第37話 そして将来を語りましょう
帰りの新幹線の中で車窓越しに景色を眺めながらぼんやりとしていた。
考える事は堂々巡り。
こんな運命の悪戯があってたまるか。どれだけ僕を翻弄するんだ。やっと見つけた幸せ。大切な人。だけどその幸せにはひっそりと、それでいて重厚な楔が打ち付けられていた。しかも見えない様に黒い霧に覆われて。
読む気も失せる程の長ったらしい規約の中にひっそりと記載されているただし書きの様な物だ。いや、ただし書きならまだマシだ。注意深く読めば見つけられるのだから。こんなのは殆ど後出しだ。出された料理を食べた後に、「それ毒入りです」って言われるようなものだ。
喉に指を突っ込んで吐き出す事も出来ないほど胃で消化されて体に吸収されてしまった。その毒が僕にどんな変化をもたらすのかすら分からない。変化を拒んで足掻くのか、現実から目を逸らし変化を受け入れて生きて行くのか、僕はどうしたらいい?
西に見える山の稜線に夕日が沈み始め、あの日見たように山が真っ黒になった。闇は列車が進むに連れてどんどん僕に近付いてくる。「早く決めろ。早く決断しろ」と急かすように。僕はその闇から逃げるように目を閉じた。視界全体が闇に包まれる。どうしたって闇は僕を追いかけて来るんだ。ならいっそ闇の中で暮らせば良いのか。
闇の中で彼女との未来に繋がる一筋の光を懸命に探した。真実は殆ど明らかにされている。残されているのは科学的な証明だけだ。現在ならそんなもの簡単に調べられるのだろう。だけど、今さらそんな事しても無意味だし、したくなかった。それをした上で彼女のと未来を望むのなら、それは
僕たちは法律上は全くの赤の他人だ。だったら、人が作ったその法律とやらの傘の下で堂々と彼女との未来を描けばいいのか? 法律によって翻弄されたのに、今度はその法律に守ってもらうのか。
結局結論なんて出ない。彼女は家を出て行った。ならばこのまま流れに身を任せればいいじゃないか。僕たちの心の傷はきっと時間が癒してくれるだろう。
彼女と過ごした日々を思い返し一滴の涙が頬を伝った。それは、もう山の稜線に沈みかけている陽に照らされ無駄に明るく輝いた。
最寄りの駅に着いても僕の足取りは鉛が付いた様に重かった。彼女と過ごしたあの家に帰る事を無意識に拒んだ。どこかで酒でも飲んで行こうかと思ったけれど、そんな気にもなれなかった。食欲もわかず結局家に帰った。
冷凍食品でも食べるかと思い冷凍庫を開けた。以前、アオイが作ったカレーが入っていた。大きいタッパーと小さいタッパーに分けられて入れられていた。僕用とアオイ用だ。僕の好きな小エビが沢山入っていた。
刻んだネギが1食分ずつ丁寧にラップに包まれて凍らされていた。
小出しに使った豚バラも丁寧にジップロックに入れられて次の出番を待っている。
胸が張り裂けそうになり冷凍庫を閉じた。
冷蔵庫を開けると、卵に付箋が貼られていて古い順に前から並べられている。
3分の1になった麦茶の横にいっぱいに入った麦茶が作られていた。無くなりそうだから次のを作ったんだろう。
キッチンに視線を移すと、いつ買ったのか、「しお」「こしょう」と書かれた調味料入れが並んでいた。丸っこいアオイの字だ。
僕が買ってやったマグカップが僕のカップの隣にくっつく様に置かれていた。
彼女が如何にこの家での生活を大切にし丁寧に過ごしてきたのかが伝わってきた。
外で鳴くセミの音だけが聞こえていた。
「――アオイーっ!!」
最愛の人の名前を叫んだ。方向転換し慌てて駆けだそうとした足を冷蔵庫にぶつけて盛大にこけた。体勢を立て直そうと咄嗟に掴んだローテーブルの上の物が勢い良く床に投げ出される。ドタバタと足を縺れさせながら玄関へ走った。目についた靴に足を入れ、結果的に左右別々の靴になった。ドアを開け、鍵もかけずに階段を駆け降りた。道行く人が怪訝な顔で僕を見た。息も上がり肺が破裂しそうだけど懸命に走った。足がもつれ何度も転んだ。その度に僕の体に傷がつき血も滲んだけれど、心の痛みに比べれば大したことは無かった。
痛い。痛い。心が痛い。僕の人としての部分が自制しようとするのだけれど、心の奥底にある欲望が簡単にそのガードを打ち破った。いや、打ち破った訳では無い。内側から鍵を開けたんだ。
こんなに痛いなら、こんなに苦しいなら僕は人としての矜持など捨ててやる。その代わり大切な人を心から愛するという行為に矜持を抱いてやる。傍生に一歩足を踏み入れたとしても、そこに確かな線引きなど無いんだ。
彼女のマンションに着きインターホンも鳴らさずにドアを叩いた。
「アオイ! アオイ! 開けて! 僕だよ! アオイ!!」
ドンドンとドアを叩く。頼む、ドアを開けてくれ! アオイ! 心の中で何度も彼女の名前を叫んだ。
ガチャリと音がしドアが開いた。
「真也く――」
彼女が姿を現した瞬間抱きしめた。
「――アオイ! ゴメン! アオイ!」
彼女を抱きしめながら縺れるように室内に2人で倒れ込む。
「アオイ、聞いて、やっぱり君が好きなんだ。何があっても離したくないんだ!」
彼女は突然の僕の襲来に戸惑ったのか視線を漂わせていた。
「真也君? どうしたの? 落ち着いて――」
「アオイ、離したくない……アオイを離したくない……」
アオイを抱きしめ首元に顔を埋めた。彼女は戸惑いながらも僕の頭をそっと抱いてくれる。
「真也君、戻って来てくれたの?」
僕は顔を埋めたままかぶりを振った。違う、戻って来たんじゃない。初めから離れる事なんて出来なかったんだ。
「アオイ、アオイ……一緒にいて、僕の傍にいて!」
アオイから嗚咽の声が漏れる。
「わたしだってずっと傍にいたいよ! 真也君と一緒にいたいよ! 離れたくないよ! だって大好きなんだもん!」
「違うんだ、違うんだ。僕だけ一方的に想っててもダメなんだ」
「何を言っているの? どうしたの? 落ち着いて、何があったの?」
僕は一旦身を起こし彼女の手を掴んで引っ張り起こした。
「アオイ、今から重大な話をするよ。聞いてくれる?」
彼女は一瞬怪訝そうな目で僕を見たけれどすぐに笑みを浮かべた。
「うん。なんでも聞くよ?」
そう言っていつもの様に小首を傾げる。目には涙が滲んでいた。
「結構、重いよ?」
「またそのフリ? ハードル上げたって無理だよ? わたし下くぐっちゃうから」
彼女は僕の手を力強く握り返してきた。
「重いなんて物じゃないよ? それでもいい?」
「ハードルを上げれば上げる程、下の隙間も大きくなるんだよ?」
彼女は笑みを浮かべたまま大きく頷いた。
「僕たちは――」
僕の話を彼女は目を逸らさずに聞いた。時折目をむいて驚いた表情をしたけれど終始落ち着いていた。
「それでも僕は君を1人の女性として好きなんだ」
最後にそう締めくくった。
「その上で、アオイの気持ちが訊きたい」
「それは真也君の想像でしょう?」
「そうだけど、僕の中ではほぼ確定なんだ」
彼女は僕の手を握る手に力を込めた。
「ふうん……でも、それがどうしたの?」
「え?」
「だって、わたしたちは赤の他人なんでしょ?」
「……法律上はね」
「じゃあ、何も問題無いじゃん」
「そ、そうだけど――」
僕が言いかけようとすると彼女の掌が僕の口を覆い言葉を遮った。
「今さら……もう止められないよ……」
彼女はそう言うと僕の口から手を開放し僕の膝の上に跨り、首に腕を絡め回し妖艶な目で僕を見つめてきた。そしてゆっくり顔を近付けると僕にキスをし舌を絡めてきた。これが答えだと言わんばかりに。
僕もそれに応えるように彼女の舌を貪った。
全てが明らかになり僕たちが将来を語るならばそれは傍生の行いと言えるだろう。
だけど実際は
最後の一点だけは曖昧で縹緲としている。
だとしたら、僕たちの行いはなんだろう。
その境界線はあるのだろうか。
僕は人に生まれて、人として育ち、人として生きて、人に恋をした。
その人を愛し、かけがえの無い人になった。
それはこの先ずっと変わらない。
それだけの事だ。
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