第3話、黒板
ガラガラポンでスタートした、とんでもないハンディキャップを背負った転生人生だけど、投げ出そうとかは考えなかった。
寝室から出るのに10日かかった。
隣の部屋には、すり鉢や天秤秤、乾燥した草花や木の実。そのほか用途の分からない器具や紙を束ねた冊子があった。
きっと研究室みたいなもんだろう。
その隣は多分先生の寝室で、その次の部屋からは話し声が聞こえる。
だが、その日はそこまでが限界だった。
足がプルプル震え、立っていられなくなって座り込んだ。
そのまま這って部屋まで戻った。
「今日、お前が前まで来た部屋は診察室だからね。
診察室では、他人に聞かれたくない相談をしに来る人もいるから、入ってきてはいけないよ」
「あ、あう」
「部屋に入ってこなければ、廊下を行ったり来たりするのは構わないさ。
どんどん、歩く練習をするんだね」
「あ、あう」
「ああ、そろそろ名前をなんとかしないといけないねえ。いつまでもお前じゃ嫌だろう。
どうするかねえ……
お前が発音しやすい言葉がいいね。
そうだ、今日からお前はタウだ」
「……あう」
「そう、タウだよ。それなら、少し練習すれば発音できるだろう」
「……あう」
その日から俺はタウになった。
それから、しばらく廊下の往復を続け、何とか転ばずに2往復できるまでになった。
「よし、今夜からは字の練習をしよう」
この世界の言葉は日本語と同じ5つの母音からできており、18の子音との組み合わせで文字が作られていた。
母音はアウオエイの順で、子音を組み合わせるとタツトテチになる。
イメージはローマ字に近く、覚えるのに時間はかからなかった。
紙は高級品であるため、木片に水をつけた筆で何度も書いて覚えた。
そういえば、昔、竹ペンを作ったな。
あれなら細かい文字がかけるし、紙をもっと効果的に使えるだろう。
……、だが、今は、この体をもっと動くようにしないとな。
どれだけの月日がかかったんだろう。
時間の感覚がなかった。
右手は、指こそ動かないものの、肘を曲げたり腕で支えたりできるくらいには回復した。
右ひざは相変わらず曲がらないが、力を入れていればまっすぐにすることができるようになった。
左手も、結構言う事を聞いてくれるようになった。
俺はまず筆談のために、どうするか考え、黒板を作ることにした、
幸い、木板は家の中で簡単に見つかった。
次に、麦の粉を煮てノリを作り、竈(かまど)からとったススを混ぜていく。
これを何重にも板に塗り付けていくとそれらしいものが出来上がった。
次はチョークである。
卵の殻は先生が集めている。
それを分けてもらい、すり鉢で粉にして麦の粉と水を混ぜて粘土状にして丸める。
日に当てると割れそうなので日陰で乾燥するのを待つ。
出来上がった黒板とチョークを持って先生の所に行く。
「ほう、何か作っていたのは知っていたが……うむ、黒い板にその白い棒で字を書くのかい。
だが、お前の寝間着を見てごらん。真っ黒になっているじゃないか」
「ああ、おえんあはい……」
「汚れたものは洗えばいいさね。こういう時は魔法を使うんだよ。
ほれ、かしてごらん『定着!』」
一瞬、黒板の表面が光ったような気がした。
「これは、ススとノリを混ぜて塗ったんだね。
うん、墨の作り方と同じだよ。よく知ってたねえ」
「う・ん」
「こっちの白いのは、この間の卵の殻かね……、どれ、書いて見せておくれよ」
「う・ん」
俺は、タウと自分の名前を書いた。
「うんうん、上手に書けるようになったねえ。
だけど、一回書いたらまた黒く塗らないと……何だって!雑巾でこすっただけで消せるのかい……
ふーん。粉状のままなのかい。だから布で落とせるんだね。
こりゃあ、驚いたよ」
カリカリカリ
「うん?白いのは卵の殻と小麦粉を水で練ったんだ。
なるほど、それに書くことで話そうってんだね。
面白いことを考えるねぇ」
俺は嬉しかった。
何がって、先生が喜んでくれたことが何よりも嬉しかった。
「よし、このアイデアを雑貨屋に売り込んで、白い棒を沢山作らせようじゃないか」
カリカリ
「なになに、黒板と白墨(はくぼく)、貝殻の粉でも大丈夫。黒板と白墨はこの道具の名前だね」
カリカリ
「料理屋の、お品書き。それから、人に教えるとき。なるほど、簡単に絵をかいて教えるのに使えるねえ。
私の患者に、状況を説明するのにもいいねえ。
タウ、お前は頭がいいねえ」
俺は、思っていた事を黒板に書いた。
カリカリ
「うん?おかあさん……って……
ああ、私はとっくに息子だと思っているよ。
私がお前のお母ちゃんさね」
……、母さんは泣いていた。多分の俺も……
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