第06話 邂逅6
「バーガーコングに行きたい。わたし一回も行った事ないんだ」
「バーガーコング?」
「うん、マッパーが食べてみたい。東京にはいっぱいあるでしょ? わたしの地元には無かったからずっと憧れてたの」
どこに住んでいたんだろう。バーガーコングの無い県もあるのか。田舎の子が東京にしかないブランド物の店に憧れるという事はよくあるけれど、バーガーコングとは。
何故か謎の優越感を抱きながら眉を顰め少し首を傾げて彼女を見た。彼女も同じように小首を傾げて僕を見て微笑む。あざとい。
「バーガーコングね……」
僕は無意識に手を顎に当てた。
バーガーコングか、マックはあるけどバーコンはこの近くにあっただろうか。無かった気がする。でもせっかく食べたいと言うのだから食べさせてあげたい。バーコンの場所を思い浮かべる。一番近いのは秋葉原かな。逆方向になっちゃうけど浅草か南千住の方が近いのだろうか。
本当はもっとスマートに案内したいのだけれどあいにく近くに店舗はなさそうだし、僕は仕方なくスマホで店舗を検索するとどうやら中野の駅前にもあるようだ。なんだ、家の近くにもあるじゃないか。今まで行かなかったのかな。
「池上さんの家、中野だよね? 中野の駅の近くにあるけどそこまで行く?」
天から何かが舞い降りたように自然に長文が口から出た。なんだ、僕意外とやれるじゃないか。
「へえ、そうなんだ。私の家、中野だけど駅は沼袋だから気付かなかった」
「西部新宿線?」
「そうそう」
そっか、どうしよう。
「それに中野まで来てたら大崎さんが帰り遅くなるでしょ?」
そうかな? 中野なら僕のアパートまで歩いても3、40分で家に着きそうだけど。確かに電車で帰ろうとすれば路線が違うから面倒かも知れないけれど、直線距離にしたらそれ程でもない気がする。ガチリと僕の意思が固まる音が聞こえた。
「いいよ中野の店に行こう。僕帰りは歩きで帰れるし沼袋なら通り道だし一緒に帰ればいいよ、送っていくから」
最後の「送っていくから」は僕の浅ましさが滲み出た一言だった。出会った初日にどうこうはないだろうけど、それでも1パーセントでも可能性があるなら賭けてみたい。それより必死さが滲みだして引かれないだろうか。
「そんな悪いですよ」
「気にしなくていいよ。僕がそうしたいから」
邪な考えがふつふつと沸いてきて逃がすまいと努力する。普段からこれくらい積極的なら仕事も恋も上手く行くのかも知れないのに。
「そうですか……じゃあ……行こう!」わあいと言って彼女は喜んだ。笑顔が眩しい。もうずっと鼓動が早くなっていて心臓に重りを付けられたみたいな違和感がある。
それにむしろ遠い方が良い。その分一緒にいられる時間が増えるから。乗り換えが面倒くさい方がいい。スマートに案内して東京に詳しい男としての僕の株を上げられるかも知れないから。彼女の願いを叶える良い先輩を気取っているけれど結局これは僕の打算だ。
鶯谷から山の手線に乗った。当然座れるはずもなく車両の中ほどで2人並んで立つ。夜の車窓に映る彼女を見て、時折車窓に反射した彼女と目が合った。初めこそお互い目を逸らしたけれど、そのうち首を曲げてお互いを見ながら会話するより楽な事に気が付き、車窓越しに対面して会話をした。
「鶯谷って事は、まさか藝大?」
沈黙は気まずかろうと問いかけてみる。
「あはは、そうみえます? って違いますよ。わたし芸術の才能なんて無いですから」
「そう」
また「そう」なんて言ってしまった。どう答えれば会話が広がったんだろう。
「鶯谷はバイト先の最寄り駅ってだけで、大学はもう少し北にある大学です」
都大かな? さすがにそれだけの情報では特定できない。むしろ知られたくないからそういう言い方をしたのかも知れないから触れない方がいいのだろうか。
「何を勉強しているの?」
「看護学科です」
「看護師になるの?」
「うーん、夢って訳じゃないけど、本当に漠然と何がしたいか分からなくて……わたしに看護なんて出来るのかなって不安もあるし。ただなんとなくそこを選んだって感じで」
そういう物なんだろうか。確かに高校卒業時点で確固たる将来の夢を持つ事は難しいのかも知れない。僕だって夢なんて分からないし、金銭的な理由で大学進学も諦めた訳だし、今だって死なない為に漠然と生きているだけだ。
だから、夢のある人が羨ましいって思う事がよくある。夢の実現に向けてひた向きに努力している人を見ると、才能以上に嫉妬してしまう自分がいる。何か夢中になれる物を持っている人を羨望の眼差しで見てしまう。自分には無い物だから。
だけれど、本当の所はもう少し違う。夢を持っている人に嫉妬しているんじゃなくて、夢を追いかけられる環境がある事に嫉妬しているんだ。
僕に、子供の頃から何か夢があったとしても、それを追いかけられる環境が僕には無かったから。
政治家の子供が政治家になったり、スポーツ選手の子供がスポーツ選手になる。医者の子供が医者になったり、芸能人の子供が芸能人になる。大工の息子が大工になったり、冴えないサラリーマンの子供が冴えないサラリーマンになる。
勿論、遺伝による才能は少なからず影響していると思うけれど、生まれながらにして親と同じ仕事に就ける環境があるんだろう。僕はその環境がある事に嫉妬しているんだ。
じゃあ僕が生まれながらにして就ける仕事は何だったんだろう。高校までの学費は施設が負担してくれた。だけれど、高校卒業程度の学力で何が出来るというのだろう。上手く喋る事が出来るならば営業職等に就けたのかも知れない。でもそれが夢かと問われると全く違う。生きるための手段でしかないのだ。
親ガチャなんて言葉があるけど、本当に僕は親ガチャで外れを引いた。生んでくれた事に感謝をしているかと聞かれても、こんなんなら生んでくれなくて良かったと思う事もある。手放すくらいなら初めから産んでくれなくて良かったのに。それともただ、快楽の副産物だったのだろうか。
どこで何をしているのあろう? 生きているのか死んでいるのかすら分からない。僕を生んで何がしたかったのだろう。どうして手放したのだろう。僕が生まれた時、一瞬でも喜んでくれたのであろうか。
「――さきさん?」
車窓に映る僕を見て、「お前はいったいどこの誰なんだ?」と心の中で問いかけていた。
「大崎さん?」
はっ!
「あ、ごめん……」
「どうしたの? 難しい顔して。また真顔になってるよ?」
車窓で反射する彼女は心配そうに僕を真っすぐに見つめていた。
「ごめん、考え事を……」
「大崎さんが笑わないのはいっつも考え事をしてるから?」
車窓に映る彼女は僕にも判る様に首を傾げた。
「ごめん……」
「そんなに謝らないで下さい」
「ごめ……あ、はい」
「ほら、笑って笑って。大崎さんの笑顔、素敵ですよ?」
再び心臓が飛び跳ねた。この子はあざとすぎる。これを無自覚でやっているのなら彼女は罪な女の子だ。
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