第37話 旅情と暗雲
窓の外で高速で過ぎ行く景色を視界の端で捉えつつ、カーラインは語り始めた。
「一年前、第六席次の予言に従い、第一席次直々の命によりアデルニア王国にある魔境、アルデバランの深森に潜むパラケルスス討伐へ赴いた」
――一年前のあの日、私は弟であるアルフレッドを喪った。
相手は作品、それもパラケルススの側近と思われる存在。しかも予言によって、アデルニア王国の首都崩壊か、人類の歴史の終わりが視えてしまっていたという。
そのような相手だからこそ、私達は最悪を覚悟した。
「なれば、初めからある程度の犠牲を覚悟で、核熱魔法を以って一撃で決着をつけるつもりだった」
「か、核熱魔法……」
アイリスが緊張した面持ちで呟く。
核熱魔法――元素系統に属する戦術レベルの攻撃魔法だ。
そもそも、元素系統の魔法は、この世界を構築する要素を四つの元素――地、水、火、風――と定義し、その理の内で術式を成立させる系統の魔法だ。特に攻撃魔法が優れており、大抵軍属の魔導師は、元素系統の魔術を修めている。
その中でも、特に凶悪なのが「核熱魔法」である。
地水火風、全ての要素を用い、不安定な状態の魔素を生み出す。
地水火風全てを用いた魔素など、互いに反発する不安定な状態なのだが、故にこそ、膨大な出力を行える。
その魔素に外部から魔力を励起させ、臨界――一気に熱量へ変換し解き放ち、着弾地点を滅却する、殲滅魔法。
それが、核熱魔法である。
対軍、対城の攻性魔法であり、第十位階の〈
その膨大すぎる威力は、着弾地点に燻り続け、数年は生物の存在を許さない。
一歩間違えれば自軍を焼きかねない危険な魔法だが、
「そうだ、今回もそれだけの力が必要――そう判断した」
だが実際は――無為。
「聞いてはいたが……本当なのか? 正直眉唾だぞ、核熱魔法を、一切の効力も発揮させず滅するなど……」
マルスは信じられないモノを見るような表情でカーラインに聞き返す。彼はカーラインの事が嫌いなのだろうが、敵に関する情報は聞き逃せないのだろう。
「……我が信仰に懸けて、真実だ。あの怪物は、核熱魔法を受け止める素振りさえ見せず、ただ纏った魔力のみで打ち消した。――つまり、ヤツの魔力に、純粋に術式が敗北したのだ」
「……」
信じられない、といった様子で絶句するマルス。カーラインだって信じたくないが、事実だ。
核熱魔法を撃ち込めば、大抵の魔物は消滅するか、再起不能な重傷を負う。
国一つを容易く破滅させるような怪物相手にだって、有効な切り札だったのだ。
「アレには、無意味だったよ。余りにも力が隔絶している。だから、窮余の手段を取ったのだ」
――それこそが、カーラインの聖遺物。
第十席次として所有する〈
「我が弟であるアルフレッド――故第九席次の奮闘により、かの怪物に聖痕を穿つことが出来た。儀式は成り、聖槍は振り落ちた――目標は僅かに逸れたのだが、より良い結果を齎した。かの錬金術師に着弾し、致命傷を負わせるに至ったのだ」
――そこまでは、良かった。
いいや、良くはない。兵士千人超を喪い、アルフレッドが死んだ。良くはないが、後の結果を鑑みれば、そこまでは良かったと言わざるを得ないのだ。
「――だが、あのルベド・アルス=マグナは追ってきた。深森から王都の聖堂まで、信じられない距離が開いているにも関わらず――数分足らずで、現れた」
今も忘れない、あの悍ましい魔力。
思い出すだに、手先が震えてしまう。
「……」
まるで生娘のように震えるカーラインをどう思ったのか、マルスは真摯な表情で見据える。アイリスの方は、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
「……結果は知っているだろう。例の破壊魔法によって、首都は壊滅。私はこの情報を持ち帰ることを優先して、転移魔法で帰還――そう、見捨てたのだ」
あらましを語り終えた瞬間、馬車が急に停止する。当然、その中にいるカーラインらは衝撃を受け、席から投げ出されそうになる。
「わわわ!?」
「――っ!?」
どうにか踏ん張った一行は、素早く立ち上がり、体勢を整える。
「……どうやら、我々の本分を果たすべき時が来たようだな」
そう呟いたカーラインは、手に持った錫杖を握り締め、焦ったように周囲を見回すアイリスを見据える。
「アーレント、君の実力を見せてくれ」
水を向けられた新人勇者は、意外そうに目を見開いていた。
馬車より出て、見た光景。それは街道にも関わらず、往来するモノを襲う不敵なる魔の者共。
「グコォォォォォ!!!」
醜い咆哮を上げるのは、声の印象通り、醜く歪んだ鬼のような怪物。
トロール、と呼ばれる魔物だ。
ゴブリンやオーガなどに類される、鬼系の魔物の一種で、知能は前述した二種にすら及ばないが、膂力だけならば非常に強く、また再生能力まで備えた強敵である。
萎れた風船のように太った外見から窺い知れるように、生息地は主に北方――気温の低い地域だ。醜い皮下脂肪の数々は、北方の厳しい環境に耐える為のモノなのかもしれない。
群れで馬車を襲撃している故か、こちらの様子を眺め、長い舌を出して棍棒を舐める。完全にこちらを下に見ている。
「――それは兎も角、アーレント。早速、この魔物相手に力量を見せてくれ」
普通の兵士や一般人ならば兎も角、秘蹟機関に所属するような人間ならば、この程度雑兵程度の魔物だ。
試し切りの藁束には丁度良いので、早速腕を見せて貰おう。
「うぇえ!? い、いきなりですか……」
「今回の任務は君の実力を知るためのモノでもあるのだ。さあ、見せてくれ」
何匹かのトロールに囲まれながらも、至って平常に会話するカーライン達。行商人や旅行者ならば危険だろうが、これよりも恐ろしい怪物と戦ってきたのだ。戦場以下、鉄火場とすら言えない平素の場である。
「わ、分かりました。頑張ります!」
「よし、イドグレスも手は出すなよ。あくまでも彼女の力を見る為だからな」
「……ふん、そんな事は分かっている」
一歩前に進み出たアイリスは、トロール共を前にしても引くことは無く、静かに息を吐いて見据える。
「――では、不肖アイリス、一意専心にて行きます!!」
裂帛の気合と共に、アイリスは魔力回路を通じて魂より魔力を放出――
「――フッ!」
――右手を突き出し、法衣の袖口より奇妙なブレスレットを出す。
小さな銀の鎖が美しくもどこか不吉なブレスレットだ。剣を思わせるチャームが、自重によって垂れ下がっている。
アイリスはそのブレスレットに魔力を収束――瞬間、煌々と輝き姿を変じる。
「ハァァ!」
瞬間、一振りの剣がアイリスの手に現れる。
彼女はその剣を以て斬撃――トロールをバターの如く一刀両断にする。
「グギャアアア!!?」
上半身と下半身に寸断されたトロールは、無様な声を上げて血と臓物の海に沈み、持っていた粗末な棍棒を取り落とす。
「ほう、見事な剣技だ」
力み過ぎな新人が放った、意外にも流麗で力強い剣を前に、マルスは瞠目する。
「意外にも、彼女は〈グリムロック流・聖剣技〉を修めている達者だ。二十歳にも満たない若さで、かの流派の皆伝を許されたという鬼才――機関に就くのも、当然というワケだ」
さる聖人が拓いた剣術――聖国において最強の流派と呼ばれる聖剣技を修めた少女。
熱意に溢れた、青い少女という印象とは裏腹に、その術理は既に達人の領域であった。
「次、行きます!」
仲間をワケも分からない内に下ろされて、動揺するトロールの群れ相手に咆哮、アイリスは一気に踏み込んでいく。
「グ、グコォォォ!!」
動揺からどうにか復調したトロールの一匹が、高速で接近するアイリスを叩き潰さんと欲し、棍棒を振り下ろす。
「甘いですッ!」
鋭い叱咤と共に、アイリスは勢いのまま回転――するりと横へ回避するのと同時に、高速の斬撃を振るう。
「グゴォォ!?」
一太刀、棍棒を持った腕を肩口より切断。
「フッ!」
二の太刀、一息を以て両の脚を切り落とす。
「グギャアア!?」
そして三太刀、僅かに跳んで頚椎を落とす。
一瞬でトロールを調理してみせたアイリスは、剣に付いた血を払い、剣先を残りの怪物共に突きつける。
「――さあ、次は誰ですか!」
自分よりも小さく貧弱に見えた少女の、思わぬ力を前に、トロール共は醜い腹を揺らして恐怖する。
――数分後、戦いとも言えぬ鏖殺を制したのは、やはりアイリスであった。
「ふぃー、疲れたー」
口では疲労を囀るアイリスだが、額には汗一つ掻くことも無い。
「見事だな、アーレント」
バラバラになったトロールの死骸を魔法で火葬――魔物の死骸は腐って病を媒介するだけではなく、時に呪詛を纏う事があるので、採取しない死体は念入りに滅するのが世界共通のルール――し終えたカーラインが、アイリスを褒める。
「えへへ、そうですか?」
「ああ、流石、その年齢で機関に叙されるだけはある」
「そんな、言い過ぎですよ。それに、年齢だったらカーラインセンパイの方が、早く機関に入ったじゃないですか」
可愛らしく頬を膨らませるアイリスを見て苦笑しながら、カーラインは燃えるトロールの山を見る。
「……街道に、トロールの群れか」
「何かおかしいんですか、それって」
「……貴様、知らんのか?」
法衣に付いた煤を払っていたマルスが、僅かに呆れたように言った。
「え、知らないと不味い事だったりします……?」
「知らんといけないというより、座学でやったハズだぞ」
「あー、あはは。その、座学の成績は、あんまり……」
そういって、頭を掻いて照れたように笑うアイリス。彼女の様子をどう思ったのか、マルスは嘆息を一つ。
「ハァ……ゴホン、そうさな」
どうやら勉強不足の新人に、有用な講釈をしてくれるようだ。
「いいか、まず魔物というのは、基本的に人造のモノを忌避する傾向にある。街道だって、獣道と比べれば立派な人造物だ。だから、こういう事はそう多くないハズなのだ」
「へぇー」
「それに、トロールは基本群れない魔物だ。というより、群れるだけの知能が無い。互いにつぶし合う事すら常の愚鈍共だ」
「え、でも、今回のヤツらは群れてましたよ」
「だから、例外が起こったのだ。上位個体――恐らく、トロールを統率できる、群れの長が出現したのだろうよ。そうして気が大きくなったトロール共が、街道を往く人間で、腹を満たそうと画策――我々と出くわした、というのが真相だろうな」
しきりに感心していたアイリスだが、確かにこの程度の事は聖学院で習うハズ。――流石にこれくらいは覚えてなければ立つ瀬が無い。
「……人心が乱れれば、魔物の勢いも増す。帝国での争いや小競り合いが、ガイア大陸そのものに響いている」
カーラインの呟きに、マルスが僅かに頷いた。
「貴様と同意見なのは嫌だが、そうだな。徐々に、魔の気配が増している。このままでは不味い事が起こるだろう」
「……」
大きな戦いの気配は常々感じている。魔物相手か、それとも帝国との全面戦争か――いずれにせよ、好ましくない。
どのような形であれ、人類が消耗すれば、それで喜ぶ者がいるからだ。
「……ルベド・アルス=マグナ」
そして、その錬金術師。
悪の根源、多くの災禍をバラまいた敵対者。
許されざる存在がほくそ笑むのだけは、阻止せねばならない。
「……その一環が、今回の聖務か」
火葬を終えたカーラインらは、馬車に乗り込む再び目的地を目指す。
彼の錬金術師、その作品が再び解き放たれるを阻止する為に。
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