第32話 拓哉退社
時刻は少し戻って17時。
拓哉の会社の定時だ。
拓哉は今日の仕事に全く身が入らないままこの時間を迎えた。
仕事は何も進んでいないと言っても過言ではないが、この業界でまだ社会人3年目の拓哉はそこまで重要な仕事を任されているわけでもない。
半人前どころか、まだ新人レベルの扱いを受けているがこの業界では決して珍しいものでもない。
勿論優秀な人物なら第一線で活躍してても不思議ではないが、残念ながら拓哉はそうではなかった。
自宅のことや光のこと、未来への帰り方など気になる事が多くあり、その事ばかり考えていた。
早く家に帰りたかった。
帰ったら光がいる。
光がいるから何というわけでもないが、何故か帰るのが楽しみだった。
だがこういう時に限って時間の流れが遅く感じるもので、体感12時間くらいの時間がかかった。
その苦労(?)もようやく終わり、定時になった。退社時間だ。
いつもなら残業じゃなくても無意味に17時半くらいまで残っているのだが、今日はすぐに帰り支度を始めた。上司や同僚に退社の断りを入れて、席を立った。
足取りは軽かった。
まだ帰ってきてないかもしれないが、それでも今日は光がいる。
普段から帰るのは好きだ。というより働くのが嫌いだ。
だが今日は更に帰るのが楽しみで、ウキウキしていた。
本来なら帰ってからの夕食のことなど考えるべきことは色々あったんだろうが、そんなものそっちのけで軽やかな足取りで最寄り駅に向かっていた。
最寄り駅で電車に乗り数駅。時間にしたら10分程度。拓哉は自宅の最寄り駅に着いた。
ここまで来ると会社の人に見られる確率もぐっと下がるので、気が緩んだのか顔がにやけていた。
女子が部屋にいるというだけで人生がこんなに楽しくなるものとは知らなかった。
少し前までの拓哉は未だ結婚など考えることは無かったし、どちらかと言えばネットに毒されて否定的な方だった。
だが、結婚して幸せそうな人たちの気持ちも少しわかる気がしていた。
そんな色んなことを考えながら歩いていたせいだろうか。
全く周りが見えていなかったからだろうか。
冷静だったとしても全く気付いていなかったかもしれない。
「すみません、ちょっと良いですか?」
もう自宅まですぐそこだという辺りで男に声をかけられた。
電車に乗る前からつけられていたのだが、全く気付いていなかった。
肩を叩かれ、声をかけられるまで接近していることに全く気付かなかった。
拓哉は驚いて後ろを振り返った。
「あ、えっと・・・なんでしょう?」
恐らく30代後半から40前後くらいの男性に声をかけられた。
最初は道でも聞かれるのかと思ったが、男の雰囲気がそんな感じじゃない。
何か力強い目をしていたし、これは道に迷っている感じの呼び止められ方ではなかった。
「呼び止めてすまないね。単刀直入に聞こう。先日の土曜日梅田で発光事件があったのは知っているね。そしてその現場に君もいたよね?」
拓哉は驚くと同時に焦った。
この男は先日の梅田での件を知っている。
目的はなんだ?光か?謎の発光そのものか?
そもそもどうやって俺に行き着いた?
これは正直に答えて大丈夫なのか?隠したら逆に怪しくなる?
どうしたら良い?この男は何者なんだ?
色々な考えが頭の中を高速で駆け巡り、拓哉は返事を出来ずにいた。
すると先に男の方が口を開いた。
「驚かせてしまってすまないね。少し話が聞きたいだけなんだ。先日の梅田での発光事件について調べていてね。その現場に君と女性が二人でいたと思うんだが、違ったかな?」
どうやらこの男は発光事件そのものを調べているらしい。
光の件で失念していたが、確かにあの発光事件自体が謎が多い。
光のことを知っている拓哉はタイムスリップが起こった関連なんだろうと思えるが、光のことを知らない人にとっては謎の多い一件なんだろう。
とぼけても良いが、あの事件を調べているなら何らかの情報が得られるかもしれない。
そうすれば光の役にも立てる。そう思い、少し探りを入れてみる。
「ええ、確かに土曜日は梅田で謎の光が起こった場所にいました、あなたは一体何者ですか?」
「やはりか!実は私もその現場に居合わせていてね。あ、申し遅れたが私はこういう者です。」
そう言って、男は名刺を差し出してきた。
「佐藤さん・・・探偵ですか。」
(探偵・・・しかも当日現場に居合わせた人物か・・・なら調べるのも、俺までたどり着けたのも頷ける気がする。)
なぜ頷けるのかはわからないが、拓哉の中では納得が出来たらしい。
(なるべくこちらの情報は出さずに、相手側の情報を引き出そう。)
「その探偵さんが僕に一体どんな用ですか?やっぱりあの光ったやつ、何かの事件なんですか?」
「先ほども言ったように、少し話が聞きたいだけだ。それと、何かの事件なのかどうなのかを調べているところだよ。とはいえ、今日は急に押しかけてしまったからね。後日改めて話を聞かせて頂きたいんだけど、どうかな?」
拓哉は考えた。
(事件なのかどうなのかもわかってない状態・・・か)
探偵が調査をしているってことは何かしらの情報があって動いているのかと思っていたが、この口ぶりだと何も掴んでないんじゃないのか?
ならこの男から引き出せる情報もなく、メリットもない気がする。
連絡先はわかったわけだし、ひとまず保留して、もう少し様子を見てから連絡しても良さそうだ。
拓哉なりに考えた結論は連絡先を確保しつつ、様子見だった。
「そうですね。じゃあまた時間がある時にこちらから連絡させて頂きますので・・・」
こうでも言っておけばこの場は一応納得するだろう。
ここはこれで『正解』のはず・・・
だが、相手の男は一枚上手だった。
拓哉が言い終わらないうちに、『提案』をしてきた。
「そうだな、明日は時間があるかい?出来れば土曜日にいた女性と一緒に話を聞かせて欲しいな。特に女性の『正体』とかを、ね」
拓哉はドキッとした。しかし男がさらに続ける。
「家はこの『近所』だよね?明日またそこの駅の改札まで迎えに来ようか?それとも『君の会社の』最寄り駅の方が良いかい?」
再び拓哉は焦った。何を言っている?
なんで自分の最寄駅や会社まで知っている?
この男は『どこまで』知っているんだ?
「じゃあ、明日。時間とかは任せるから、彼女の方と都合を合わせて名刺の電話番号まで連絡をよろしく。出来れば今日中だと助かるよ。」
そう言って、男は去って行った。
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