待ち合わせは雪だるまの前で
地下鉄で最寄り駅まで戻り、公園へ向かう。
千沙が何をプレゼントしようとしているのか読めないし、心配ではあるが、ここまで来たらあとはもう信じるしかないか。
この街に着いてからは、ほとんど人とすれ違っていない。イヴの夜だからみんなそれぞれの家庭でディナーを楽しんでいるか、天神や博多のような栄えた場所に出掛けているのだろう。
公園に着いたときも、一見誰もいないように思えた。
しかし中へ入っていくと、隅にあるベンチに誰かが座っているのが見えた。言うまでもなく、千沙だ。その奥には俺たちが作った雪だるまもある。
「お待たせ」
声をかけると千沙は立ち上がった。
「私もさっき来たとこだから大丈夫」
そう言って軽く笑った。
千沙の足元に何かがあるのが見えた。
「なんだ、そのバケツ?」
「ふふん。これはだねぇ……」
千沙は水色のプラスチック製バケツを持ち上げ、俺たちの前に差し出した。
「朱莉、花火しようよ」
「えっ……」
バケツの中に手持ち花火のセットが入っていた。こういうのを見るのも随分久しぶりな気がする。
朱莉より先に俺が訊いてしまった。
「なんでまた花火……?」
「うん。本当に夏にみんなでやろうと思って買ったやつなんだけど、それどころじゃなくなっちゃったからさ。この前片付けしてたら出てきたんだ」
みんなというのは、千沙と朱莉と浩司さんの三人家族のことだ。当然俺は含まれていない。
朱莉の正面に立ち、慈しむような瞳を向ける千沙。
「朱莉、今年の夏は思い出作れなくてごめんね。遊びに行くって約束してたのに」
朱莉と約束していたこと、千沙もちゃんと覚えていたのか。
朱莉は呆けたような表情で千沙の顔を見上げている。
千沙はそれに答えるようにニコッと笑った。
「今から夏休みの続き、しよっ」
朱莉は目を大きく開けた。
「う、うん!」
嬉しそうに声を弾ませる。千沙は安堵の息を吐いた。
「よかったぁ」
朱莉に喜んでもらえるかどうか不安だったのだろう。表情からも、心からホッとしているのが分かる。
「貞治、悪いけど水汲んできてくれる?」
「あいよ。お前もやるじゃねえか」
「へへっ」
笑顔を抑えられずにいる千沙からバケツを受け取り、公園の水道で水を汲む。
千沙と朱莉のもとへ戻り、重くなったバケツを薄い雪に覆われた地面に置いた。
すると、朱莉が不安そうに言った。
「花火してて、怒られないかな」
「クリスマスイヴの夕飯どきに、こんなちんけなところに来る奴なんか俺たちくらいだよ」
冬は空気が乾燥している。静電気で発火しやすいから花火をするのは少々危ないのだが、こんな雪だらけで何もない場所ならまあ大丈夫か。
千沙はしゃがんで地面に容器を置き、ロウソクを立てた。
着火ライターで火を点けると、柔らかな灯りが周囲の薄闇を微かに照らした。
「これで良し」
「もうやっていい?」
「うん、いいよ」
朱莉は花火セットの袋の中から花火を一本取り出した。
先端をロウソクの火に近づける。
ぷしゅうという小気味いい音と共に火花が勢いよく出始めた。
「わあ」
パチパチと音を立てながら光の花が咲き乱れる。
朱莉の微笑みがその煌めきに照らされている。
俺もテンションが上がり、花火を一本取り出した。
「久々に見たけど、やっぱり綺麗だな」
「ねっ」
千沙も頷き、自分の花火を選び始める。
それから俺たちは、季節外れの花火を楽しんだ。俺が子供の頃より花火のバリエーションは多種多様になっていた。時間と共に色が変わる花火なんてものもあった。
花火の残りが少なくなったところで、定番の線香花火に火を点けた。
寒空の下、三人でしゃがみながら小さな枝葉のような光を見つめる。
俺たちは親密な空気感のようなものを共有していた。
ふと、千沙が朱莉に声をかけた。
「貞治に時計買ってもらった?」
「うん。可愛いやつ」
「ありがとね、貞治。あ、落ちた」
千沙は消えた線香花火をバケツに入れた。
新しい線香花火に火を点け、また朱莉に話しかけた。
「他にはどこ行ったの?」
「天神の地下街のカフェと、あとイルミネーション」
「いいな。きっとこの花火より凄かったんだろうなぁ」
千沙の言葉は自虐ではなく、娘がクリスマスを楽しんだことを純粋に喜んでいるように聞こえた。
俺と朱莉の線香花火も消え、先端の橙色に光る玉が白い雪の上に落ちた。
朱莉は次の線香花火に火を点けながら言った。
「そりゃあ、イルミネーションの方が豪華で綺麗だったよ? でも……」
温かな冬の花火に目を細める。
「私はこの小さな花火の方が、ずっとずっと嬉しい」
「朱莉……」
千沙は感極まっているような顔をした。
ずっとずっと嬉しいと言ってもらえた千沙の方が、もっともっと嬉しそうだ。
イルミネーション、か――。
天神の公園で見たイルミネーションの数々を思い出す。
すると、俺はあるアイディアを閃き、線香花火が終わったタイミングで立ち上がった。
「朱莉、少し離れて雪ダルマの正面に座ってくれ」
「こう?」
朱莉は雪だるまから一メートルほど離れた位置でちょこんとしゃがんだ。
「見てろよ」
俺は雪だるまから見て左斜めとなる位置から、花火の先端を雪ダルマの中心に向けた。
「雪だるま溶けちゃうよ」
「大丈夫だって、ほら」
火花が雪だるまに向かって飛ぶ。俺は思わずニヤリと笑った。
雪だるまが花火の光に照らされて暗闇の中から姿を現し、クリスマスオブジェのようにライトアップされたのだ。雪の体の表面が淡いオレンジ色に染まっている。
「千沙も、ほら」
「あ、うん」
千沙も新たな花火を一本取り出し、火を点け、右斜めの位置から雪ダルマに向かって光を放った。
千沙の花火は青色だ。雪ダルマが青とオレンジの光を纏い、輝いている。
花火の煙が、ショーやコンサートのスモーク演出のようにファンタジックに立ち昇る。
三段重ねで背も高いから、しゃがんでローアングルから見たら迫力があるだろう。
「凄い……」
朱莉は呆けた顔で雪だるまに見入っていた。
しばらくすると花火の色が変化し、雪だるまは赤と緑の体に変身した。
「まるで、雪の魔人みたいだね」
千沙は満面の笑みを浮かべた。
「ああ、これが俺たちだけのイルミネーションだ」
やがて俺の花火が先に消え、数秒後に千沙の花火も消えた。
「私もやりたい」
朱莉がうずうずしているのを隠し切れずに言った。
花火の袋の中を見てみると、ちょうど残り三本だった。
俺たちは一本ずつ火を点け、今度は三人で雪だるまを照らした。
「雪だるまがちょっと可哀想だけどな」
俺は苦笑いした。
「ううん、むしろ温かいから喜んでるよ」
千沙の声は兎のように軽やかだ。
「それに、一人で寂しそうだった」
朱莉は優しい微笑みを浮かべている。
やがて、光が一つずつ消えていった。
最初に千沙、次に俺、最後に朱莉。
生まれた年と同じ順番で花火が燃え尽きた。
「終わっちゃったね」
千沙が少し寂しそうに呟く。
見兼ねた俺は朱莉に向かって言った。
「朱莉、クリスマスのお祝いしてもらったんだから、千沙にもお礼言わなきゃダメだぞ」
「あっ、うん……」
すると、朱莉は千沙の顔を見た。
「私、楽しかったよ。
朱莉のやつ、俺のことも「みんな」に含めてくれるのか。クリスマスくらいは父親代わりになってみるのもいいかもしれない。
「あの、ありがとう……マ……」
マ?
遂にママと呼ぶのか?
これでミッション・コンプリートか――と、思わず心の中で身構える。
「マカロン……」
朱莉が真っ赤な顔でわけの分からないことを言い、俺はずっこけそうになった。
「なんでいきなりマカロンに感謝してんだよ。マカロンの妖精かお前は」
「う、うるさい。いいの!」
焦る朱莉を見て、千沙はケラケラと笑い出した。
「別にいいよ、マカロンで。あははは」
千沙につられて俺も笑ってしまった。朱莉は膨れていたけれど。
惜しいところまでいったが、朱莉に千沙のことをママと呼ばせることはできなかった。でもそんなことは気にならないくらい、俺たちは大切な時間を過ごすことができたと思う。
朱莉の肩を軽く叩くと、彼女は何を言わずに俺の顔を見上げ、小さく笑った。
「じゃあ、そろそろ片付けるか。お腹も減ってきたし」
「うん。貞治、水捨ててきて」
バケツから水だけを水道に流し、ゴミやロウソクをバケツの中に戻す。
そのまま持って帰ろうとすると、朱莉が取っ手を掴んだ。
「私が持ってく」
「ありがとさん」
俺はバケツを朱莉に渡した。千沙がそんな俺たちを見て、口元を綻ばせる。
「それじゃ、うちに帰ろっ」
俺たちは三人並んで歩き出した。
公園から出る直前、俺は後ろを振り返る。
心の中で雪だるまに向かって、ありがとな、と声をかけた。
家に帰ると、千沙が用意したクリスマスディナーをみんなで食べた。メニューはローストチキンとパエリアとシーザーサラダ。チキンはどこかで買ってきたものだが、パエリアとサラダは千沙の手作りだ。サラダは公園に来る前に作ってラップをかけたものを冷蔵庫に入れておき、パエリアは材料だけ用意しておいて帰宅してから調理した。どれも美味しい料理だったが、その中でもパエリアは絶品だった。魚介系の旨味がライスにしっかり染み込み、お焦げの部分もパリパリとほど良い食感に仕上がっていた。
俺は料理を作れない。ずっと一人暮らしをしていたが、食事はいつもスーパーやコンビニの弁当、総菜、インスタント食品などで済ませていた。だから千沙の料理を、美味しい美味しいと言いながらぺろりと平らげてしまった。千沙もご満悦の様子だ。
もちろんクリスマスケーキも食べた。5号サイズのイチゴのショートケーキ。半分を三人で食べ、残りの半分は明日また食べることにした。
そのあと朱莉は風呂に入ってから自分の部屋へ行った。
就寝前、布団の上に座り、千沙と少し話をした。
「貞治、今日はありがとう。今年のクリスマスは大成功だったよ」
千沙は感謝の言葉を伝えてくれた。
それからクスクスと思い出し笑いをした。
「それにしてもマカロンは面白かったなぁ」
「はは。何の意地張ってんのか知らないけど、嫌われてるわけじゃなさそうだし、ママって呼んでくれるのも時間の問題だろ」
千沙が思っているほど不仲でもなさそうなのに、朱莉はなぜママと呼ばないようにしているのか。解せないところではあるが。
「うん、そうだといいな」
少し俯いた千沙の顔から、期待感が零れ出している。
「そうだ。わりぃ、千沙」
「何?」
顔を上げ、不思議そうに俺を見る。
「俺、サプライズ作戦のことで頭がいっぱいで、お前のプレゼント買うの忘れてた」
突然の謝罪に千沙はポカンとしていたが、意味を理解すると顔の前で手をぶんぶんと振った。
「え、私のなんかいいよいいよ! 私だって朱莉のことしか考えてなかったし」
「うーん。家に置いてもらってるんだから、クリスマスプレゼントくらい渡した方がいいかなと思って」
「朱莉に買ってくれたし、私だって貞治に用意してなかったし、気持ちだけで嬉しいよ」
千沙は俺を安心させるかのように微笑んだ。
今日はクリスマスイヴだ。なぜかイヴよりクリスマス本番の方が影が薄いが、明日買って渡すということもできる。でも今の千沙の様子から考えると、何かあげても余計な気を遣わせるだけだろう。サプライズもなく相手にお礼を強いる結果となってしまうプレゼントは、俺の望むところではない。
「分かったよ、じゃあ消すぞ」
俺は立ち上がった。
千沙は布団に入り、俺の顔を見上げた。
「おやすみなさい」
「おやすみ、マカロン」
照明を消す。
すると、何も見えない真っ黒な空間から千沙の声が聞こえた。
「……貞治に言われると、微妙に腹立つ」
怒っているようには思えない。むしろ楽しそうだ。
なんかこういうのっていいな。今日みたいな時間を共に過ごしたり、毎日他愛のない話をしたりするのがずっと続いたらいいなって思えた。
そういえば朱莉が、俺にしばらくこの家にいてほしいって千沙に言ったんだった。
どうしてなんだろう。
でも、もし千沙と朱莉とこのまま一緒に暮らすことができるとしたら、それも悪くはないのかもしれない。
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