第94話 トラウマ。−6

「春木…」

「急いでください。」

「どうしよう…怖くて足が動かない。」

「立て!行こう!」


 差し出したその手を見ていた。

 怖くて、その手を掴むことができなかった。


「くそー!」


 向こうから大声を出して、二人がいるところに飛びつく犯人は服の中からもう一つのナイフを出した。そして激しく春木の横腹を蹴った犯人はポケットから携帯を出して誰かに連絡をした。


「ハル…」


「俺だ!急げ!」


 大人に蹴られた春木はアスファルトの上を転んで自分の腹を抱えていた。震えている体と苦痛を耐える春木の顔を見るのがとても辛かった、なんでこんな状況に君がいるの…嫌だ。


 逃げて春木…


 犯人の後ろにいた警察は思いがけない状況にすぐ対応できなかった。そのうち、犯人の共犯が警察が用意した車に乗って警察の進路を遮る。

 車の中から叫ぶ共犯は後ろの警察を警戒して急いでいる様子だった。


「乗れ!」

「金は?」

「入れた。」

「その女の子はまだ使える!連れて行く、乗せろ!」


 犯人は倒れている私の腕を掴んで車を乗せようとした。掴まれた手を振り切ろうと抗えても成人の男性には敵わなかった、見えるのは倒れている春木の姿がどんどん遠くなることだけ。


「大山!そこまでだ!」

 

 警察が声を上げても人質を連れている状況じゃ何もできなかった。だから私を助けてくれる人は誰もいなかった。

 これが春木との最後の出会いになるのは嫌だ…助けて…やっと会えたのに、春木と別れたくない…嫌…嫌だよ。


「警察は大人しく帰ろ!」


 そして車の中から共犯は拳銃を出して警察側に撃った。人質の安全のため、警察は拳銃を撃つこともできずこのまま犯人たちを逃す状況においていた。


「…どうしましょう。」

「人質の命が優先だ…拳銃はよせ。」


 春木…


「ああー!」


 後ろから立ち上がる春木が犯人に突っかかって不意打ちをかけた。春木は倒れたふりをして犯人が私を連れて車に乗るあの瞬間を待っていた、いきなり突っかかる春木のせいで頭を車のドアにぶつかった犯人がドアを掴んでフラフラしていた。


「行こうー!」

 

 春木は運転席の共犯に撃たれないように位置を確保して私を解放してくれた。


「はる…」


 その間、ようやく警察が動けることになって少しずつ犯人たちに迫っていく、そして犯人に突っかかった春木は私の手を掴んですぐその場から離れようとした。走り出した一歩一歩が重くて足が思い通りに早く動かなかった。


「行こう!武藤さん!もうすぐです!」

「う、うん…」


 隣で見える春木の顔、とても懐かしくて涙が出そうだった。こんな感傷に浸る状況じゃないのは分かっているけど、春木の顔から目を離すことができなかった。


 やはり…この気持ちは好きとしか言えなかった。

 春木…


 その時だった。

 後ろから聞こえる銃声。

 そして倒れる春木。


「春木!」

「大丈夫です…足に掠っただけです。」


 共犯の撃った弾丸に掠って脛から血が流れていた。

 春木が膝をアスファルトにつけて立てないうち、私を拉致した犯人がナイフを持って走り出した。


「くそが!このガキども!!!!」


「はる…き…立て…立て…」

「行ってください!早く!武藤さん!」


 息を切らす春木。


「だって!だって!」

「早く!」


 春木の震える声が状況の緊迫感を感じさせてくれた。頭の中が真っ白になってどうすればいいのか分からなかった。ただこのまま春木をほっておくことができないだけ、一緒に逃げるだけ…


「殺してやる…くそガキ…」


 いつの間にか犯人は私たちの前に立っていた。


「はる…」

「邪魔しやがって…」

「…」


 もう声が出てこなかった。

 犯人が私の前に立っているだけで体が動かなかった。周りの人たちは何もしてくれなかった…もうダメ…なんだ。


「死ね!」


 犯人のナイフが振り下ろすことを見ていた。

 そして犯人がナイフを振り下ろした時、激しく抱きしめてその場から逃げようとした春木は私の代わりに犯人のナイフに背中をやられてしまった。


「…っ。」

「は…る…」


 犯人の前で倒れた二人、そして犯人のナイフに刺された春木が私の上で小さい声で囁いた。


「いつか…また…会えたら…いい…な…」


 目を開けた時、春木の背中に触れていた私の手が真っ赤な血に染まっていた。

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