天狗の供物と夜叉の褥
山田沙夜
第1話 天狗山
五月はよく雨が降る。だから雨間の晴天は爽やかで清々しい。
今日はよく晴れて、青空に白い雲があちこちに浮かんでいる。いい天気だ。いい風が吹いている。
天王神社の鳥居の横に白いワンボックスカーが停まっている。「わ」ナンバー、レンタカーだ。
男二人に女二人が神社の森から出てくるのが見えた。
服装から判断すると四人とも大学生だろう。背の高い男の首に高級そうなカメラがかっている。
嫌ぁな予感がする。
わたしは天王神社の森でお参りするのをあきらめて、自転車に跨ったまま神社に向かって頭を下げた。大急ぎでUターン、思いっきり自転車をこいだ。
彼らに話しかけられたくない。
背中に「あのぅ……」と声がかかるのを、聞こえなかったふりでスピードアップ。ぜいぜい言いながらおばあちゃんちに着いた。
祖母は天狗山の五家の
守り人は佐藤、木藤、伊藤、加藤、首藤の五家。祖母の名は加藤美衣。
祖母は姓に藤があるので藤原氏の末裔だと言うが、わたしはふむふむと鼻で相槌を打つだけだ。
わたしの荒い息に祖母は、大袈裟な、と言いたげに笑っている。
「そんなに急いで来んでもいいに」
「だってさ、天王神社に大学生みたいな四人組がいて、眼が合っちゃったんだもん」
「そうなんか。そりゃ、もしかしたらこっちへ来るかもしれんな。
まぁちゃん、その人らに気をつけとって。そいで天狗山に入りそうだったら、ばあちゃんを呼んでな。
その人らとは、ばあちゃんが話すでな。高校生より年寄りのほうが真実味ちゅうもんがあるかもしれん」
「そだね、わかった」
わたしは仏壇と白木で設えた古いひな壇にずらりと並ぶ位牌に手を合わせてから、大叔父に持たされた大きいエコバッグいっぱいの野菜を冷蔵庫へ入れる。
祖母一人では持て余すほどの野菜たちだ。大叔父も畑で採れる野菜を一人では食べきれない。でも母とわたしは大叔父の畑の野菜は持ち帰らないし、大叔父も持たせようとはしない。
わたしは祖母とお昼ご飯を食べて大叔父の家へ戻る。話がはずんでいても、時間を見計らった祖母に帰される。ぐずるとシッシッとばかりに追い払われるからぐずぐず言わない。
小さい頃から月に一度、母はわたしを連れてこの里へ来ていた。日帰りか一泊で。たいていは日帰りだ。
それでおばあちゃんといっしょにお昼ご飯を食べる。祖母の家に長居は許されない。
一泊するときは亡祖父の弟、无乃郷に住む大叔父の家ではなく、
无乃郷は柏酒村の一番北にある。无乃郷への出入りは无乃口だけ、その近辺の
兄はいっしょに来ない、というか来られない。
「真希は天狗山の気にあてといたほうがいいが、邦弘は来ちゃならん」
祖母がそう言うからだ。
なぜなのかは知らない。祖母に聞いても「そういうもんだからだ」と言うだけだ。
同じように母は无乃郷に来るが叔母は来ない。他人に説明できない祖母が感じる何かがその理由のようだ。
天狗の気。
无乃郷の住人は皆、天狗の守り人の血筋だ。
血が濃い、薄いの違いはあるけれど、皆、自分たちだけが逃げてはいけないという強い思いで暮らしてきた。昔々その昔からずっと。
自分たちがいなければ、天狗の守り人たちが暮らしていけない。守り人は天狗山から出られないのだから。
食い物を運ばねばならない。生活するに必要なこまごまとした物も、せめて少しは良い暮らしができていると思ってもらえるよう届けねばならない。
守り人に苦悩と怖れを押しつけて、自分たちだけ逃げることなどできない。逃げれば逃げた罪悪感が心に重くのしかかるだろう。逃げた者は罪悪感に押し潰されるだろう。
昭和の終わりごろだろうか。天狗の守り人たちは、无乃郷に住む者たちに「ここを去って、外から支えてくれ」と言った。
天狗山もろとも无乃郷を消す方法を見つけてほしい、考えてほしいと願いを託した。
時代は意図的に隠された場所、秘密にされてきた集落をそのままにしておくことを許してはくれないだろう。
だが天狗山は見つけられて、知られてしまうには危険すぎる場所なのだ。消すしかない場所なのだ。
身を隠し、身上を語らず、人にまぎれて生きられる場所。都会がいいだろう。そこで无乃郷を消す方法を調べてくれ。
決して近くはないが遠方というほどでもない都市、无乃郷へ日帰りできる場所として、ほとんどの者が名古屋へ移っていった。
そこなら引っ越してきた住人が珍しがられずに住む所があるだろう。詮索されずに生活できる街があるだろう。図書館もある。高速道路も通っている。移動も便利だ。
小学生になった母と小さかった叔母は、无乃郷を去った祖母の遠縁に身を寄せた。そのころには祖父の血筋も大叔父以外みな无乃郷を出ていた。
大叔父は独り身でいることを選んだ。
「俺で終いにすればええ。加藤の守り人は義姉さんで終わればええさ」
終いにしよう。
祖父も祖母にそう言った。
祖父はわたしが小学四年生のとき天狗山へ入り、帰らなかった。
今日のようにハイキングにやって来たカップルが注意を聞かず天狗山に入ったため、祖父はしかたなくついていった。そして祖父は戻らなかった。
その日も山に天狗の気が満ちていたという。 続く
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