蚊柱

安野穣

蚊柱

 それは、僕が進む路肩の雑草の上に、突如として現れた。

 そして、こちらの動向を全くもって気にしていないながら、ひとたび近づきでもすれば、寄ってたかってくる。

 そう、何を隠そう、蚊柱である。

 この季節になると、必ずと言っていいほど遭遇する。

 それは水のない側溝の金網の上だったり、土地を区別する植え込みの周りだったり、久し振りの雨で潤った川の傍にある公園だったり、はたまた路肩の雑草の上だったりする。

 遠目から見えるか見えないか程度の、ごく小さい羽虫の群れだが、近くによればその存在感は計り知れない。

 予期できない者はそのまま果敢にも突っ込んで行き、僕のような臆病者は遠巻きに眺めながら迂回することとなる。一匹であればさほど気にすることもないだろうが、何匹も纏まって飛んでいる姿を見ると、突っ込んでは行きづらい。

 もしかしたら蚊柱は、『蚊柱』という一つの生命体ではないだろうか。なぜだか最近、そんな考えが僕の頭の中を支配している。あの羽虫たちは、蚊柱に生かされているのではないか、と。

 かの羽虫たちは、互いにコミュニケーションを取る方法を持っていない。なぜなら、社会的な生き物ではないから。

 にもかかわらず、奴らは群れを成して蚊柱を形成する。

 それが社会性の萌芽だという人間がいるかもしれないが、むしろ『蚊柱』という一個の生命体を考えた方がすっきりする。

 『蚊柱』は羽虫が集まった生物で、人間でいうところの体は羽虫の広がりの中に実体なく作られる。そして、蚊柱を形成する羽虫たちは、無意識のうちに『蚊柱』を生み出すよう、遺伝子によって決定されているのだとしたら、どうだろう。

 そして、ひとたび『蚊柱』が生まれれば、その羽虫たちの意識は全て『蚊柱』に統合されるとしたら。

 それはつまり、蚊柱とは、散らばったら集まるように動く、羽虫たちによって作り出された、羽虫自身を脳とする生き物ということを意味する。蚊柱は羽虫の集合体ではなく、『蚊柱』の構成要素が羽虫ということだ。

 ここで重要なのが、『蚊柱』は羽虫がいなくなったら死んでしまうことにある。

 体をなす要素がなくなってしまったら、『蚊柱』は消滅してしまう。死体や痕跡を一切残すことなく、その意識は散逸し、やがて死を迎える。しかしそれでは、一生命体として困る。

 子孫を残し、繁栄させること。それこそが、地球上に生まれたすべての生物の存在意義なのだから。

 そこで『蚊柱』は、自身を構成する羽虫たちに、『蚊柱』を産むように仕組むのだ。『蚊柱』自身は実体を伴わないためにDNAも持ち得ないが、『蚊柱』を形作る羽虫には体がある。その羽虫のDNAに直接干渉して、『蚊柱』をつくらせるよう仕向ける。

 こうすることで、『蚊柱』は自身の種の繁栄を保つことが出来る。

 また、自身の子孫を託した羽虫共が死んでしまったら元も子もない。何しろ自身が死んでしまう。

 そのため、『蚊柱』は羽虫たちを生かす必要がある。

自身のDNAを忍ばせ、自身を成す羽虫たちを集合体とすることで、羽虫自身の生存率も子孫を残す確率も増え、結果的に子孫繁栄に繋がるというのだ。

 そうなると、羽虫のDNAに寄生する生き物ということも考えられなくもない。

 羽虫の、そんなものがあればだが自由意思に、自らの繁殖を完全に委ねるのは危険にすぎる。ならば寄生して行動を規定してしまえば、繁殖に成功する割合は格段に上がる。

 その方がより自然、とここで、ある考えがふっと浮かんだ。

 人間も『社会』に生かされているのではないか、と。

人間は『社会』という生命体を構成する要素に過ぎず、だからこそ『社会』をつくり、その中で生きていくのではないか。

 そんな、普段であれば笑い飛ばすようなくだらない考えだっただろうが、どうしてか今の僕には、深刻なものとして受け止められた。

 人間は一個体であると同時に社会の中でなければ生きてはいけない。それは人間が独立して存在するためにはあまりにも非力なのが原因である。そうやって、何百年もの間、生きながらえてきた。

 それが、自分たちが生き延びるために作ったはずの社会に、今度は生かされている。『社会』が生きるために生かされ、『社会』が繁栄するために繁殖を続けている。否、続けさせられている。

 人間は、『蚊柱』にとっての羽虫の如く、『社会』の体や脳、DNAでしかなく、つまり人間に自由意思はない。DNAはミームとして人間に伝播し、寄生して増殖を繰り返す。そうしてミームをもとに人間が『社会』を産むよう、『社会』に支配されている。ともなれば、人間が作った文化も、伝統も『社会』が人間に持たせた、自己増殖プログラムに過ぎない。

 すべては『社会』によって動かされ、殖え、そして死んでいく。

 そしてそこに、僕たちの意思は存在しない。

 そこまで思い至って、僕たちの意識が、生きていくことの自由さが、一切合切失われ、奪われて、自分というアイデンティティが、大地が崩れていく感覚に襲われた。何もかもを飲み込む得体の知れない黒い何かが近づいてくるような、本能的な恐怖を覚えた。

 そんな思考にお構いなしに、バイクは前へ進んでいく。

 人間も羽虫と変わらないのだろうか。その考えを、僕は拭いきれぬまま、坂の途中の茂みに出来た蚊柱をかき乱していく。

 坂を登り切り見えた束の間の景色は、霞んでしまってよく見えなかった。

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蚊柱 安野穣 @tatara2ji

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