第19話 怪物の契約

 海で遊ぶだの観光だの言っても、やる事は大した事じゃない。

 ブーツを脱いで、適当に浸かってみる。


「……冷たい」


 ひんやりと、心地の良い温度である。もっと暑い環境ならいいかもしれんが、ここで泳ぐのは普通に風邪引きそうだ。

 俺は感性もクソもない悲しい人間――もといキマイラなので、正直既に満足なのだが、蛇共はそうもいかない。

 

「アハハハ! ツメタイ! ツメターイ!」


「ウワ! ショッペェ! 水ノクセニショッパイゾ!」


 オルとトロスは燥いでいる。それはそれは楽しそうに。頭を海に突っ込んでバシャバシャとさせてみたり、ペロリと舐めてみたり。


「……なあ、もういいか?」


 俺は若干海が嫌になってきた。波が押し寄せる度に飛沫が飛んでくるのが鬱陶しい。最初こそ楽しかったものの、どんどん面倒になるのが海ってモンらしい。

 

「エェェ! イヤダヨ! イヤダヨ!」


「モットアソビタイゾ! 折角海ニキタンダカラサ!」


 だろうな。そう……だろうと思ったよ。

 これがキマイラの辛い所だ。身体を共有するから、一方の意見だけで動く事は出来ない。いや、肉体の主導権は俺にあるから、別に海から上がってもいいんだけど……それやるとコイツら、めっちゃうるさいからなぁ。


 無理矢理離れようものなら、追加でコイツらのお気に召すナニカが無い限り、多分一日中は煩いだろう。

 それを想像すると、非常に憂鬱な気分になる。


 仕方ない、俺は足首辺りをさわさわ流れる海の中で腕を組んで、蛇達が遊び終えるのを待った。

 きっと傍から見たら不審者だな。ガタイのいい狼男(尻尾が蛇)が、腕組んで海の中、地平線を死んだ目で眺めてたら――常識的に考えて通報モノである。

 

「アハハハ! アハハハ! タノシイ! タノシイ!」


「ウハハ! 水バシャー!」


 子供のように目を輝かせて、それこそじゃれる子供のような声を上げて、蛇達は目一杯遊んだ。




「………最悪だ」


 俺は身体を何度も払いつつ、海岸を歩いていた。

 あれから数時間、遊びに遊び尽くした蛇達は大満足、今は無邪気に眠っている。だがその数時間、ずっと海風に当たっていた俺の毛並みはベッタベタである。

 とても不愉快である。ホント、マジでキモイ。風呂入りたい。


 洗浄の魔法を使えば済む話なのだが、そのためだけにアルデバランの変異を呼び出すのも……ちょっとな。

 それに、これは精神的な問題が大きい。こういう汚れはやはり、風呂に入らないと取れないような気がするのだ。

 

「……まあ、探すか」


 セイレーンも魔族、保有魔力はそれなりに多い。〈捕食者の知覚プレデターセンス〉にも映るだろう。俺は一人、寂しく地道な探索を行うことにした。

 セイレーン探索といって、ガイア大陸南方に来たワケだが、如何せん広すぎる。イルシア曰く、セイレーンは平素より隠匿の性質を持つ魔力を展開、霧のようにして身を隠しているとか。


 んなモンどうやって見つければいいんだ。ムチャブリが過ぎるだろう。

 兎も角俺は、地道に探索していく――。



 





 ◇◇◇








 大抵の場合、物事に望んだ結末は訪れないものだ。

 特に自らが特に望み、頑張り、努力していた場合こそ、最悪に帰結するものだ。

 

「……」


 とある海辺、岩場に座った彼女は、霧越しに光を乱反射する太陽を見てそう感じた。

 その女は、セイレーンと呼ばれる種の魔族であった。

 エメラルドの髪、翼、魅惑的な容姿。人との争いは好まず、魔物に襲われた際にすら、呪歌を以って追い払うにとどめる。


 彼女らは異形にありて、戦を好まぬ種族。平穏を愛し、緩やかなる結末を迎えたいと願うモノ達。

 だからこそ、害意に晒されやすい。

 故にこそ、彼女らは死に絶えた。セイレーンとは種族の名前だったハズなのに、今や彼女一人を指す言葉である。

 世界最後のセイレーン。

 今日も彼女は、悔恨と共に緩やかな結末を待つ。いつか死ねる事を願って。

 

「……?」


 そんな彼女の下に、奇妙な魔力が訪れる。まるで自らを探るような魔力だ。

 その魔力は膨大且つ強大。信じ難いほどの領域。今まで出会ったいずれとも合致しない存在。

 

「……」


 この魔力の持ち主も、セイレーンを求めて来たのだろうか。

 であればまたやり過ごして――そう考え、彼女に疲れが押し寄せて来た。

 どうしようもないやるせなさ。精神的な疲労。

 

「もう……いいかな、みんな」


 かつての同胞への謝罪を口にした後、彼女は魔力を解いて隠匿を解除する。

 この魔力の持ち主が、自分を優しく終わらせてくれる事を望んで。


「……」


 霧のような魔力が解け、一帯を覆っていた隠匿が消えセイレーンの姿が晒される。

 彼女は目を開き、訪問者の姿を確認する。


「……貴方は」


 その者は獣人種のように見えた。

 漆黒の毛並みに、黒曜石のような色のタテガミ。凛々しい狼の獣人だ。

 しかし、普通の獣人種ではない点――異様な点が多々あった。


 例えば体格。獣人種は総じて体格に優れるが、その狼は異常に良かった。巨躯、巨人と言っても良かろう。筋骨隆々で、腕だけで容易く人を吹き飛ばせそうだ。

 或いは、その尻尾。銀の鱗に覆われた、蛇。それも二匹の蛇が、尻尾として臀部より生えていた。

 そして何より、その瞳。禍々しい赤の瞳。そこに宿るのは邪悪な魔力、即ち魔眼。

 身に宿る膨大な魔力と相まって、悪魔か何かのように見えた。

 

「……驚いたな、まさか自分から隠密を解除するとは」


 気怠い色を込めた言葉で、意外そうに狼は言った。

 

「……私を、探しに来たのですか?」


 気になっていたことを聞くと、狼は静かに頷いた。


「そう、ですか……貴方は、セイレーンに何を望むのですか?」


 彼女が問うと、狼は目を細める。


「言えば、叶えてくれるのか?」


「……歌の力で何かをしてほしいというならば、制限があります。私は制約によって、人に歌の力を振るうのは禁止されているのです」


 彼女が語ると、狼は目を閉じ、腕を組んでから開く。


「……興味が湧いた。どういうことか、聞かせて貰おう」


 彼女は求めに応じた。彼女自身、魔族の永き時の中で抱えきれなくなった秘密だ。命の最期に、見知らぬ悪魔に物語るも良かろう。


 

 

 ――セイレーンという種族は争いを好まない。

 数百年前、帝国と言う国が滅び、その残党が大陸南方に辿り着いた。その人らは南方の、潮の満ち引きによって現れる島に都市を築いた。


 当時、その辺りを根城にしていたセイレーン達。気性の荒い海の中で懸命に生きようとする人類。

 人類はセイレーンらと接触し、協力を求めた。彼女らの歌を以って、海を鎮めてほしいと。

 人も自然も、あらゆるモノが大好きだったセイレーン。だが自分らが異形である事は理解していた。だから今まで姿を忍んできた。

 

「だから嬉しかったんです。大好きだったニンゲン達が、頼って来てくれたのが」


 人とセイレーンは契約した。互いを傷つけず、互いに協力し、慈しむと。

 そうして人は南方の厳しい自然を潜り抜け、都市国家マーレスダ王国を築くに至った。

 

「私達は、そうして人と生きていきました。最初の数十年は幸せでした。でも……」


 王国の人間らは――「それ以上」を求めた。

 セイレーンの力で自然を従え、安全な国を得るだけでは彼らは満足しなかった。

 その力を、武器として欲した。己のモノとして振るうをことを願った。

 呪歌は強大な魔法だ。海の荒ぶりを鎮め、嵐を退けるほどの力を持つ。脅威より逃れ、「それ以上」をニンゲンが求めるのは、ある意味自明であったのかもしれない。

 

「彼らは私達セイレーンを捕らえました。古に彼らと交わした契約のせいで、私達は抵抗できない。でも、彼らは――既に、私達と契約をしたニンゲンは皆死んでいる。時を経る事で、世代が変わり、思想も変わった。ニンゲンは変わる。だから私達は抵抗できずに――」


 そうして数を減らされ、やがて彼女一人になった。

 セイレーンの力を欲したニンゲンは、彼女達を捕らえ、どうやったのかは知らないがそれをモノにした。今やマーレスダ王国はセイレーンに頼らず、「歌姫」なる存在によって海の平穏を守っているという。その「歌姫」こそ、セイレーンの力から生まれた存在なのではないか――


「……勿論、ここまで来ると推論の域ですが。海で腐る私に、それ以上を知る方法はありませんから」


 セイレーンの永き物語を黙って聞いていた狼の悪魔。やがて彼は静かに近づいて、見下ろしてくる。


「それを聞かせて、何をしたい?」


「……逆に問います。貴方は私に何を求めるのですか?」


 狼の悪魔は膝をつき、目線を合わせて来た。力ある魔眼だ。美しくも悍ましい、異形の諸相。

 

「お前の全てだ。かつてお前を裏切ったニンゲンと同じように、その力を得たい。それが俺の、そして俺の主の望みだ」


 狼の悪魔は右手の爪を禍々しく変異させ、人差し指を胸元に突きつけてくる。いつでもお前を殺せる、とでも言いたげに。

 

「……だが」


 されど狼はそれを実行には移さず、言葉を紡ぐ。


「俺の主は、その国とやらも気になっているようだ。そして俺の主の興味に晒されたモノは、大抵好ましからざる結末を迎える」


「……私を、慰めているつもりなのですか?」


 この恐ろし気な狼は、意外にも自分にそんな言葉を掛けてくれた。そう返された狼は、少しだけ不服そうな顔をして目を細める。


「……さあ。だが、確かに俺はアンタに憐憫ってのを感じたのかもな」


 少しだけ砕けた口調になった狼。どこか少年のような雰囲気を感じ取れて、その意外さに久方振りにセイレーンは微笑んだ。


「ちょっとだけ、優しいんですね」


「どの道お前を殺すのは確定している。そんな相手に、指先一つの慈悲以上に何を求めているんだか」


 不服そうな狼は、遂にもう一度セイレーンの真意を問う。答えは決まっている。そんなものは――


「――あの国を、みんなを奪ったあのニンゲン達を、殺してほしい」


 絶望で彩られた瞳を見開いて、狼の悪魔に懇願する。幾年も溜め込んだ怒りと切望を以って。

 

「ああ、いいぞ」


 そして狼は、二つ返事でそれを了承した。


「本当に、いいんですか?」


 断られると考えていたのに、逆にすぐに了承されたことが驚きだった。


「ああ、どうせ性能試験の場が必要なんだし……。アンタを苦しめ、アンタ達の遺骸の上で成り立った国に、アンタ自身の力を振り下ろす。ゴミみたいな笑劇ファルスだが、この場で書ける筋書きにしては上出来だろう」


 皮肉めいた狼の口ぶり。素直じゃないのか、それとも心の底からそう思っているのか、彼女に推し量る術はない。だが――それでも彼女は、


「あり、がとう」


 最期の最期に、心の底から笑って死ねた。

 望んだ最後とは違ったが、彼女が享受しうる結末にしては上出来だ。

 大抵の場合、物事に望んだ結末は訪れないものだ。

 だが、時に――それは、思わぬ方向へ転がることもある。




 




 ◇◇◇







 

 海洋都市国家マーレスダ王国。

 先祖に古の帝国の系譜があるこの国は、海と共に生きて来た。

 豊富な海洋資源と、首都マーレスダを守る海という堅牢な盾。

 どれも、この国を守り続けた友である。

 

「故にこそ、我らマーレスダ王国は……なんだっけ」


 活気ある大通りを見下ろしながら、今代の「歌姫」たるレイアーヌ・ベイルハーダは、うろ覚えの演説用のセリフを読み上げていた。

 エメラルドの長い髪が特徴的な美しい少女だ。歌姫の衣装である涼し気なワンピースに身を包んでいる。

 

「そんな調子で大丈夫なのか? レイア」


 レイアーヌの横で苦笑いを浮かべているのは、彼女の護衛にして幼馴染の少年、見習い騎士クロム・ウェインドだ。地味な茶髪の少年で、騎士の鎧ではなく平服に身を包み、腰には護身用に剣を差している。


 レイアーヌを愛称で呼ぶことからも分かる通り、それなりに親しい間柄だ。同じ孤児院出身であり、レイアーヌは歌姫としての才能が、クロムは戦いの才能があった。

 レイアーヌを守りたいと思ったクロム。見習い騎士となって数年が経ち、レイアーヌも今代の歌姫として、慰海祭いかいさいにて歌い、一年の海の平穏を約束する。


 何度かこなしている事とは言え、やはり歌姫の役目は緊張するのだろう。演説の予行を何度もして、そして失敗し繰り返す。

 少し疲れが溜まっているのだろう。ここ数日、祭りの準備やら何やらで働きづめだ。


「はあ……うーん、ちょっと疲れたかも」


 レイアーヌの返答も予想通りで、表情も優れない。このままでは祭りにも支障が出るかもしれない。

 何か彼女の気分転換になるモノがあればよいのだが。


「……ねえ、クロム」


 レイアーヌは隣に立つクロムに遠慮がちな声音で言った。


「……気分転換にさ、街のお祭り、ちょっと楽しみたいなぁ……なんて」


 そう口にするレイアーヌの視線は、下に見える活気ある街並みに向いていた。

 レイアーヌらがいるのは警備隊の詰め所であり、クロムとレイアーヌの溜まり場でもある。ここでレイアーヌは演説原稿の暗記をしているというワケだ。

 

「そうだね、確かに、根を詰め過ぎたかもな。よし、祭りの屋台でも見回って遊ぼうか」


 この慰海祭では、一年に一度の祭りらしく国中が大騒ぎになる。三日に渡り出し物やら屋台やらで賑わい、最終日に「歌姫」の歌がメインを飾る。その際の演説も、その代の歌姫が担う。だからこの時期になると毎年、レイアーヌは籠って演説を暗記する。

 三日ある祭りの中、二日間は準備で満喫できなかった。最終日くらい、レイアーヌの好きにさせてもよかろう。

 

「やった! じゃあちょっと荷物、取ってくるね」


 喜色満面に溢れるレイアーヌは、握り締めた原稿を机において、ドタバタと奥に消え荷物を漁る。その微笑ましい様子を見ながら、クロムは自身の内にある感情について考えていた。


 ――孤児院育ちであるクロムは、家族というモノを知らない。あえて言えば、孤児院の皆がそうだったかもしれない。

 彼の初めての友達が、レイアーヌだった。中々馴染めなかった孤児院での生活。彼女もそのように感じていたからこその共通点。レイアーヌは歌姫へと、クロムはそんな特別な幼馴染に置いて行かれないように、騎士という戦いの道を選んだ。


 羨望から始まった旅だったが、やがてクロムの内で感情が変わっていくのを自覚していた。

 きっとそれが、恋情というモノなのだろう。

 もっとも、幼馴染がそんなことを考えているとは、この呑気な歌姫の脳内には微塵もないようだが。

 

「準備オッケー! じゃ、行こうか!」


 カバンを肩に掛けたレイアーヌは、腰に手を当て大げさにポーズを決めて見せた。


「……分かった、なら街に行こう」


 そんな少女の様子に苦笑いを浮かべながら、クロムは詰め所を後にした。

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