第十二章

(つけられている?)


 遺伝子学研究所所長――原田湊はついてくる人の気配に気がついた。一般人を巻きこまないために、わざと人通りがない道を歩く。


 湊は相手に向き直った。


「私に何の用でしょうか?」

「原田湊で間違いないな?」


 相手の那智が姿を見せる。


「ええ。私で間違いありません」


 湊の薄紫色の瞳が、まっすぐ那智を見つめてくる。那智はそのまっすぐな瞳を見つめ返した。


 湊の瞳はとても静かで――。

 

 那智でさえも飲み込まれてしまいそうだった。吸い込まれてしまいそうだった。


「ついてこい――お前に見せたい人がいる」

「あなたは?」

「私は菊地那智。本橋要の部下だ」

「もと……はし?」


 湊は少しだけ考えた。名前ぐらいは湊でも聞いたことがあった。噂で聞いたところ兄弟間の対立は、深刻らしい。跡目争いとしては澪の方が、一歩リードしているとのことだった。


 要と澪。


 どちらの手をとるかと言われれば、間違いなく澪の手をとるだろう。


 澪に従うだろう。


 那智はひっそりと立っている別荘に入った。周囲を確認してから鍵をかける。要と澪と同じ那智のブラウンの瞳の視線が、わずかに和らぐ。


「要様。つれてきました」

「遺伝子学者としてのお前に頼みたいことがある」

「何でしょうか?」

「私たち本橋家には、代々遺伝子の異常が見つかっている。それを、治してほしい」


 要は湊に自分のデーターを渡した。そこには、要の遺伝子情報が記載されていた。

 湊は遺伝子情報に目を通す。確かに、遺伝子に弱いところが見られた。


 だからこそ、専門家として呼ばれたのだろう。


*************


「そのような大切なこと私でよろしいのでしょうか?」

「私は専門家としてのお前の話を聞きたいだけだ」


「わかりました。引き受けましょう」


 この経験はいずれ、何かに往かせるだろう。そう思い湊は承諾した。


「お前はなぜ、要様を助ける判断をした?」


 那智は言った。

 

「他の理由ですか? 菊地様にとって本橋様が必要な存在だと思ったからです」

「澪もお前も皆、甘すぎる。原田――お前もいつだって殺すことができる」


 要ははっ、と鼻で笑う。明らかに、湊に対する脅迫だった。


「今のようなことを言って大丈夫ですか?」

 

 湊はポケットに入れていたボイスレコーダーを取りだす。カチリと録音をとめる。そして、巻き戻した。

 

 要の声がしっかりと録音されていた。


 何かあった時、自分を守るために湊はいつもボイスレコーダーを持ち歩いていた。


「この録音を警察に持って行けばどうなるでしょうね?」


 湊がにっこりと笑う。笑顔だがその瞳は笑っていなかった。自信がある者が見せる笑顔だった。隆の件で警察とのパイプはできている。要たちがへたな動きをすれば、告発をするつもりでいた。


 これで、要や那智が湊に手をだすことはないだろう。湊の予想以上の反撃だった。


「原田――貴様」

「那智」


 つっかかりそうな那智を要はとめた。那智は引きさがる。それでも、那智はきつい眼差しで湊を見ていた。その眼差しにも、湊が怯むことはない。隆と戦ったことで、ある程度の度胸は兼ねそろえていた。


「本橋様」

「何だ?」

「私にも家族がいます。せめて、薬ができるまでは警護をつけてもらえませんか?」


 那智や要――生前の弟――都みたいに戦えるわけではない。鈴がいるため情報戦には強いが、戦うとなれば話しは別である。


「わかった。日常に困らないほどに護衛をつけよう」


 身の安全は確保できた。要の治療に集中ができる。


************************



 一ヶ月後――。


「目が覚めましたか? 本橋様」


 要がゆっくりと目を覚ます。湊はこっそりと要を研究所に呼び、治療をしていた。


「原田」

「無事に薬が完成しました。身体に馴染むまで飲んでください」


 湊は要に薬を渡す。


「要様!」


 那智は要の腕の中に飛び込む。那智が仕事の合間に、ここに通っていることを知っている。要に話しかけていたところを見ていた。那智は見た目に反して、優しいのだろう。そんな那智がなぜ要の手をとったのか、不思議だがあまり深入りしないほうがいいだろう。下手すれば、命すら危うくなるだろう。


「心配かけたな――那智」

「身体が比較的安定していたこと。発作が少なかったこと。それが、要因です」

「お前は隠れた天才だな」


 表の世界に戻ればいい。


「よければ、うちにこないか?」


「私は私のペースでやっていきます。しかし、あなたがそうなら弟さんは?」


 大丈夫ですか?


「あいつの名前を呼ぶな」


 これ以上、部外者である湊が口をだすわけにはいかない。澪を含む――要や那智がよしとしないだろう。


「澪と私たちの道が交わることはない」


 那智と要は無言で踵を返し、研究所をでた。


 このままだと、弟の澪にも会うことになるだろう。どちらにしろ、流れに身を任せるしかない。これも、何かの縁なのかもしれない。


 そう思いながら、湊は研究所内にあるベッドに身体を投げ出した。ここ、一ヶ月間――研究でまともに寝ていなかった。


 これで、まとめて寝られるようになる。


 家まで帰る体力はない。鈴や子供たちには悪いが、ここで少し休ませてもらおう。


 湊は眠気に逆らえず瞳を閉じた。

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