邂逅
第01話 邂逅1
『305 退室準備デス』
バックヤードでリネンを畳んでいるとコンピューターで生成された機械的な女性の声が聞こえてきた。早いな。入室してから1時間も経っていないじゃないか。1時間未満で愛を確かめ合えるのだろうか。僕はそんな時間で済まされた女性に同情しながら交換用のリネンを抱え客室の引き下げの準備を始める。
「大崎君、ついでにコレも持って行って」
少し低めの声の主に振り返ると同僚の
「はい」
女性にとっては重いであろうタンクを僕は片手で受け取った。
「さっき305号室掃除した時にもう無くなりそうだったから」
「分かりました」
良く観ているんだな。野田さんは23歳女性、独身、彼氏無し(恐らく)。同じ職場で同じような時間帯に仕事をしている。美人な野田さんに何故彼氏がいないのか不思議に思う。
『305 清算中デス』
続いて流れる機械的な音声。僕は壁に掛かっている大型モニターを見ると、305の部分が赤字になり点滅している。清算中を示す表示だ。
『305 退室シマシタ』
僕は一呼吸置いてから廊下へと出た。
ホテル『タイムカプセル』
僕が働くホテル。世間一般にはラブホテルと呼ばれている施設である。ここで朝の9時から夜の9時までが僕の決まったシフトだ。仕事内容は主に客室の掃除。
高校を卒業と同時にこのホテルにアルバイトとして働き始め、21歳になる現在もここで働き続けている。
大学に進学しなかったのは単純な理由。学費が賄えないから。児童養護施設育ちの僕は高校を卒業と同時に施設を退所しないといけなかった為、施設の斡旋ですぐに働けるこのホテルにアルバイトとして入った。施設に入所中は施設が法定代理人となる為、未成年でも仕事を探す事も住まいを探す事も出来る。
21歳になった今もアルバイトとして働き続けているのは、未成年の内に仕事をやめてしまうと先ず住むところがなくなってしまう。住むところが無いと住所が無い為、住民基本台帳への登録が出来ない。そうすると次の仕事が探せないからだ。
八方塞がりの様な状態でこのホテルで働き始めたけれど、成人になった今現在もここで働き続けている。理由は、基本的に人と関わる事が苦手な僕が働くにはこのラブホテルと言う職場は居心地がいい。僕の入っているこの時間帯は主婦やフリーターの女性が多く、煩わしい人間関係も男の僕にはあまり影響しない事も要因なのだろう。
305号室の引き下げを終えてバックヤードに戻ると、
「大崎、ちょっといいか?」とマネージャー室から顔を出したマネージャーの三宅さんから声をかけられた。引き下げてきた食器などを一旦作業台へ乗せマネージャー室へ向かう。三宅さんは30代の独身の男性でこのホテルの唯一の正社員。ここに住んでいるのかと思うほど毎日ここにいる。実際夜は客室で寝ているらしい。当然住まいはあるのだろうけど、帰るのが面倒くさいのか此処を住処の様にしている。
「失礼します」と言って部屋へ入ると椅子を勧められるので言われるがまま腰掛けた。
三宅さんは何やら履歴書の様な物を見ながら、
「明日から一人入るんだ」と言う。新しいバイトが入ってくるのだろう。別に珍しくも無い良くある事だ。
「大崎、お前が教育担当だ」
「はあ……」
これも珍しくない。
「今年都内の大学に進学した18歳の女性だ」
女性? そこで初めて疑問が生まれた。なんで僕なんだろう。普通女性はルーム作業に回り引き下げはしない筈だけれど。疑問に思う僕の様子に気付いたのか三宅さんは、
「ああ、勿論ルームの教育をしてくれ」と言う。客室清掃には僕のやっている「引き下げ」と呼ばれる業務と「ルーム」と呼ばれる業務の2種類があり、ルームと言うのは二人一組で引き下げ後の客室の清掃やアメニティグッズの補充などをする。ベッドシーツを敷くのもルームの役割だ。主に女性が担当するのだけれど、忙しい時や、女性スタッフに欠勤等がありスタッフの人数が奇数になってしまう場合は僕もルームに回る事がある為作業内容は理解している。
僕の働くラブホテルの業務は役割分担制だ。主に4つの持ち場があり、受付、キッチン、ルーム、引き下げの4つがある。男の僕は主に「引き下げ」と言う業務を行う。
「引き下げ業務」とは、客が退室した部屋へ真っ先に入ってベッドのシーツやピローカバーを剥がし、客が使用した食器やグラスの撤収 や客室内の大きなゴミを回収する。その後に浴室の洗浄を行う。ここまでが「引き下げ」の分担でこの業務は男性一人が担当する。何故男性なのかと言うと、シーツの剥がしや食器の片付けなどの力仕事があり、風呂場の掃除も意外に体力を消耗する為女性スタッフに配慮された結果こうなっているらしい。
一人で黙々と引き下げを行うこの仕事は肉体的には疲れるけれど、人と関わらない為精神的なストレスは感じない。ずっとこの職場に居続けているのはそういったストレスが無く働きやすいからだ。
「実はこの前辞めた北川さんな、覚えてるだろう?」
北川さんは先週アルバイトとして入ったけれど3日で辞めた人だ。辞めた理由は知らないけれど、4日目に急に来なくなった。
「はい」
「ここだけの話なんだけど、その辞める理由が野田さんとウマが合わないし怖かったって言ってたんだよ」
確か北川さんの教育係が野田さんだったという事を思い出す。
「まあ、野田さんも真面目な人だし、ちょっと厳しく指導しちゃったのかも知れないけれどさ、3日で辞められるのも困るんだよね」
「はあ……」
それは解る。野田さんにしても教育に費やした3日間が徒労に終わる訳だし。
「だからいっそ口数の少ないお前の方が相手も怖がらずに済むんじゃないかと思うんだよ」
無口な男性の先輩。余計怖がられないだろうか。三宅さんにしては随分と冒険するんだなと思った。
「まあ試しにやってみるって感じでさ、とにかく頼むよ」
「はい」
そこまで言われると嫌とも言えないし、そもそもバイトの僕に拒否権など存在しない。
「彼女のシフトだけど、火曜日と水曜日と金曜日は午後6時から9時まで。土日は午後1時から9時まで入る。休みは月曜日と木曜日だ」
休みの曜日まで僕と一緒なんだ。しかし、大学生の癖に良く働くんだな。土日までシフトに入るなら遊ぶ時間が無いのでは?
「ああ、お前の休みに合わせてシフト組んだからこうなった」
また僕が疑問の顔をしていたのか僕の疑問に答えるに様に三宅さんは付け加えた。
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