第108話 日曜の出来事

 日曜の早朝6時、菱友家での事である。香澄は、リビングでストレッチをしていた。


 そんな彼女のことを、母の優実が感心して見ていた。



「香澄。 今日は、休みなのに早いのね。 あの人は急な海外出張で、家に帰ったのは夜中の3時過ぎだったから、起きるのは昼頃よ。 あなたの話は昼食の時に聞くと言ってたわ」


 優実は、少し伏し目がちに話した。仕事ばかりの夫に、彼女も寂しい思いをしていたのだ。

 


「お父様は、相変わらず忙しいのね。 私は、午前中は部活で出かけるけど …。 昼食までには帰るわ」


 香澄は、笑顔で話した。彼女は、ここのところ機嫌が良い。

 

 少し前まで、何だか落ち込んだように見えたから、明るくなった娘の姿を見て、優実はホッとしていた。



「そうして、ちょうだい。 静香も高校の進路の話があると言ってたから、帰りが遅れるようなら静香の話を先に聞いてるわ」


 優実は、優しく答えた。



「いいえ、だいじょうぶよ。 お父様が起きる頃には帰ってると思うわ。 でも、あの娘ったら、志望校は駒場学園高校じゃないのかしら?」


 香澄は、少し心配そうに母の優実に目配せした。



「分からないわ。 静香にも考えがあるんだろうけど …」


 優実は、少し不安そうに話した後、続けた。



「それはそうと、部活で学校へ行くのを、運転手の武藤に言ってあるの?」


 優実は、香澄をチラッと見た。



「武藤は、私のスケジュールを把握してるからだいじょうぶよ。 それに、昨夜の、お父様の車の運転は、武藤じゃなかったでしょ?」



「そうね、会社の専属運転手だったわ。 武藤は、香澄の専属みたいになってるけど、たまには休ませてあげてね」



「分かってるわ。 でも最近は、静香の用事で運転することも多いのよ。 手が足りないのなら、運転手を増やしたらどうかしら?」


 香澄は、母の優実に訴えた。

 


「そうね。 手が足りない時は、民間のハイヤーを頼んでるけど …。 住み込みの運転手を、もう1人雇う必要があるわね」


 香澄の話を聞いて、優実は納得したようすだ。

 事もなげに話すが、裕福な菱友家にとって人を雇うなど、造作もない事であった。




 香澄が部活に出かけてから、午前10時過ぎに静香が起きてきた。



「静香、起きたの。 家政婦に言って早く朝食を食べなさい」



「はい、お母様。 ところで、お父様は?」



「あの人は急な海外出張で、家に帰ったのは夜中の3時過ぎだったから、起きるのは昼頃よ。 進路の相談は、昼食の時に、香澄の話の後に聞くわ」



「うん、分かったわ。 ところで、お姉様は?」



「部活に行ったわ。 でも、お昼には帰るわ」



「朝から、元気いっぱいね」


 静香は、呆れたような顔をした。



「香澄は、女子空手部の部長だからね …。 あの娘は根が真面目だから、休んだ事がないわ」


 優実は、ニヤッとした。



「お母様。 お姉様は最近機嫌が良いけど、何があったのかしら?」


 静香は、姉の機嫌が良い理由が分からなかったが、何か嫌な予感がしていた。



「そうね、機嫌が良いようだけど、なぜかしら? それより、早く朝食を食べなさい。 ボサボサしてると、お昼になるわよ!」


 優実は、静香を急かした。



「今、食べると …。 お昼は要らないかも?」


 静香は、ボソっと言った。



「何言ってんの! 今日のお昼は、久しぶりに家族4人、全員で食べるんだからね。 あの人は、楽しみにしてるのよ!」



「お父様のためか …。 分かりました」


 そう言うと、静香は食堂に向かった。




◇◇◇



 その頃、駒場学園高校の武道場での事である。

 部長の香澄の号令のもと、女子空手部員が整列していた。



「押忍! 今日、皆んなに連絡がある。 三枝特別師範が、不定期ではあるが、また指導してくださる事になった」


 香澄が話すと、周りでヒソヒソとささやく声が聞こえた。



ーーー


「わー、嬉しい!」


「何で?」


「眼鏡を外した姿を見た者だけが知ってるのよ。 フフっ」


ーーー



「静かに!」


 いつになく厳しい、部長の声が響き渡った。

 


「それでは特別師範。 ひと言、お願いします」



「押忍! 頼まれた3ヶ月の期間は満了したが、引き続き皆さんを指導する機会を与えられた。 不定期ではあるが顔を出すので、お互い切磋琢磨して技を磨こうじゃないか!」

 


「三枝特別師範、お願いします!」


 女子部員が一斉に声を上げた。


 俺は、わざと厳しい顔をしたが、堪えられず少しニヤけてしまった。



「ウオッホン!」


 そんな俺の顔を、香澄が不満そうに見ていたため、咳払いして誤魔化した。




 その後、基礎鍛錬、形と組手の練習を行った。


 やはり体を動かすのは気持ちが良い。俺は、自然と笑顔になっていた。




 無事、練習を終え、菱友家の車のところに行くと、運転手の武藤が降りてきて、後部席のドアを開けた。


 香澄に促され、2人で乗り込んだ。



「元太、ありがとう。 この後も、月に1回で良いからお願いね!」




「ああ、分かったぜ。 ところで、昼食はどうする?」



「そうね。 定食屋に行って2人の定番、野菜定食の大盛りを食べたいけど …。 今日は家で、お父様を交え食事する約束をしたの。 ねえ、元太も家に来てよ」



「悪い。 今日は遠慮しとく」


 俺は、香澄と付き合うことを公言すべきと思ったが、静香が悲しむ顔を思い浮かべると気が進まなくなってしまった。



「何よ。 静香に気を使ってるんでしょ。 あの娘のためにもハッキリさせなきゃダメ! でも静香は、すごくモテてるから、気にしなくてもだいじょうぶよ」


 香澄は、涼しい顔で言った。

 しかし、妹の静香に負けず劣らず美人の彼女が言うと、嫌味にしか聞こえない。


 俺は、姉妹の行く末を思うと辛くなってしまった。

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