第80話 沙耶香の誘惑

 香澄と別れた後、俺は都立図書館に向かった。


 いつもの席に着くと、スポーツバックから演習問題を取り出して勉強を始めた。



 しばらくしてからの事である。



「元太さん」


 誰かが呼んだので、俺は声のする方を見た。



「沙耶香さんも来てたのか?」


 俺は、少し驚いた。



「実はね。 朝から居るんだ」


 沙耶香は、下を向いた。



「ずいぶん長く居たんだな。 それで、これから帰るのか?」



「ううん、元太さんを待ってたの。 図書館に来れば会えると思ってたわ」


 沙耶香は、恥ずかしそうな顔をした。



「俺をか? 何か用があったのか? 電話かメールをくれれば良かったのに」


 俺は、不思議に思った。



「実は、電話やメールをする事を遠慮してたんだけど …。 良いの?」


 沙耶香は、遠慮がちに俺を見た。



「ああ、良いさ」



「今度から、そうする」


 沙耶香は、嬉しそうだ。笑顔が凄く可愛い。



「ところで、用事は何だい?」



「元太さんと勉強したかったの。 隣に座って良い?」



「まあ、友達だから構わないさ」



「ありがとう」


 沙耶香は、俺の隣に座った。少し恥ずかしそうだ。



「ところで、沙耶香さんは塾には行かないのか?」



「家庭の事情で、頻繁には行けないけど、月に2回通ってるわ」



「やっぱり、皆んな塾に行くんだな」


 俺は、塾に行かない事に対する不安を少し感じた。しかし、それと同時に、塾に行かずに図書館で勉強していた貴子の事を思い出した。



「元太さん、何の演習問題を解いてるの?」



「今日は、物理だよ」


 沙耶香は、元太の手元を覗き込んだ。



「やっぱり、大学レベルの応用問題だね。 独学で良く解けるわ。 凄い事だわ」


 沙耶香は、興味深く俺を見た。



「前にも言ったけど、興味があると、ドンドン先に進むんだ」



「ねえ、歴史とかに興味ある? 私は好きな教科なの。 先人の教えを知り、今に活かす事は大切だと思うわ」


 沙耶香は、俺を諭すように言った。



「確かに、先人の知恵を知るという事は大事だと思うが、直接自分が見た訳で無いから、イマイチ熱中する事ができないんだ」



「そうなの …。 ところで、元太さん。 大学はどこを目指してるの?」



「ハッキリしてないが、両親と同じ大学に行こうと思ってる」



「ご両親は、どこの大学なの?」



「東慶大学なんだ」



「えっ、凄いわ。 本当に、ご両親2人ともなの?」



「ああ、本当だ。 沙耶香さんは?」



「私の両親は、2人とも都内にある私立の荒川教育大学を卒業したわ。 東慶大学は、国立の最高峰だけど、元太さんのご両親は優秀なのね。 凄い事だわ」


 沙耶香は、驚いた顔をして俺を見た。



「沙耶香さんの両親は、教師なのか?」



「そうよ、高校の教師よ。 ところで、元太さんの両親のお仕事は? 理系の業種なんでしょ」



「いや、2人とも官僚だ。 文系だけど、母は理系も好きだと言ってた」



「凄すぎるわ。 学部はどこなの?」


 沙耶香は、ため息を吐いた。



「2人とも法学部で、同級生なんだ」



「もしかして、元太さんも法学部が希望なの?」



「一応、それで良いかなと思ってる」



「変だよ。 元太さんは、理系が好きなんでしょ。 だったら法学部は無いよ。 それとも、元太さんも官僚を目指してるの?」



「別に決めて無い」



「元太さん、それじゃダメだよ。 元太さんの成績なら、東慶大学であっても合格出来るだろうけど、目標が無いとダメ。 良くそれでモチベーションを保てるわね。 少なくとも、私は目標に向かって頑張ってるわ。 そうじゃなきゃ、この学校で上位の成績を維持出来ない。 そう思うでしょ!」



「まあな」



「何よ、その投げやりな返事は! 私は真剣なのよ!」


 珍しく、沙耶香が怒った。



「沙耶香さん。 いつもと雰囲気が違うが、だいじょうぶか?」



「ゴメン。 元太さんの恵まれた才能に嫉妬しちゃったわ。 自分は凄く努力してるのに、元太さんはいとも簡単に学年1位になってる。 天才だと思うけど、それじゃダメ。 夢や希望があってこその勉学なのよ。 ただ知識だけ詰め込んだって、人の役に立たなければ意味がないわ。 元太さんの先輩として、そこら辺を教えてあげる。 分かった?」



「俺は、堅苦しいのは好きじゃない」



「その考えがダメなの! 分かるでしょ」



「・ ・ ・」



「ねえ、返事は?」


 沙耶香は、少し声を荒げた。



「分かったよ。 ところで沙耶香さんは、将来、何を目指してるんだ?」



「将来は、歴史を研究する仕事に就きたいと思ってる。 そのために、東慶大学の文学部を目指すわ。 史学に興味があるの」



「そうなのか。 頑張れよ」



「ありがとう。 じゃ、元太さんは、今度 会う時までに、将来、何を目指すか考えて来て!」



「それは困る。 すまないが、指図される事に抵抗があるんだ。 俺は、自分のやり方で進むから、関わらないでくれ」



「えっ、怒ったの?」



「怒ったというより、警戒してると言った方が正しいと思う。 人には、それぞれの考えやペースがあるんだ。 俺の場合、自分のペースを乱されると、集中力が途切れてしまう。 正直に言うが、一緒に勉強したくない」


 俺は、真剣な顔で沙耶香を見た。



「ごめんなさい。 年上だからって増長しちゃったわ。 言わないから、一緒に勉強しようよ」


 沙耶香は、泣きそうな顔になって来た。



「火曜と木曜以外の日で、たまになら良いけど …」



「分かったわ」


 沙耶香は、不安そうな顔をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る