第13話 第十席次の苦悩

 聖国アズガルドの首都、ヴァナヘイムは大陸でもかなり発達した都市だ。

 都市国家とも言うべきセフィロトには遠く及ばぬものの、比較的先進的な国政をしている。

 宗教国家ということで、頭の固い原理主義者の巣窟であるとイメージする者も多いだろうが、そういった面には存外柔軟なのだ。


 聖国アズガルドは広大な版図を持つ。

 東方地域の殆どは、アズガルドの支配下だ。東方南部のアデルニア王国も、アズガルドと同盟――国力の差で実質的な属国であるが故、聖国の版図は広い。


 聖国は世界最大の宗教、ユグドラス教の総本山。国民は殆どユグドラス教の信徒であり、異教徒は僅かだ。

 異教徒が異端審問なんかに掛けられたりすることは無いが、あまり良い顔はされないし、アズガルドが民に施す様々な恩恵も受けられない。


 治癒魔法の無料施術、自立できないほど弱った人間――病人や、後天的に障碍を負ったもの、受難者――先天的に、戦う事が出来ないほど障碍を負っている者、そういった人々を守り世話するなど、恩恵は多く、手広い。

 

 信徒――つまり国民は戸籍を持つ。戸籍は国民の管理に使われ、喜捨――税金の納税などもそれで管理する。

 しっかり働けば最低限食っていけるほどには国も整っている。信仰の自由さえ引き換えにすれば、他所の国よりも快適なのだ。


 そんなヴァナヘイムの一角、聖国の為、世界の為に殉教した聖職者を埋葬する墓地に、一人の女の影があった。

 

「……」


 墓石を撫でる女。まだ新しい墓石には、「アルフレッド・ゼン・アーチボルト。新生歴531年――552年」と刻まれている。

 

「アルフレッド……やっぱり私は……」


 追悼用の花束を静かに置いた女。包装紙が擦れる音が静かな墓地に、やけに大きく響いた。

 

「私は、お前ほど強くないみたいだ。もう一年立つのに、まだこうして振り返っている」


 墓参りをしているのは、秘蹟機関第十席次カーライン・シェジャ・アーチボルト。プラチナブロンドのミディアムショートを靡かせた、怜悧な印象を与える美女。秘蹟機関所属の面々にしか支給されない、特別制の法衣に身を包み、聖遺物である錫杖を持っている。

 すぐにでも戦場に行けるような恰好だが、故に不釣りあいのように見える。


 戦闘用に調整された法衣は、死者を偲ぶよりも神敵より身を守る為のモノ。

 錫杖より放たれる祈りは鎮魂へ至らず、百の敵を滅ぼす術式へと変じる。

 つまりどれも、今を変える為のモノ。過去を見て、識る為のモノではない。

 だというのに、カーラインは未だ後ろを見ている。人は、すぐに前を向けるほど強くないのだ。

 

「……」


 あれから一年だ。

 一年前、アデルニア王国にある「アルデバランの深森」に潜む、災厄の錬金術師、イルシア・ヴァン・パラケルスス討伐。


 第一席次による直々の命令に従い、アーチボルト姉弟が派遣された。

 第十席次と第九席次。経験も実力も問題無い精鋭。それに加え、同盟国であるアデルニア王国から千以上の兵力。聖国の正規軍、聖別軍レギンレイヴまでいたのだ。

 今までの彼女の「作品」相手であれば、問題無かった。そのように、考えていた。

 


 ――結果は惨敗。全ての軍を失い、撤退に際してカーラインの弟、アルフレッドは犠牲となった。



 だか、彼のお陰でカーラインの聖遺物の発動条件を満たし、それを以ってイルシアを殺害した――ハズだったのに。


「……クソっ!」


 ――その姿、纏った魔力を思い出しただけ震える。

 そんな不甲斐ない自分に苛立ち、静寂に包まれた墓地の中で声を荒げてしまう。



 ルベド・アルス=マグナ。イルシア・ヴァン・パラケルススの最高傑作。最強にして最悪の存在。


 

 かの錬金術師の傑作は、アデルニア王国王都にいたカーラインを察知、聖遺物によってイルシアが死す前に追撃してきた。

 結果、王都ルーニアスは壊滅。生存者は、カーライン一人だけだった。

 王都ルーニアス壊滅によって同盟国であるアデルニアは国力低下、その損害は計り知れず、聖国まで波及する事になった。


 現在、アデルニア王国は内乱状態にある。新たに王朝を開いた公爵は、前王権では王族の対抗派閥だった。

 そして公爵には、主を失い、宙ぶらりんになった敵の貴族を纏めるだけの実力は無かった。あったなら前王権時代、もっと国が混沌としていたハズだ。


 特に過不足なく治められていたという時点で、公爵に転機を作り出すだけの力が無かったという証明である。

 渦の中心に成れぬようなモノが、バラバラになりかけた国を纏めるだけの才覚を持つハズもなく――内乱が発生。国力は更に低下し、聖国へ輸出する食料も少なくなっている。

 今はまだ問題にならぬ程度だが、数年、数十年後はどうなっているか分からない。


 聖国の土地は痩せている。少なくとも、アデルニア王国ほど豊かではない。故に、食料を外部から確保できるアデルニア王国はそれなりに重要だったのだ。

 そういった問題全て、元を糺せばカーラインらが錬金術師討伐に失敗したのが原因。だというのに、当のカーラインはのうのうと生きている。

 

 だからこそ、彼女は自責し、こうして後ろを振り返っている。

 彼女の失敗が一般の民に知られているワケではないが、聖国の高官は時折、責任を取らせるべきだともいう。秘蹟機関の同僚や、正規軍に所属するモノも陰口を叩いたりする。


 当たり前のことだ。重大な失敗をした上、生き恥を曝し一切の責任を取っていない。恨めしく思う人間がいるのは当たり前だった。


 これが普通の人間による失敗なら、既に命は無かろう。

 だがカーラインが生きているのは、偏にその力のお陰だ。

 聖遺物に選定された、秘蹟機関の英雄。第十席次という肩書が、彼女を生かしていた。


 生かして、しまった。


 こうでもして錬金術師を引っ張り出さねば、世界は滅んでいたかもしれない――第六席次による予言。

 未来予知によって取った行動。だから彼女は悪くないと第一席次が訴えたが、それでも納得しないものは多くいる。


 人間にとって大切なのは自分と今、そして少し先の未来。

 ずっと先で世界が滅ぼうなどと言われても、実感は湧かない。

 

「……でも、私は」


 アルフレッドの死を、意味なきモノにしてはならない。

 それが彼女にとっての責任。自分のせいで死んだのだから、殉教した彼よりもずっと、ずっと頑張らなきゃいけない。

 強迫観念のように、それがカーラインを支配していた。


 この一年、カーラインは強くなった。鍛錬を積み、任務を積極的に受ける。死に物狂いにも見えただろう。

 だが、足りない。

 まだ、足りない。

 あの日見た絶望を乗り越えるには、この程度では足りない。

 

「……任務があるか、本部に確認しよう」


 カーラインはそう呟き、アルフレッドの墓を撫でてから墓地から去る。

 墓地から出て、街に戻る。大通りに出れば、活気あるヴァナヘイムの様子が窺える。


「ヴァナヘイム名物、ウィデルカのハニー焼き! 一袋銅貨三枚! いかかですか-?」


「羊肉のスープ! 温かいよー!」


 大通りに出店している屋台の呼び込みや、それに誘われ食べ物を買う人々。希望に溢れ、明日を懸命に生きようとする人間達。

 それを見るたびにカーラインは思う。守らなければならないと。

 この世界を、この人々を。


 敷かれたレールに沿って、秘蹟機関に入ったカーライン。定められた運命をなぞり続ける事に疑問を抱く事はあった。

 だが、力ある以上、それは多くの為に振るわねばならない。

 ノブレス・オブ・リージュ。力あるモノは、無きモノを守る義務がある。彼女はその考えに従い、共感し、今まで生きて来た。

 だからこそ、折れてはならない。

 

 思いを巡らせる内に、ヴァナヘイムの政を司る中心部、大聖堂に辿り着いた。

 白く荘厳な聖堂は、神を祀るのに相応しい。巨大な聖堂は、有事の際には堅牢な砦として姿を変える。


 ここには聖国の最高指導者、教皇が住まい、執務を行う場でもある。

 秘蹟機関は強い権力を持つ組織だが、立場的には教皇直属の護衛団という扱いである。

 無論、便宜上故であるが。秘蹟機関の身軽さは、上に立つのが最高指導者のみだからだ。

 

 大聖堂に入り、美しい内装を眺めつつ秘蹟機関本部がある地下に向かう。その途中、ある人物と出くわした。


「任務帰りか、イドグレス」


 カーラインは同じく本部へ向かおうとした男に話しかける。

 刈り上げた茶髪と、顔に入った大きな切り傷の跡がその男を強面に見せる。右手には聖なる雰囲気を漂わせる、美しい円盾を携えていた。

 秘蹟機関第十四席次、マルス・デクィ・イドグレス。努力家で信仰心に篤く、率先して任務に赴く男だ。だが、頭の固さや性格故に、他者と衝突を起こすことも多い。

 

「……ふん、アーチボルトか」


 マルスは、不機嫌そうに視線を背ける。

 

「俺は、お前が好かん。あれだけの失敗、機関の任を解かれるだけでは済まないほどの失態だろうに」


「……それは」


 マルスの棘のある口調に、カーラインは思わず言葉に詰まる。自分でも思っていたことを言われてしまったからだ。


「のみならず、おめおめと生き恥を曝している始末。それだけの事をしておいて、よくも顔を出せたものだ」


「……」


 黙りこくり、顔を伏せるカーラインを一瞥した後、マルスは一足先に本部へ向かった。

 大聖堂の真ん中で、立ち止まり顔を伏せるカーライン。目を強く閉じ、顔を上げ天を仰いだ後、大きく息を吐いた。

 

「……分かっているさ、そんなこと」


 吐き出すように呟いた彼女の言の葉は、泣き出しそうなほど震えていた。

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