琥珀

東条 朔

第1話

 ""How would you know the difference between the dream world and the real world?""


---MATRIX


 目が覚める時の感覚は,重く固まった脳漿から,スっと太い糸を引き抜くようだ.僕,私,あるいは,俺様,なんでもいい.短いから,僕でいいだろう.瞼を開くと,波動が目に映る世界を静かに歪めた.どうやら水中にいるらしい.同時に息を吐いたので泡が視界を騒がしく歪める.呼吸器のおかげで水中でも生きていけるようだ.僕は呼吸を止めて,視界を明瞭に保ってから,もう一度自分が置かれている状況を把握することにした.すると,青すぎる水の向こうにガラスのような壁が見えた.推測するに,僕は水槽の中にいるのだろう.なぜ,このような状態にあるのか?...僕はそれを知っている気がした.

「Hello!こんにちは! 紳士,淑女...湯加減はいかがかな?」

突然,鼓膜が振動を捉えた.水槽の外に誰かいるのだろうか?僕は目を凝らして見たが,青すぎる水のせいで遠いほど黒く,そこには虚無があった.それから,なにか反応を返そうとと思い,声を出そうとしたが呼吸器のせいで話せない.けれど,僕は声を出さなくても言葉を伝える方法を...それを知っている気がした.

「congratulations!! そうだ,君は知っている.その方法を! さあ,やってみたまえ.」

男か女か,判別のつかない声音で彼はそう言った.なぜこちらの思考が読めるのか?読めるなら話す必要も伝える必要もないではないか.僕は内心,面倒だな,と思いながらその思考を,言語を強く念じた.""届け""と.

「OKOK!受信した.多少のタイムラグは仕方がないか.なにせ君は,生まれたばかりの旧人類...もとい,プロトタイプ共と等しいのだから.あぁ,それとね...君の脳波に見られるノイズは,オールドスピークならデジャビュ-というのだけれど,我々,霊長観測者がエコーと呼んでいるものだ.」

男の説明はいまいち要領を得ず,そして僕は自分の知りたい答えを既に知っているような気がした.ただ一つ明確なのは,現状僕の立場は不利だということだ.知っている気がして,知り得ることのできない情報は知らないことと同義なわけで.加えて,奴は呼吸器を止めて僕をいつでも殺せるときている.まず,少ない情報から相手の意図を分析するべきだ.僕は思考を読み取られないように,いかにも混乱しているといった風のダミー脳波をBMIに走らせ......僕は今,なにをしようとしたんだ!?ダミー脳波?BMI?何だそれは?いや,僕は知っているのか.そうだ知っているのだ.そして,僕は次の瞬間にはこう言っていた.

「Hello...エニグマ 僕は少しずつ状況を把握しています.それよりこのノイズは不快です.リミッターの解除を要請します.」

口をついて出た言葉に,驚き,そして...同時に理解していた.

「そうか...僕はこれから長い眠りにつくわけですね.今目覚めたのは,僕の使命について説明をするためでしょうか」

僕は言葉を発っして,話の内容に疑問をもち,困惑して,そして理解するまでを同時に行っていた.

「適応してきたね.適応と思考は,我々霊長の数少ない特長だよ.そうとも,ウォッチャー.君はこれから使命について知ることになる.そして,君はこれまで人類が積み上げてきた叡智その全てにアクセスできる.月にあるアーカイブから君の脳漿を介して,君は知りたいことを既に知っていることになるのさ.といっても,我々は形而上の存在については到達し得なかったわけだが.......差し詰め私は,君がこれから歩む永遠に近い冷凍睡眠のための水先案内人といったところだ.単刀直入に言おう.我々が君に課した使命は,リセット後に発生する新人類に知恵を与え,約束された結末"人類浄化"を回避することだ.といっても,君の前任者が失敗しちゃってね.どうやら人類は生殖機能をもったままだと,必ず,他種族と軋轢が生まれるらしい.君が担当する人類は頃合いをみて,去勢をするといい.あぁ,わかっていると思うけど人類全体に影響のある戦争はご法度だが,局所的な戦争やパンデミックは奨励されるからね.まあ,そのへんの人口コントロールは演算できるだろう.それと,今は閲覧にリミッターをかけているから,こうして会話が成立するわけだけど数時間後には全能者さ.それまでノイズは我慢してくれ.」

「copy.素晴らしい.これが僕の生まれてきた意味なのですね...なんてことだ,人類の叡智はついに全能と不死を実現したのですね!あぁ,僕はなんて幸福なんだ!!」

文字通り,生まれてはじめて感動していた.これが最後の幸福だとも知らずに...


「それでいくつか質問があるのですが...なぜ今すぐ,全能者になれないのですか?それと,コールドスリープの必要性は...」

自分がこれから取る行動は知っているけれど,理由について閲覧することができなかった.

「今幸福だと感じているだろう...なぁ,ウォッチャー.幸福や不幸といった外的情報の心理的演算結果が人に与えるものはなんだと思う?」

質問を質問で返すのはナンセンスだといってやろうかとしたが,生殺与奪はエニグマにあるので,素直に答えることにした.

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琥珀 東条 朔 @shuyanatsuki

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