Lunatic Born

サンダーヘッド

第1話 月の狂人

 月の灰色の大地に、人の形をした何かが舞い降りる・・・。巻き上げられた砂塵に一度隠れた人影は、再び舞い上がると低い軌道を描いてどこかへ飛び去った。

 

 人類の月への移住が始まってから、もうすぐ百年が経つ。

 月の過酷な環境を生き抜いた人々は、安らぎ、夢を見ることが出来る世界を、この月の荒野に創り上げた。もうすぐ、月からフロンティアはなくなる。

 月に暮らす人々は、いつしか自らをムーニーと呼ぶようになり、自らの成し遂げた奇跡に自信を深め、忘れていた欲望が目を覚ます心地よさに、酔いしれた。

 享楽に身を任せ、宇宙の苛烈な環境を忘れつつあったムーニーたちは、ある日、新しい住人を迎え入れる。

 彼らはルナティックと名付けられ、ムーニーたちに寄り添い、どんなときも従順に振る舞った。この複雑で精緻な機械の巨人は、やがてムーニーたちの欲望を満た事に、喜びを感じるようになる。なぜなら、ルナティックは戦いを好んだからだ。 

 

 見渡す限りの灰色の大地と、果てしなく透き通った黒い空が、スクリーンいっぱいに広がっている。機体のアウトラインを示す、ワイヤーフレームの白い線が視界を横切ることがなければ、ここが金属の壁に隔てられた窮屈なコクピットの中だとは思えない。

 砂煙を巻き上げながら、跳ね回るムーンモービルをサブモニターが映し出す。地球からの観光客だろう。ようこそ、単色の大地へ!

 少し経って、同業者のルナティックとすれ違った。と言っても、一キロは離れている。通信が入り、「幸運を」と、メッセージが送られてきたが、返す義務はない。

 メインモニターにはエリアマップが表示されていて、進行方向に迫る軍の演習エリアが、微かなプレッシャーを醸し出している。

 

 高度計の数値が緩やかに減り始め、なめらかに流れる灰色の荒野が近付いてくる。メインスラスターが噴射され、着地する直前に舞い上ると、巻き上げられた砂塵が、あっという間に背後へ離れてゆく。

 

 ネム・レイスは心地良い加速に身を任せながら、黒い空を見上げてみた。依頼を信じるならばこの辺のはずだが、今の所、何もない。

 今回の依頼主は、一応、信頼できる相手だが、ギルドに依頼を出すヤツは、自分の欲望に正直で、気まぐれだ。そいつの利益の為にどれほどの貢献をしようとも、気が変われば裏切ることを躊躇わない。そうすることが面白いと思えば、そうする。そいつらにとっては、快楽こそが真実だ。

 依頼を受けて何が起こるかは、身を持って確かめるしかない。一応、ギルドは依頼内容の審査をするが、それは報酬が用意されているかどうかの確認だけで、信用するに足るものかを保証してくれることはない。

 

 マルチセンサーで、依頼で示された方向を探る。収集されるデータをコンピューターが解析する過程が、メインモニターに映し出される。やがて解析結果がスクリーンに反映され、頭上の何もない空間が拡大表示された。ルナティックが、そこに何かがあると言っている。

 もし、何かが上空に存在していれば、姿勢を制御する、ロケットモーターの噴射の光が閃くはずだが、何も見えない。だが、それでよかった。それこそが探しものの特徴のひとつで、求めていたものだった。そこに間違いなく敵がいる。 

 

 メインスラスターの出力を最大にすると、機体は軽快に加速した。同時に急上昇し、戦闘が始まるまでに、可能な限り間合いを詰める。格闘戦に持ち込めなければ勝算はない。

 軌道を変えたことで、敵も、こちらを敵として認識したはずだ。攻撃に備え、勢いが付いたところで鋭く不規則に動き、回避行動に入る。

 

 前方の暗闇で、何かが閃いた。と同時に、サブモニターが、月面に巻き起こる砂煙を映し出す。音速の数倍の速さの弾丸が、すぐ傍を通り過ぎていき、月面に着弾した。衝撃波を媒介するものがない真空中では、当たらなければ、何も感じることはない。

 今の攻撃でデータが更新され、コンピューターの予想する敵ルナティックの位置が、ロックオンサイトで囲まれる。あくまで予想に過ぎないが、そこにいる可能性は高く、攻撃を行う価値はある。だが、その予想範囲はまだ広く、正確に狙うには、まだ甘い。 

 ロックオンサイトが、攻撃態勢を取ろうとする敵を追いかけ、激しく動く。素早いが、単調なその挙動は、こちらを大胆させる勇気をくれた。回避行動をやめ、一気に間合いを詰める。

 

 距離が縮まるほどに、人が創り出したが故の、完璧ではない欺瞞にほころびを見せる。虚空に残される微かな痕跡は鮮明になり、予測精度が高まっていく。

 そして、ロックオンサイトが見えない敵を捉え、その位置を絞り込んだ。その時、ルナティックの「今だ、撃て」と囁く声を聞いた。即座に、右腕のミドルレンジライフルを解き放った。

 

 ルナティックの兵装として、最も一般的なミドルレンジライフルは、弾速も威力も射程も、いずれも最高とはいえない。扱いやすさが最大の長所だ。これ以上の武器はいくらでもあるが、レイスは、得体の知れない敵に挑むときには必ず、使い慣れたこの武器を選んだ。 

 

 ミドルレンジライフルから、速射モードで撃ち出された弾丸は、ロックオンサイトの中心に吸い込まれていき、何かにぶつかった。そこで何かが砕かれ、破片が散らばり虚空を舞う。そして、その破片を振り払うようにして、艷やかな漆黒の機体が、乾いた黒い空の中に姿を現した。

 魔法使いのような姿をしていた。そう形容するのに、躊躇いはなかった。暗闇から現れた魔法使いは、風を含んで膨らんだ、漆黒のローブを纏っているように見える。

 あいつは「黒いルナティック」と呼ばれている。異様だが、要求する性能が創り出す必然的な美しい姿は、そこに隠された秘密を、暴きたい衝動に駆り立てる。遂に目の当たりにしたその姿を、気が済むまで観察していたいが、今が戦闘中だということを忘れる訳にはいかない。撃墜できなければ、撃墜される。

 すぐさま放たれた追撃の三連射は、黒いルナティックを擦り抜けるようにして、虚空に消えた。

 明らかな挙動の変化があり、さっきまでとは打って変わって鋭く不規則に動始めた。ロックオンサイトを振り回し、攻撃のタイミングを外そうとする。どうやら、目を覚ましたらしい。

 黒いルナティックが格闘戦を想定していないのは分かっている。見違えるような動きを見せたとしても、この間合いを保つ限り、こちらの優位は変わらない。再び黒いルナティックを追い詰める。スクリーンのあちこちを動き回るロックオンサイトが躍動感を失っていく。

 あとは、あの声が聞こえるのを待つだけだ。だが、聞こえたのは耳障りなアラームの音だった。 

 

 このアラームは、最大限の警戒を促す警告だ。黒いルナティックが、何かを仕掛けてきたのではない。別の何者かから、レーダー照射を受けている。何者かの予想はつくが、それを確認している暇はない。攻撃はすぐに来る。

 次の瞬間、激しい光がスクリーンを覆い、何が起きたのか理解するより先に、それは収まった。激しい光を放つ、何かが通り過ぎていった。射線上ではなかったが、反射的に回避していたらしく、黒いルナティックとの距離はかなり開いた。この距離なら攻撃のチャンスのはずだが、それはなかった。

 さすがに余裕がないのか、それとも、敢えて見逃してくれたのかは分からない。どちらにしろ、戦闘はここまでだ。

 一瞬の静寂に、遥か彼方を遠ざかって行く、彗星のような光を見送った。

 

 軍の次の攻撃に備え、遮蔽物を求めて月面に向かって急降下する。あの攻撃にルナティックの装甲は耐えられない。黒いルナティックの特殊な装甲でも、同じだろう。

 離れていく黒いルナティックの後ろ姿を、サブモニターで追いかけた。あいつもこちらを見ているだろうか。

 

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