第74話 両雄到達

 学術都市セフィロト。

 ガイア大陸中央、ケテルの鏡と呼ばれる高密度魔力で満たされた湖に浮かぶ孤島――そこに建てられた巨塔を中心にする街、知の都である。

 古くより外界から隔離され、外の世界で起こる全ての争いから身を離していた、完全中立地帯。

 そのセフィロトが、数百年の沈黙を破り、門扉を開いた。


 ケテルの鏡にある中央の塔と、その外周の街を「セントラル」と呼称し、湖の周り、四方にある街をそれぞれ「ノース」「サウス」「イースト」「ウエスト」と呼ぶ。イースト・シティは大陸東部に近く、聖国や王国からの人間が多く訪れる。学問の為、商売の為、皆セフィロトを求めているのだ。


 そんなイースト・シティに現れたのは、物々しい一団。学徒の街には似つかない、重厚な法衣に身を包んでいる者達だ。


「全く、何故我々が脚を動かさなければならないのか」


「然り然り、帝国の蛮族共に来させれば良かったのだ」


 口々に愚痴をこぼして歩いているのは二人の老人。両方ともかなりの年齢である事は、顔に刻まれた皺や姿勢を見ればすぐに分かる。身を包む法衣は重厚且つ絢爛で、聖職者という概念を絵にした際、悪意あるカリカチュアとして描かれるような下品さが滲んでいた。


「……」


 その老人らを脇に連れ、先頭を歩くのもまた老人だ。両脇の二人とは異なり、険しい面持ちを維持したまま黙り込んでいる。衣装は先の老人らに劣らぬ出来であるが、格の違いを示すかのように豪奢な杖を突いていた。


 ある程度の知識がある者ならば、彼らがユグドラス教の聖職者、それもかなり格の高い存在であると理解できるだろう。法衣の意匠から身につける装飾一つで、それぞれ異なる。知識さえあれば、相手がどの程度の聖職者なのかは察せられるのだ。

 

 では、この老人らはどの程度の聖職者なのか。

 まず、纏っている法衣――色は目が覚めるような純白で、施されている刺繍は銀糸、白銀糸で縫われている。純白はユグドラス教において、潔白、純粋、純潔、正義などを意味する色であり、この色の法衣は高位の神職――具体的には大司教から――しか身に着ける事が許されない。


 そして刺繍。刺繍に用いる色も位によって異なる。金色を用いるのは大司教からであり、銀を使うのは枢機卿のみ。教皇は白銀――尊き色である白に近い色が用いられる。そのほかにも、付けるブレスレットや聖印の材質の違いなど、身分を分かつ要素はいくらでもある。

 

 その例に倣えば、下品な老人二人は枢機卿であり、先頭を往くのは教皇という事になる。

 枢機卿――教皇から直接の命を受け、最高議会の末席を穢すことを許された者。

 教皇――ユグドラス教団の頂点、聖国アズガルドを率いる最高指導者。

 

 アズガルドの長、教皇と枢機卿。大国の政治の最高意思が永世中立地帯に訪れる。知識人が多いセフィロトの街にいる者は、それが重大な意味を持ち、只ならぬ事態の前触れであると感じ取っていた。

 

「……」


 そんな学徒たちの視線を受け、居心地を悪そうにしているのは鷲の獣人。――しなやかで強靭な身体は、獣人種という種族特有のモノでもあり、彼が戦士として鍛えて来た結果でもあろう。黒く重厚ながら、武装を行う事を想定してか袖を切り詰めた、奇妙な法衣からは白い毛並みが窺える。鷲としての厳めしく凛々しい姿は、鋭い視線と、それ以上に緊張を滲ませていた。


 フレン・スレッド・ヴァシュター。秘蹟機関と呼ばれる聖国の暗部に所属する勇者、「忠義」の座を持つ第四席次だ。

 秘蹟機関は表向き教皇直属の護衛団とされている。黒の法衣は彼らにしか身に着けない。故に、聖国の間では英雄達の証ともされている。表向きには教皇直属の護衛団――つまり、表向きにも精鋭中の精鋭であるとはされているのだ。


 今回は表向きの仕事――教皇の護衛としての役目を負って会談の場に帯同している。だが、気は恐ろしく重い。

 フレン自身、非常に難しい会談――いや、無理だとも思っている。

 ミラ達一心党による妨害工作に加え、帝国内部の穏健派の崩壊。寧ろ、ここまで崩れておきながら、よく会談まで漕ぎ着けたと感心するほどの有様だ。

 だから分かっているのだ。――ここから向かう先で起こる事を。それを想像するだけで胃がジクジクと痛んでくる。


「おやおや、顔色が優れませんねぇぇ。いや、貴方のような獣人種は、毛色が優れないと言った方がいいですかねぇぇ??」


 そんな胃痛マックスのフレンの横で、喧しく騒ぎ立てるのは第三席次「救恤」のミラ・ティーエ・イストーリャ。狂気的な振舞いを行う人格破綻者だ。こんなヤツが一緒にいると考えるだけで、フレンはハゲそうになる。


(クソ……どうしてコイツがいるんだ……いや、自明か)


 ミラは一心党として、対帝国路線を強行させようとしている。その為に方々手を尽くし、今先頭を歩く忌々しい枢機卿共を抱き込んだ。今回はフレンやその他良心的な教団関係者の尽力により、どうにか講和会議の開始までは漕ぎ着けたが、それまでだ。成功する可能性は、ミラが妨害に走ったせいもあって限りなく低い。

 

 それでも――それでも、フレンは諦められなかった。可能性がそこに一縷だろうとあるならば、最後まで諦めず挑むべきだ。

 それを妨害し嘲笑う為、ミラが帯同しているのはフレンとしても簡単に予想出来る。


「ふん、あまり私を侮るなよ第三席次。お前の思惑通りにはさせない」


「そうですかそうですかぁぁ。まあ、ご随意にぃぃ。どうせ無駄ですしぃぃ」


 互いを嫌い切っているのは、それこそ互いに理解しているのだろう。それきりフレンはミラと言葉を交わすことは無かった。

 その様子を無感動に眺めるのは緑髪の女だ。糸目が特徴的で、先の二人と同じく黒の法衣を纏っている。穏やかで上品そうな顔立ちは、如何にも聖職者と言った様相だ。

 

「……はぁ」


 そして彼女は、そんな容姿とは似つかわしくない溜息をついた。

 リーゼリット・ルース・ベルミス。秘蹟機関第五席次、「節制」の座につきし勇者が一人。彼女もまた、聖国の代表として講和会議に赴いた一人だ。


 信心深く、多くの迷えるヒトを救いたいと考える彼女としても、戦争の抑止は重要な事ではある。

 その実態、裏にある身内での争いが透けているからこそ、どうにも気が乗らない。

 それが彼女個人の我が儘であると理解しているから、嘆息一つで我慢しているのだが。


「……気は、乗りませんね」


 リーゼリットの偽りない本心の吐露を聞く者は誰もおらず、一行は駅から魔導列車に乗り込みセントラルへ向かう。一人は揺ぎ無き決意を、一人は狂った信仰心を、一人は未来への憂いを抱えながら。








 ◇◇◇








 聖国の代表がイースト・シティに到着していたのと同時、帝国の代表らは既に列車に乗り込んでセントラルを目指していた。

 

「これがセフィロトの魔導技術が一端か。なかなかどうして、見事よの」


 シートに深く座り込み、脚を組んで頬杖を突き、魔導列車から見える景色を堪能しているのは「女帝」ベアトリクス。いつもは結い上げている金髪を今日は流している。流石に旅の間結い続けるワケにはいかないからだ。それに、彼女はこういった気取らない髪型の方が好みでもある。


「陛下自らの口からそのような事を仰られたと知れば、魔導開発部の連中は大騒ぎでしょうね」


 少し揶揄うような口調で言ったのは、対面の席に座る男。ベアトリクスの秘書官である。有能な男故、長い間共に仕事に励んでいる。


「それが発破になるのなら、幾らでも言ってやるのだが」


「時折趣味に走り過ぎる所もある連中ですが、我が国の魔導技術発展に寄与してきた存在でもあります。ぞんざいに扱うのはよろしくないかと」


「ふん……開発中としている、戦略級の新兵器とやらがまたもガラクタならば、いよいよ首を切るより他無いな。特にあの男……ルルハリルとかいう技師。奴はいけ好かんのよ」


「主席開発長……ルルハリル・ホーエンハイムですか。良くない話も聞きますが、腕は本物ですよ」


「故にこそ、気に食わん。切るにも切れん、腫瘍のような男よ」


 痛烈な物言いに、秘書官の男は苦笑いを浮かべる。外の為に顔を作らない時のベアトリクスは、気だるげで冷徹だ。普段の疲れの裏返しなのだろう。

 溜息を吐いたベアトリクスは、すぐに表情を引き締めて秘書官を見据える。


「『手紙』は準備出来ているだろうな?」


 手紙――最後通牒の事だ。間諜を考え、重要な事は符丁を交えて会話するようにしている。


「はい、『会場』には『コンパニオン』を用意しております」


 会場――大陸南方、アデルニア王国との国境線だ。最後通牒と共に南から王国を喰い破り、北上し聖国へ圧力をかける算段だ。コンパニオンとは軍勢の事である。

 帝国としては、講和が成立するなど考えていない。ルシャイアで多くの命が失われた事件に、事もあろうか天罰だと宣う愚物共と協調する理由はない。

 

 だからこそ、すぐに攻め入ることが出来るよう整えている。マーレスダ王国が消えた事で、国境線への行軍や輜重の輸送を妨害される恐れもない。アデルニア王国は例の「ルベド・アルス=マグナ」なる怪物が暴れた影響で、国家としてまともに機能していない。大陸北側の防衛はヴァーロム州が常に整えている。問題はない――。


「狂信者共の言い訳が、楽しみだな」


 そうとだけ言って、ベアトリクスは微笑んだ。

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