第8話
セレナがリベルタ号に拾われて三日後。積荷の出荷と新たな仕入れを済ませ、リベルタ号は次の大地へ向けて出港する。船を出す直前にリュカは何度も「本当に俺達についてくるのか」と念を押して諦めさせようとしたが、当然ながらセレナの意思はぶれなかった。
「別にこの船は冒険をしているわけでも宝探しをしているわけでもない。決まった土地を何か所か行き来して商品を輸送しているんだ。腕の良い航海士は何人も在籍しているし、長年研究されつくした安全な航路を通るから滅多なことは起きない。想像してたよりつまらないか?」
出航して二時間ほどが経過すると波は安定し、船上の空気は穏やかなものになった。港で過ごした三日間でセレナがどれだけ世間知らずなのかを理解したリュカは、個人的な理由も相まって何かと彼女の世話をやくようになった。
「いえ、船に乗るのは初めてなので、とてもわくわくします」
セレナはというと、人間の身体の動かし方や人語にも大分慣れていた。そして、言葉を交わしてみるとリュカは想像通り優しい人間だと知ってさらに好きになった。間近で見るリュカの凛々しい横顔を何度もチラ見しては顔を赤くし、必死で冷静を装う。
「船の上で見る海は、なんだか生き生きとしていますね」
好きな人と肩を並べて見る明るい海は、自分がずっと見てきた景色とは全く異なり、人魚だった頃に見えていた世界よりもずっと鮮やかだった。それは隣にリュカがいるからなのか、澄んだ空気の世界が薄暗い水の世界より美しいからなのかはわからなかったが、セレナは人間になった事を心の底から喜んだ。
「セレナの故郷には海があったのか」
「そうだと思います、私、海が好きみたいです」
本当は今すぐにでも告白をしてしまいたい気持ちだった。同じ人間になってリュカと接触して、彼への想いは日に日に膨らんでいく。リュカもまた自分に非常に優しくしてくれていて、二人の距離は段々と縮まっているように感じられた。
この人こそが運命の相手だ、絶対にこの人と一緒になりたい。その確信は充分にあったものの、同族にすら恋をしたことが無いセレナはどうやってアプローチしたら良いのかわからない。
「いくら海が好きでも、こんな下品な野郎だらけの船に乗ることはないだろ」
「ふふっ、みなさん良い人ですよ」
結局この船でセレナは乗組員たちの慰み者になるような事は無かった。リュカが番犬のように目を光らせていた事と、セレナの外見が幼過ぎるあまりキャプテンの親心をくすぐった事、そしてセレナ自身の真面目で健気な性格から純粋に船乗り達に気に入られていたからだ。元々気性は荒いが悪人でもない船乗りたちはセレナを妹分のように可愛がり、看板娘を文字って『リベルタ号の甲板娘』なんて呼んだりもした。
「あいつらが優しいのはセレナにだけだ。セレナの見た目が可愛いから・・・」
「へっ?」
突然の言葉に思わず顔が赤くなる。そんなこと、母親とリーネにしか言われたことが無かった。
「なっ、なにこれくらいで照れてるんだよ。ガキじゃあるまいし」
そう言いつつ、リュカもつられて赤くなっている。
「すみません、そんなこと男の人に言われたのは初めてでしたので」
嬉しく思いつつも、今の自分の見た目は人間になるために作られた偽物だということを思い出す。黒い髪に黒い瞳、そして人魚には殆ど存在しない真っすぐに伸びたロングヘア。
普段は仕事をするために毛先の方を紐でくくっている長い髪を解くと、真っ黒い髪はふわりと潮風にたなびいた。
「リュカさんは、人魚を知っていますか?」
本来の自分の姿も可愛いと思ってくれていたら良いのに。淡い期待を胸に少しだけ危険な話題を振ってみた。リュカはどこか不機嫌そうに答える。
「ほかの船員から聞いたのか?俺は人魚を見たことがあるんだ。不思議な出来事も起きなかったから、誰も信じてくれないけどよ」
自分の事を覚えていた事実に、セレナは咄嗟ににやける口元を誤魔化した。
「どんな姿をしていたんですか?」
「なんだ、信じるのか?」
「もちろんです。人魚はいますよ」
「船に乗った事も無いくせに、変な奴だな」
悪い気はしない、といった顔だ。
「姿か・・・すごく綺麗だったよ」
「えっ!」
「なんていうか、こう、ふわふわした桃色の髪の毛で、肌は白くて、あと目の色が、快晴の空みたいに清々しくて、とにかく、綺麗な人間よりずっと美しい見た目だった」
「・・・・・・そ、それで?」
頬の筋肉だけでは抑えられなくなった喜びをさらに誤魔化すためにそっぽを向く。
「耳のところにヒレみたいなのがついてて、えっと。あぁ、下半身は噂通りの魚の身体だったと思う。あれは絶対人魚だ。なにより・・・頭がぼうっとするくらいに綺麗な歌声まで聞こえたからな。人魚の歌は船乗りを惑わすなんて言うけど納得したよ、本当に綺麗な音色なんだ、静かな海によく似合ってて、人間の歌声とはまるで違う、心に直接響くようだった。メロディーはどこかで聞いたことがあるような曲だったけど、今まで聞いたどの曲より心地よかった。聞いているとふわふわした気持ちになって、眠たいようなとんでもなく気持ち良いような、たぶんあれが魅了されてるっていう感覚なんだろうな」
「・・・」
「もし、あのまま人魚の歌を聴き続けてたら俺は歌声の言いなりになって海に身を投げていたかもしれないな。あの時は諦めてどっかに行ってくれてよかったよ」
「・・・・・・!!!!?」
「あれ、セレナ?」
あの夜の出来事をやっと茶化さずに聞いてくれる相手に少々興奮気味に語りつくしたリュカだったが、気が付くと目の前の少女は顔を真っ赤にして何とも言えない声を漏らしていた。
「あ、あ、あ、あああ、あ、あのっ、寒くなってきたので部屋にもどりますぅ!!」
「お、おう・・・」
そう言って彼女は船内に走り逃げてしまった。
「こんなに日が出てるのに?」
リュカは首を傾げた。
*
セレナに用意された部屋は元々船員用倉庫として使っていた空き部屋を改造した場所だった。狭いながらもプライベートな空間を貰えたのは新人船乗りとしては破格の待遇であり、それだけで船長達に特別扱いされているのがわかる。
「わ、わわ、わたくしのこと、綺麗だって、魅了されるって、今までで一番の歌声だって・・・ど、どうしましょう、そんな、そんなのっ」
部屋に入るや否やぺたんこの麻布団にダイブし、脚をばたつかせる。その姿は釣られそうになったところを必死で抵抗する陸の魚のようだ。
「それに、身を投げそうなほどの歌声だなんて・・・そんなぁ」
人間を惑わす人魚は数多くいても、魅了した人間から直接感想を貰う人魚はセレナくらいだろう。素直な誉め言葉の連発に顔の熱が全然収まらない。
「あぁ、どうしましょう。嬉しすぎます。こんなに幸せでいいのでしょうか、リュカさんは私の本来の姿も今の姿も愛らしく思っていてくれて、それに私の歌をあんなに褒めてくれた」
高鳴る胸はいくら深呼吸しても落ち着いてくれず、枕を抱いてゴロゴロと暴れる始末。
「どうしましょう、私リュカさんが好き。もっともっと好きになってしまいました。気持ちが抑えられない、黙っているのが辛いです、もう全部事情を話してしまいたい、私があの時の人魚ですって、私の好きの気持ちと一緒に全部届けてしまいたい。もうすべて伝えていいのではないでしょうか、リュカさんもあんなに私の事を褒めてくださいました。今の私も、本来の私もどちらも魅力的だと言ってくれましたし・・・」
淑女たる気持ちと恋する乙女の気持ちがバシバシに喧嘩し合うも、リュカからの誉め言葉に興奮したセレナはお得意の頑固な行動力を発揮させる寸前にある。
「それに、全てを話せばリュカさんもきっと私の事を・・・」
心の中で魔女とリーネに深く感謝した。
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