見知らぬ指輪~銀の指輪とおまじない~

大月クマ

今月の被害者と加害者


 ――罠だ。


 ハッキリいよう、罠以外なんだというのだ。

 6月も中旬。朝、理化学準備室に顔を出すと一夜先輩がいなかった。

 そして、机の上に置かれた蓋をしたペトリ皿。ゼラチンを流し込み、細菌とか培養するガラス製のあれだ。

 その中には、ゼラチンでも細菌でもなく、銀色に光る指輪が入っていた。

 そして、1枚の付箋が貼ってある。やたらに太い字で『サワるな』と……。


 ――あきらかに、先輩の字だ。


 高校生になっても、よく実験対象に付箋を貼ってあるが、大概漢字が使われていない。カタカナで書くのが、先輩の癖だ。


 それよりも、先輩はいつも僕よりも確実に早くいるのに、今日に限っておかしい。

 いつの間にか登校し、勝手に薬品室――勝手というのは僕、今須阿佐比あさひの見解である――が、ビーカーにアルコールランプと、何か作ってる。怪しげな薬を……。


「納期が迫っているのよ」


 毎度そんなことをいっているが、先輩の話の断片からつなぎ合わせると、魔女にもアルバイトがあるようだ。そして、お小遣いを稼いでいる。先輩の場合、薬を作っているそうなのだが。


 なんで、自宅でやらないのか?


 ――魔女というのは家族にも秘密なのか?


 どうもそんなことは無いらしい。単に、先輩がずぼらで、忘れっぽく、納期間近にならないと動かない人だ――観察していて十分感じていた。で、理化学準備室にいる化学部員が、ビーカーでクルクル妙な液体をかき混ぜていても、


「なんかの薬品を作っている」


 程度しか気にされないと、本人はいっている。まあ端から見ればそうだろう。

 他の人間族に聞いたところで、先輩が魔女、なんて気にしていないというか、気付いていないらしい。ただ、妙な断片はある。


『おまじないの天才』


 と、もっぱらの噂。化学部長なのに、おまじないなんて……。

 まるで水と油のような気もするが、この2ヶ月見ていても、それらしい相談が多い。とくに恋愛がらみ。

 まあその辺は、追々話すとして……僕は、そのペトリ皿に入った指輪が罠だと、感じた。


 金曜日の僕が帰った時刻には、そこにはなかった。

 その横を見ると、有名な通販サイトの『マングローブ』の小さな厚紙の封書もあった。


 ――これで送られてきたのか?


『ここを引いてください。簡単にきます』


 封書には一部、そこを引いた後があったが、途中であきらめて無理矢理破った跡がある。これもちょくちょく、先輩がやっているのを見ている。だから、この放りっぱなしの通販の封書も、ペトリ皿も、一夜先輩のものだ。


 ――ゴミぐらい片付けたらいいじゃないか。


 そう思いなから、厚紙の封書を僕は片付けた。

 チラリと中に明細が入っている。何が送られてきたのか、興味が湧いてきた。

 人の買い物明細なんて見るもんじゃないかもしれないが、あの先輩のこと。僕の行動を見抜いて、わざと入れている可能性は捨てきれない。


「なになに……人狼け銀の指輪? お徳用――」


 前回から、自分のクラスの人狼族、鵜沼うぬま仁美ひとみに狙われていた。

 それは一夜先輩が妙な魔法で、夢の中でデートさせた。それにより、僕の味を占めた彼女――夢の中だが、彼女は僕の耳を食べた――が、隙あらば喰おうとしていることに他ならない。


 ――人狼避け銀の指輪。もしかして……


 さすがに心配してくれたのか、人狼が嫌いだという銀の製品を……いやいや、それ迷信だから。それに僕ら吸血族も『銀は嫌い』と、いわれているが、それも迷信だ。十字架なんてなおさらだ。僕のうちは神道だが、親戚にキリスト教徒もいる。日曜日に律儀にミサに行っているのだ。

 そもそも『お徳用』という文句が、気に入らない。

 あからさまに胡散臭い。高校生のお小遣いで買ったものだ。メッキの曲がりものだろう。

 効く効かない以前の問題だ。


 ――で、当の本人は……ああ。


 そういえば、2年生は修学旅行で北海道か。だから、現れなかった。

 外を見れば早朝に出発したようで、大きなタイアの跡がいくつも見える。大型バスが乗り入れて、空港にでも向かったのであろう。


 ――ということは、今週一週間は開放される!


 実に……あれ? なんか淋しいのはなんでであろうか?

 まさかあの憎たらしい魔女に会えないから、何てことはない!

 僕の好みじゃない。中学生にしか見えないチンチクリンのお下げの先輩なんて、これっぽちも気になんかしていない!


「アサヒはいるか!」


 と、突然、音をたてて理化学準備室の扉が開いた。

 とっさに僕は物陰に隠れてしまったが、あきらかに後ろ姿は見せられただろう。それに鼻は誤魔化しようがない。


「何、隠れているんだよ!」


 声の主は、例の人狼族の鵜沼さん。

 何しに来た……いや、大体の理由は分かっている。


「なんか、サトミが結界が薄まった。っていうから来てみたら、やっとドアが開いた」


 ドアの向こうでちょこんと、人造人間の伏見さんがのぞき込んでいる。


 ――止めてくれ。こいつが僕を喰おうとしているんだぞ。


 人造人間の無表情? 若干、微笑んだ顔が非道く不気味に感じた。

 別に彼女にとって人体が欠ける食べられることには関係ないのかも知らない。だって、彼女ら人造人間は壊れたら部品交換すればいいだけなんだから。


「ん? なんだ、これ?」


 僕に近づこうとした、鵜沼さんは机の上にあったペトリ皿を見つけたようだ。中に入っている銀色の指輪も気になるらしい。


「人間族には舐められたものね。こんなものでアタシ達を追い払えるなんて……」


 どうやら知っているようだ。銀製品の話を……。

 そして、彼女はためらうこともなく、ペトリ皿の蓋を開けた。


「――うっ、うげッ! なんだ、これ!?」


 突然、鼻を押さえた。

 そして、堪らないとばかりに、理化学準備室から飛び出していったのだ。しかも飛び出した瞬間、伏見さんの頭にぶつかった。

 伏見さんの首が変な方向に曲がったが、鵜沼さんは脱兎のごとく……人狼だけど、脱兎でいいよなぁ……って、


「げッ! 気持ちわりなんだ、これッ!?」


 僕には強烈な悪臭が立ちこめ、吐き気が襲ってきた。耐えられない。だから、鵜沼さんは逃げ去ったのか。僕は……立ち上がることがままならない。目が回る。一体何が……いや、原因はあの蓋の開いたペトリ皿に違いない。

 鵜沼さんが開けた銀色の指輪。そいつが何か強力な……。


「…………尋常じゃない呪術を検知しました」


 首が後ろを向いている伏見さんが、頭を治しながら蓋の開いたペトリ皿に近づいてくる。

 正面に立った頃には、しっかり首が正常な位置になっているが、ジッと銀の指輪を見つめたままだ。


 ――この突然の体調不良は、あの指輪に違いない。


 伏見さんは平気なのだろうか? だとしたら、蓋さえしてくれれば、僕も正常といわないまでも、これ以上、体調が悪化することはないはずだ。


「ふっ、伏見さん……はやく、ふたを……」


 なんとか声を絞り出す。と、彼女の首が機械仕掛けの人形のように――元々そうか――ゆっくりとこちらを向いた。

 異常にもどかしい。嫌がらせでもされているんじゃないかと、思えてくる。

 僕には心当たりが全くない。大体、夢の中のデートの時ぐらいしか会話したことがないのだ。

 しばらく僕を伏見さんはガラスの目で見つめていた。その頃には気を失いかけていた。床に肩を付けているぐらいだ。


 ――非常に危険な状態だということを解ってくれよ。この機械人形め!


 届くはずがないが、悪態を心の中でつく程度しかできない。


「………………あっ!」


 急に小さく声が上がった。

 そこでようやく彼女の手が動き、ペトリ皿の蓋をする。



 ※※※



「…………大丈夫ですか?」


 どれぐらい経っただろうか? 数分の出来事かもしれないが、僕には何倍にも感じた。

 僕はようやく息を整えて立ち上がれるまでになった。


「――だっ、大丈夫……」


 ホントいうと、気持ち悪いし頭がクラクラする。が、不思議そうな顔――彼女には感情を表現する機能は無いか――に見える伏見さんが、軽く首を傾けていた。


「何なのそれ?」


 銀色の指輪。通信販売で買ったであろう安物の正体を、彼女は知っているのかもしれない。


「………………銀メッキの銅製の円形物ですが?」

「そんなのが、僕や鵜沼さんが体調不良になる訳?」

「………………………………………………説明不足でした。強力な呪術が掛けられています」

「呪術?」

「………………はい。呪術系統に関しまして、レコードへのアクセスにより解析が可能ですか、されますか?」


 なんだかよく分からないことを言いだした。

 呪術? 呪術系統? レコード?

 そんなことよりも、もっと別なことを知りたい。


「誰がこんなものを……」

「………………不完全な回答をお望みですか?」

「はい。それで結構です」

「………………私の知り得た情報から推測するに、この理化学準備室に貼られた結界と同じ者が行ったと推測します」

「結界!? そんなものが、この部屋に貼られているの?」

「………………はい。特定の人物に対象としている特種な結界です。対象の人物は仁美です。同じ人物と呪術系統は同じかと。この付箋も同じ人物が極小の結界を張っているようです。

 ……………………その心拍数と血流を判断して、心当たりがありますか?」


 はい。ありますとも。あきらかに一夜先輩だろう。それ以外、誰だって言うんだ。

 僕を人狼、鵜沼さんから守るため? だとはいっても、とんでもないものを置き見上げに、修学旅行に行ったな。

 僕にも効いてどうするんだ!


「…………この付箋に極小の結界が張られています。このシャーレに入れていれば、呪術は発動しません」

「ところで呪術って……」

「………………読んで字のごとくです。お呪いおまじないです」



 ※※※



 結局その日は、体調がすぐれなくで、早退した。

 保険医が人間族なので、吸血族が昼間弱いと、半分迷信を信じているのですぐに許可が下りたのが幸いした。

 保健室に誰かが寝込んでいたようだが……気にしないでおこう。


 次の日もやはり体調がすぐれない。かなり強力な呪術まじないに掛けられたようだ。

 母親は風邪か何かと思っているようだが、魔女の呪術の所為で体調を崩しているなんて知られたら……何を仕出かすか分からない。下手に系統がいい人なので。

 あまり母親のことには……特に実家のほうには触れられたくないので黙っておく。


 水曜日になって、ようやく登校できた……するとどうだ。

 最寄りの駅から、出たら見慣れたリュックサックが歩いているではないか。

 いつも思うが、何を入れているのか……授業の教科書やノート以外にも詰め込まれているのであろう。お下げを揺らしヒョコヒョコと歩いている。


 あきらかに、一夜先輩だ。


 ――あの人、今は北海道の地ではないのか? 


 そう思ったら、足下を見て理解した。

 左足にギブスが……よく見ると、ヒョコヒョコ歩いていたのは、松葉杖の所為だ。


「先輩!」


 僕は追い越すと、その丸眼鏡の顔をのぞき込んだ。

 声を掛けると、ふてくされた顔が、


「おっ、おはよう。今日は早いのね」


 気まずそうな顔に変わった。


「お、は、よ、う、ございます。

 先輩。あれれ? どうしたんですか? 今週一週間は、楽しみにしていた北海道ではなかったのですか?」

「うるさいわねぇ!」


 初めて会ったときのように、片方の松葉杖で殴りかかろうとしたが、骨折した脚に負担を掛けたのか顔を歪めた。


「いやいや、ホントにどうしちゃったんですか? 僕なんか、先輩に仕掛けられた……」

「触るな、って書いておいたでしょ!」

「そんなこと書いてあるのはフリ……」


 と、思ったのは僕ではなく鵜沼さんか。


「まあ、先輩のおかげで体調不良になってしまいました。2日も休んだんですよ」

「だから、触るなって書いてあったでしょ」

「そういうものは、仕舞っておくべきです。それにゴミも散らかして……それより、後輩としては、先輩ののほうが、心配で心配で……」


 ウソです。仕返し。揶揄からかいたいだけです。


「えっ、ああ……牛は大きかったわよ」

「ああ、1日目に行かれた牧場。たしかソフトクリームが有名でしたよね。美味しかったですか?」


 修学旅行に行く前、先輩にスケジュールをみっちり聞かされた。暗唱できるぐらいにだ。だが、この質問に先輩は黙り込んでしまった。

 そして、ペタリと道の真ん中に座り込むと、


「食べてないです! 牛に追いかけ回されて、側溝にハマって足首折りました!!」


 と、大泣きしはじめたではないか。

 どうやら、1日目で怪我をしてそのまま送還されてきたようだ。

 揶揄いすぎたか? いや、さすがにそこまでショックなのかと、泣くほどか?

 しかも、今は登校する生徒が多い。その中で、僕が女の子を泣かしたと、言われるのはかなりマズい。


「あっ、アサヒの奴、先輩泣かしてるぜ!」


 聞き慣れた声が……鵜沼さんが、僕を指さしてケラケラ笑っている。その後ろに伏見さんが見下したで――元々無表情か――僕を見つめているではないか!?


 そもそも今回は誰が悪い!


 危険物を出しっぱなしにした先輩か?

 勝手に開けた鵜沼さんか?

 先輩の骨折をからかった僕か?

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