畳み傘、朱莉は婆ちゃんに借りた傘を広げた。境内にいる参拝者たちもそれぞれの傘を差した。
朱莉は後ろ髪を引かれるようにお守り売り場の方を見ていた。
「どうした?」
不思議に思って尋ねると、朱莉はどことなく寂しげな顔をして言った。
「縁結びのお守り、もう一個欲しかったな……」
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