下弦の月

風海

序章

学校帰りの少女――須田あかりはやくざ同士の抗争を目撃してしまった。確かに、ここの場所は一般人とやくざが引いている境界線であり危険な場所でもあった。他の生徒たちが怖がっている道で、利用していない人が多かった。

あかりにとって学校に近い場所でもあり、慣れているから――抗争に巻きこまれたことはないから大丈夫だろうと通っていた。


 背後から男たちの声が聞こえてきた。


「おい……見られていたぞ」

「追え」


 見つかった……!

 

 運悪く男たちに見つかってしまい追いかけてきた。あかりは全速力で逃げる。目撃されてしまった以上、生かしておくことはできないだろうとの判断だった。だが、男たちの体力に勝てるわけがなく、あかりは簡単に追いつかれてしまった。


 壁際へと追い込まれる。


「悪いな。お嬢さん。見られたからには帰すわけにはいかねぇよ」

「なぁ」

「ああ」


 男たちが顔を見合わせる。あかりの制服を乱暴に破いた。あかりの濃紺の瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。こんな男たちに抱かれるなんて、悔しかった。

 

 せめてもの抵抗に、あかりは口をふさいでいる男の手を噛んだ。


「この女……!」


 急に目の前の男が吹き飛ばされた。拘束がとけて身体が軽くなる。あかりは目の前には一人の青年が立っている。あかりは彼が投げ飛ばしたのだと理解した。その立ち姿は凛としていて、どこか人を引きつける魅力があった。


「お前……本橋澪」

「ちょうどいい。お前を倒す……!」


 本橋澪と呼ばれた青年は、男たちを簡単に倒していく。数分もしないうちに、男たちの山ができていた。


 殺されないだけましと思えと、無機質な声で吐き捨てる。


「よく生きていたな」


 澪はあかりの身体に上着をかけた。冷たいブラウンの瞳が、あかりを見ていた。


 その瞳に温かさはない。

 

 見てしまったら凍ってしまいそうで、あかりは視線をそらした。澪はあかりの顎を指で支えると、無理矢理視線をあわせる。


「私は――」

「部下が警備で、君の姿を部下が何回見ている」

「ごめんなさい」

「謝るぐらいなら、最初から通らないことだ」

「あの……私は普通の生活を、送れるのでしょうか?」

「見たからには送れないだろうな」

 

 あかりが目撃したのは、やくざ同士の下っ端とはいえ目撃してしまったからには、日常を送るには難しいだろう。


「――そんな」


 あかりの顔が青ざめる。


 日常が崩されようとしている。


 奪われようとしている。


 あかりにとって恐怖しかなかった。


 関わりたくなかった。


「周囲にわからないように、部下に護衛をさせる」

「まさか……あなたも?」


 澪はあかりに名刺を渡す。


 白蘭会組長――本橋澪


「やっぱり……やくざ」


 あかりは自分の予想が当っていることを知る。嫌なことはよく当たってしまう方だった。


「わかりきっていることだろう? 須田あかりさん」

「どうして、私の名前」

領域テリトリーを荒らす人を、調べていないわけないだろう?」

「やくざはそこまでするのね」


 やはり、目の前の人には常識がないのだと実感する。


「それも、仕事のうちだ」

「最低」

「最低なのはどっちだろうな? 最初、私たちの領域をあらしかけたのはそっちだろう? 好き勝手していたのは君だろう?」

「あなたは私の通常を壊そうとしているわ。警察を呼ぶ」

「警察? どうぞお好きに」


 売り言葉に買い言葉だった。


 あかりは携帯を取り出すと、一一〇に通報をする。


「はい。一一〇。どうかしましたか?」

「やくざに絡まれてどうしようもなくて――助けてください」

「相手の格好は?」

「黒のスーツに――」


 あかりは澪に携帯を取りあげられた。


「仕事の邪魔をされて、困っているのはこっちなのだが」

「その声は……み、澪様」

「言いたいことはわかるだろう?」

「その方の言うことを聞いていれば大丈夫です!」

「ちょっ……どういうことですか!」

「指示を聞いていればいいですから!」


 スピーカーにしてあるのか、警察官の慌てた声が聞こえてくる。


「だ、そうだ」


 澪はあかりに携帯を突き返す。


「信じられない!」


 警察も使えない。


 あかりは携帯を切った。


「特別に教えてやろう。事件全般の捜査権とかは専門外だが、警備は我々白蘭会が受け持っている」


 それは、代々の本橋家の者が築き上げてきた警察との信頼関係にあった。


「警察と癒着しているということ?」

「癒着とは言い方が悪い。提携と言ってくれ」


 高級車が音もなくとまった。運転席からおりてきた青年が、ドアを開ける。その姿は洗礼されている。


「送っていく」

「結構だわ」


 あかりは差しのべられた澪の手をはじき、歩きだす。へたな注目をあびたくなかった。


 澪は興味を失ったとばかりに、車に乗り込む。


 澪を乗せた車はなめらかに走りだした。

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