第71話 拉致

「待って、そんな事をしたら あなたの経歴に傷がつくわ。 今なら引き返せるから、考え直すのよ」


 香織は、諭すように言った。



「まさか、俺が誰か分からないのか?」



「分かってるわ。 涼介君でしょ」



「違うだろ。 ママはそんな風に言わない! 忘れたのか?」


 涼介は、泣き叫んだ。



「そうね、涼介。 悪かったわ」



「そうだ。 ママは、僕の事を呼び捨てにするんだ!」


 涼介は、少し落ち着いてきた。喋りが子供っぽくなってきた。



「涼介は、本が好きだったよね」



「そうだ。 アラビアンナイトが好きさ」



「あの話は、続きが沢山あるのよ。 聞きたくない?」



「今夜から聞かせてくれ」


 涼介は、目を輝かせた。



「今夜は無理なの。 だから日を改めて会わない? 今度の日曜とかどうかな?」


 香織は 時間を稼ぐため、会話を広げて行った。



◇◇◇



 その頃、元晴は職場にいた。



ビー、ビー、ビー、ビー、ビー、 …



 香織が起動させた、緊急アプリの警告音が鳴り響いた。



「課長、どうしましたか?」


 部下が尋ねた。



「妻がトラブルに巻き込まれたようだ」



「えっ、内閣府、大臣官房審議官の奥様がですか? 政治犯かもしれない」


 元晴は、スピーカーフォンで音声を皆に聞かせた。



「これって、ストーカーですよね。 直ぐに警視庁に連絡しパトカーを急行させます」


 部下の1人が言った。



「頼んだぞ」


 部下に指示した。



 元晴は、その後 元太に電話した。


「元太か、緊急事態だ!」



「どうしたんだ?」



「母さんが、桜井 涼介に襲われた。 今、送ったメールの添付ファイルをダウンロードして起動しろ。 音声と位置情報が出るから、母さんを助けに行け。 所轄からでは間に合わない。 直ぐに頼む」



「分かった」


 ファイルをダウンロードし起動すると、音声と位置情報が出た。俺は、一目散に現場に向かった。



◇◇◇



 涼介は、泣きながら香織を見つめていた。


「日曜なんて無理だ。 今日から一緒じゃないとダメなんだ。 僕は、ずっと待ってたんだ。 ママが来ると思い、待ち焦がれていたんだ。 夢にも見たんだ。 だけど来てくれなかった。 ママは、僕の事が可愛く無いのか? 自分の子供なのに好きじゃないのか? 見捨てて良いと思ってるのか?」


 涼介は、完全に自分を見失っていた。



「涼介は 可愛いよ。 だけど、あなたは 加奈さんの子供なのよ。 私をママと言ったら、加奈さんが悲しむわ。 今なら引き返せるから、これで家に帰りなさい。 そうするのよ、涼介!」


 香織は、強めに言った。



「ママは、死んだ。 だから、あなたが新しいママなんだ。 2人はソックリさ。 誰よりも崇高で美しい! だから、同じなんだ。 4歳の時、僕は声が出なくなった。 でも あの時は、ママが僕の所に戻ったから治ったんだ。 分かるだろ、ママなんだよ。 それにママはね、死んだママと違うところもあるんだよ!」


 涼介は、一呼吸おいた。



「俺は 成長して、ママの事を女性として愛してる事に気付いた。 だから、結婚するつもりさ。 そうすれば、ママじゃなくなる。 妻になるんだ。 死んだママが生きていても妻にはなれない。 そこが違う。 だから、ママじゃなきゃならないんだ」


 涼介は、香織を激しく見据えた。


 涼介の常軌を逸した姿を見て、香織は 恐ろしくなり、声が出なくなってしまった。


 涼介は、ゆっくりと近づいてきた。



「やめ …」


 香織は、精一杯の声を出して必死に逃げた。

 


バチッ、バチッ



 しかし 追いつかれてしまい、後ろからスタンガンを当てられ倒れた。涼介は、香織が怪我をしない様に サッと抱きかかえた。そして、薬品を染み込ませたハンカチを嗅がせ、深い眠りにつかせた。



「さあ急ごう。 狭いけどこのスーツケースに入ってくれ」


 涼介は、用意したスーツケースを横にして開き、香織を抱きかかえ優しく乗せた。



「あっ、服が濡れてる。 眠ったら粗相しちゃった。 しょうがないママだ。 後で、一緒にお風呂に入ろうな」


 涼介は、眠ってる香織に優しく声をかけた。その後、スーツケースを閉じて、起こした。


 このスーツケースは特注品のようで、空気孔があり、大きめの車輪にはサスペンションが付いていた。


 涼介は、異様に大きいスーツケースを引いて、この場を立ち去った。



◇◇◇



 俺は、スマホの位置情報を確認しながら、母の後を追った。涼介が移動してる事が分かる。


 そして、ついに追いついた。



「おい、涼介。 そんなバカでかいスーツケースを持って、海外旅行か?」


 俺は、涼介が武器を持っていると思い注意深く観察した。



「ああ、元太か。 お前こそ、こんな夜遅くに何をしてるんだ? そうだ、親友のお前に言ってなかったが、俺は二学期から転校したんだ。 それに、お前に対抗する理由もなくなった。 だから、これからは良い関係になれる」



「俺は、お前と良い関係になんか、なりたかねえよ。 そんな事より、テメー許さんぞ!」



「まあ待て、落ち着け」


 涼介は、俺の剣幕に恐れをなしていた。


 俺は、武器を所持してると思い、注意深くゆっくりと近づいて行った。



「来るな!」


 涼介は、スタンガンを出して俺に向けた。



シュッ、パシッ


ドスッ


 俺は 一瞬にして近づき、回し蹴りでスタンガンを弾き飛ばし、間合いに入ると同時に、みぞおちに渾身の一撃を食らわした。 



「ウグッ」


 涼介は、泡を吹いて倒れた。



 俺は、直ぐにスーツケースを横に寝かせた。しかし、鍵が掛かっていて開かなかった。近くに落ちていたスタンガンを拾い、その角で鍵を叩き壊し無理矢理開いた。


 母は、意識を失っていた。



「母さん、だいじょうぶか?」


 俺は、思わず母を揺すった。



「元ちゃん、高い高い …」


 母は、寝言を言い出したが 起きなかった。



 救急車を手配した直後、パトカーが2台来て警官に取り囲まれた。



「俺は、被害者の身内だ。 犯人はそこに倒れている男だ!」



「黙れ! 君の身分を言え」



「三枝 元太、高校1年だ。 母を拉致されそうになった。 犯人は俺が倒した」


 俺の話を聞き、警官の1人が 倒れている涼介に近づき手錠をはめた。涼介は、気が付いたようだ。



「詳しい話は署で聞く。 倒れている女性は、こちらで保護する」


 しばらくして救急車が到着し、母を乗せて行った。



 警官は、俺の事も疑っているようだ。直ぐに父に電話したが、運転中なのか繋がらなかった。


 俺と涼介は、パトカーで連行された。

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