歴史は繰り返す

 おせち料理を食べ終わると、婆ちゃんが俺と千沙と和樹と朱莉にお年玉を配った。孫が二十代になっても三十代になっても金をばら撒きたいらしい。それからみんなで集合写真を撮り、土産や食べ物を交換してお開きとなる。毎年繰り返される流れ。でも、ただそれだけのことがなんだか温かい。


 互いに別れの挨拶を交わし、先に俺の両親が帰った。

 それから千沙の両親と和樹が玄関から出た。千沙も家族と一緒に実家へ帰る。今は旦那もいないのに母親として頑張っているから、一日二日くらいはぐうたらするべきだろう。

 千沙は玄関で靴を履き、俺たちの方へ向き直った。


「それじゃあ、明後日の午後に来るから朱莉をよろしくね」


「ああ、ゆっくり休んできてくれ」


「言われなくても。朱莉、ひいお婆ちゃんとお話してあげて」


「うん、大丈夫」


「じゃあね」


 千沙は小さく手を振り、玄関の外へ出て行った。

 今この家にいるのは俺と朱莉と婆ちゃんだけになった。

 背後に立っていた婆ちゃんがしゃがれた声で言った。


「朱莉ちゃん、お風呂溜まってるから先に入っていいわよ」


「あ、うん。ありがとう」


「お婆ちゃんは自分の部屋で寝るから、二人は和室で寝てね。お布団敷いてあげるから」


 婆ちゃんは和室のある方向を指差した。


「手伝うよ」


 婆ちゃんが歩き出し、俺もあとに続こうとした。

 しかし、いきなり朱莉に袖を掴まれた。


「どうした?」


「私、貞治君と同じ部屋で寝るの?」


 朱莉はあからさまに嫌そうな顔をしていた。


「なんか文句あるのか、このちんちくりん」


「身の危険を感じる……」


 男と一緒に寝ると何かされるかもしれないということを女子は一体何歳の頃に、どんな経緯で学ぶのだろう。ネットかテレビドラマか少女漫画か、はたまた親や学校の先生からなのか。ふと、そんなどうでもいい疑問が頭の中を通り過ぎていった。


「ここで防犯ホイッスル鳴らしても意味ないからな」


「変なことしないでね」


「いや、絶対するけど」


「私やっぱり帰る」


「すまん、今のは冗談だ。嫌いにならないで」


「別にそこまでは言ってないけど……」


「じゃあ行くぞ」


「あっ」


 俺の袖を掴んでいた朱莉の腕を掴み返し、和室まで引っ張る。

 婆ちゃんは押し入れを開けて枕を出していた。


「朱莉、テーブルどかすぞ」


「うん」


 二人でローテーブルを持ち上げ、壁際に立て掛ける。


「ほい、持つよ」


 婆ちゃんが引っ張り出した敷布団を受け取り、畳の上に置く。朱莉がその二組の布団を少し離れた位置に並べて敷いた。掛け布団は畳んだ状態で壁際に置いておく。


「これでよし。朱莉、風呂入ってきていいぞ」


「うん……」


 朱莉は部屋の隅にあるキャリーバッグを開け、俺からは見えないように着替えを取り出し、風呂場へ行った。俺は布団に寝転がり、スマホでネットを見ながら時間を潰すことにした。


 三十分ほど経つと朱莉が風呂から上がり、水色のパジャマ姿で戻って来た。

 俺は寝転がったまま、居間にいる婆ちゃんに向かって声をかけた。


「婆ちゃん、風呂入ってきなよ」


「そうね、お先に」


 婆ちゃんの姿が見えなくなり、俺は朱莉と二人きりになった。

 朱莉はどこかぎこちない動きで、自分の布団にちょこんと座った。

 いつもとは違うシチュエーションだからだろうか、俺たちの間に妙な緊張感が漂っていた。話すことなんていくらでもあるはずなのに、上手く言葉が出てこない。朱莉も黙って座っているだけだ。


「まだ寝ないなら、テレビでも見てれば」


 ようやく口を開いたが、ちょっとぶっきらぼうな言い方になってしまった。


「うん」


 朱莉は立ち上がり、居間へ行ってテレビをつけた。ようやく俺たちの間の隙間を音で埋めることができた。バラエティ番組を見ているようだったが、朱莉の笑い声が聞こえてくることはなかった。


 二十分ほど経つと婆ちゃんが風呂から上がり、俺たちに言った。


「それじゃあ、お婆ちゃんはもう寝るからね」


 まだ十時過ぎだというのに、老人は寝るのが早い。


「分かった」


「じゃあ、おやすみなさいね」


「婆ちゃん、おやすみー」


「お、おやすみなさい」


 朱莉も婆ちゃんに向かって挨拶をした。婆ちゃんは嬉しそうに微笑み、ゆっくりとした足取りで寝室へ歩いて行った。

 俺も立ち上がり、居間に入った。テレビ画面の中では、お笑い芸人が白い部屋に閉じ込められて脱出しようとしていた。


「私、ひいお婆ちゃんの部屋入ったことない」


 朱莉は婆ちゃんの寝室のある方向を見て言った。


「昔は子供部屋だったらしいけど、今は寝室になってるんだ。狭い場所の方がよく寝れるんだって」


「ふうん」


「じゃ、俺風呂入ってくるから。覗いてもいいぞ」


「うん、やだ」


 朱莉は俺のしょうもない冗談を受け流し、再びテレビに顔を向けた。俺はさして気にせずに風呂場へ行った。


 子供時代を思い起こさせるどこか懐かしい色合いの湯船に浸かる。千沙の家の風呂とはまた違った安心感がある。そして、高校生の頃の千沙に「一緒にお風呂に入ろう」と言われたことをふと思い出した。やっぱり一緒に入っておけば良かったと少し後悔した。


 風呂から出てスウェットに着替えたあと、台所へ直行し冷蔵庫を開けた。扉の内側の飲み物を入れるラックにコーヒー牛乳のパックがあった。俺の好物だから正月はいつも用意してくれているみたいだ。


 コーヒー牛乳を注いだグラスを二つ、居間に持って行く。朱莉はまだテレビを見ていた。ローテーブルの上には千沙がみんなに配ったお土産の余りが箱ごと置かれている。


「苺饅頭食べようっと」


 俺は博多名物のお菓子を頬張った。あまおう苺の甘みがしっとりとした食感と共に口に広がる。ほろ苦いコーヒー牛乳との相性も抜群だ。


「朱莉も食べるか?」


「夜に甘い物はちょっと……」


 相変わらず一丁前の女みたいなことを言う小学生だ。


「いつもならダメかもしれんが、今日は年に一度の無礼講だ。食べてもいいぞ」


 コーヒー牛乳と苺饅頭を一つ、朱莉の前に置く。


「あ、ありがとう。じゃあ一個だけ」


 朱莉は小さな手で包み紙を開け、苺饅頭を一口食べた。


「……美味しい!」


「だろ?」


「貞治君が作ったわけじゃないでしょ」


 朱莉は顔を綻ばせた。若者に旨いものを食べさせたがる大人の気持ちが少し分かったような気がした。


「その番組面白いか?」


「うーん、あんまり」


 今度はお笑い芸人が霊能力者にネタを作ってもらう場面が流れていた。冴えない二人組がファミレスで怪しい霊能力者の話を真剣に聞いている。


「じゃあ、寝る前に昔話でもしてやろうか?」


「昔話って?」


「千沙の話」


 朱莉は少し黙った。

 が、リモコンでテレビを消し、こちらを向いた。


「聞きたい」


「そうこなくっちゃな」


 俺は頭の中に眠る記憶を軽く整理した。綺麗に残っている思い出はそのまま取り出し、埃かぶっている部分は払い落とした。それから、おとぎ話を聞かせるような気持ちで話し始めた。


「俺が小学一年のときの正月、千沙と一緒にここに泊まったんだ。そのときは爺ちゃんがまだ生きていた。それで、千沙が縁結びのお守りが欲しいと言ったんだ」


「縁結び?」


「縁結びっていうのは……好きな男の子ととても仲良くなれるということだ」


「いや、意味は知ってるけど、ママがそういうの欲しがるの意外だったから……」


 一呼吸置いたあと、朱莉は笑い出しそうな声で言った。


「ていうか、何その説明?」


「説明って?」


「縁結びの意味」


「ああ、千沙が小学一年の俺に理解させるために言ったことだ」


「へぇ。私は六年だし、今年はもう中学に上がるんですけど」


 今度は口を尖らせている。俺が千沙の家に来た頃と比べると表情が豊かになったと思う。大分打ち解けてきたということなのだろうか。


「朱莉が中学生か。長生きして良かったよ」


「何お爺さんみたいなこと言ってるの」


 お爺さんみたいではなく、爺ちゃんが実際に言っていたことだ。そのあと死んでしまったが。それからこの家の呼び方が「爺ちゃんの家」から「婆ちゃんの家」に変わった。


「とにかくだ。とある神社で正月に縁結びのお守りを買うとご利益が強くなるというジンクスがあって、俺と千沙と爺ちゃんの三人で買いに行ったんだ。でも結局、縁結びのお守りは買えなかった」


「どうして?」


「俺たちが着いたときには売り切れてた。まあ、ちんたら行ったからな。昼過ぎてたと思うし」


「ふーん」


「でもその神社はいいところだったよ。綺麗だし、風情があった」


「そのお守りって今でも売ってるの?」


「ああ、毎年売ってるみたいだぞ」


 朱莉は視線を少し下げ、何かを考えているようであった。

 やがて、もう一度俺の顔を見て言った。


「ねぇ。明日、その神社に行ってみない? ママにお守り買ってきてあげたい」


「縁結びの?」


「うん」


 それはどうなんだろう。千沙は再婚する気はなさそうだし、まともに恋愛するのも面倒だと思っている。でも、この場合大切なのは朱莉の気持ちか。朱莉が千沙のために何かしたいという想いを無下にするわけにはいかない。


「いいんじゃないか? 千沙も喜ぶかもしれない」


「うん、じゃあ行こ」


「そしたら朝七時に起きるか。朝一で行かないと買えないかもしれん」


「うん。でもお婆ちゃん、もう寝ちゃったね」


「婆ちゃんはいつもそんくらいに起きてるから大丈夫だよ。足悪いから一緒には来ないと思うけど、早めに帰って土産話聞かせてやるか」


「分かった。ありがとう、貞治君」


 朱莉は嬉しそうに頬を緩ませた。


「そうと決まったらさっさと寝るとするか」


「うん。歯磨こうっと」


 俺たちは和室に戻って自分たちの荷物から歯磨きセットを出し、二人で洗面所に行って歯を磨いた。自宅だと誰かが歯を磨いているときに一緒に並んで立つということはないのだが、外泊だから浮ついているのかもしれない。

 歯磨きが終わると朱莉はすぐ布団の中に入った。


「それじゃあ電気消すぞ」


「うん、おやすみなさい」


 布団から頭だけ出している朱莉は実年齢よりも小さな子供に見える。

 天井からぶら下がっている蛍光灯用の紐を引っ張ると、真っ暗になり朱莉の顔も見えなくなった。

 俺はスマホの目覚ましアラームを朝六時にセットして枕元に置いた。


 俺が布団に入ってからほどなくして、朱莉の小さな寝息が聞こえてきた。今日は遠方から移動してきたから疲れたのだろう。


 もし俺に兄弟や姉妹がいたら毎日同じ部屋で寝ていたのだろうか。ふとそんなことを思った。千沙と一緒に寝ているときはそんな風には感じなかったのに。

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