第59話 裏切り者。
「──お前はそうやって、また妾を裏切るのだな」
そんな声が響いて、木々が作り出す闇から1人の少女が姿を現す。
「どうしてお前がここに──!」
灰色の髪をした、夜風に揺れる花のように美しい少女。遠い昔、誰より俺の側にいてくれたとても優しい女の子。そして今は真白さんの所で眠っている筈の、悪夢を見続ける神。
そんな彼女が、どうしてか今……ここにいる。
「はっ。どうしてお前がここにいる、だと? それはこちらの台詞だ、なずな。どうしてお前が、ここにいる? 妾ではなくそんな女を連れて、どうしてお前はここにいる……!」
灰色の少女が、柊 赤音を睨む。……けれどどうしてか、柊 赤音は動かない。まるで時が止まったように指先1つ動かさず、明後日の方を見つめ続ける。
「……赤音さん? なあ、赤音さん? 赤音さん!」
そう叫び、柊 赤音の方に手を伸ばす。……いや、伸ばそうとする。が、上手く身体が動かない。
「無駄だ。今この一瞬は、夢と現実の狭間。お前が見ている妾の夢。ゆえ、そこの小娘にお前の声は届かん」
「なんだよ、それ。さっきまで普通に喋っていたのに、いきなり──」
「それが、神の力というものだ。そもそもお前は、知っている筈だろ? それともまさか、たった10年近くでもう妾のことを忘れたというのか? ……人間とは本当に、薄情な存在だ」
俺の言葉を遮って、怒ったように息を吐く灰色の少女。そんな少女の悲しげな瞳を見ていると、無意識に口から言葉が溢れる。
「ごめん、姉さん」
「──!」
そこで初めて、灰色の少女が笑った。幸福だった昔を思い出すように、彼女は小さく笑う。
「久しぶりだな、なずな」
「……うん。久しぶり、姉さん」
俺のその言葉を聞いて、少女はまた笑う。けれどすぐに冷たい仮面を被り、射抜くような目で俺を睨む。
「して、なずなよ。もう一度、問う。どうしてお前は、ここにいる? 妾を裏切ってその女を選んだお前が、どうしてここに戻ってきた?」
「……悪いけど、言葉の意味が分からない。俺はまだ、昔のことをほとんど思い出せていないんだ。だから、姉さ……いや、お前がどうして怒っているのか、俺には理解できない」
「記憶など、どうでもよいわ。妾が聞きたいのは、そんなことではない。……なずな。お前とて、なんの意味もなくこんな所に来たわけではないのだろう? ここがどこなのか分からないというなら、お前はここになにをしに来た?」
「…………」
少し沈黙し、考える。そして俺は、答える。
「お前を……天底災禍と神を倒す手段を、探しに来たんだよ」
「……ああ。やはりそうか。妾だけの花。万年待ち続けた妾だけの……妾に捧げられる為だけの、愛しいなずな。ようやく咲いたその花も、やはり妾を裏切るのだな」
「────」
思わず、後ずさる。それほどまでに今の少女の瞳は恐ろしく、なにより……重かった。
「……いや、お前の事情がどうであれ俺ももう止まれない。俺とお前の関係がどんなものであったとしても、俺はお前の悪夢と神を倒して黄葉を助ける」
「……そうか。……ああ、なんと嘆かわしいことだ。妾だけの花が。妾だけのなずなが。つまらぬ女に騙され、汚されてしまった」
少女が俺に手を伸ばす。けれどその手は俺をすり抜け、空を切る。
「一応、聞いておきたい。お前の意思で、天底災禍を止めることはできないのか? 黄葉を助けることはできないのか? そうすれば俺も──」
「笑わせるな。妾を裏切ったお前を助ける道理など、妾にはない」
「……そうか。なら俺は、お前の悪夢を殺す」
「はっ、できるわけがなかろう。妾には、あやつがついておる。お前たちが神の骸を使いどれだけ足掻いたとしても、本物の神には手も足も出まい。所詮お前たちの足掻きは、子供の駄々に過ぎん」
「でも俺は、お前の弱点を知っている。……いや、俺は生き残った3柱の神の弱点を知っている。それは他ならぬ、お前から聞いたことだ」
朧げな、ノイズ混じりの記憶。けれど確かに彼女は、言っていた。まるで宝物を自慢する子供のような笑みで、姉さんは俺に教えてくれたんだ。
『妾はな、■■■■が苦手なんだ。見るだけで身体が震えて、上手く動けなくなってしまう。妾の友達の神も、みんな■■■■が苦手なんだ。……でもだから妾たちは、悪者の計画から逃れられたんだ。凄いだろ?』
そんな言葉を、覚えている。……けれどその先になにがあったのか、それがどうしても思い出せない。
「……ああ、なずな。お前はそうまでして、妾を傷つけるのか。妾のことを守る約束した癖に、今度はお前が妾を傷つけるのか」
「それでも俺には、助けたい人がいるんだ」
真っ直ぐに、灰色の少女を見る。灰色の少女はそんな俺の視線を受けて、怒りと呆れがない混ぜになったような顔で言葉を返す。
「……はぁ。お前は本当に馬鹿だ。お前のその怒りや悲しみですら、白白夜の死神の手のひらの上だというのに……。なずな、もう一度言う。お前では、妾たちには決して勝てん。お前たちの想いがどれだけ強かろうが、妾たちは1000年以上、人という種を恨んでいる。ゆえ、妾たちの想いが負ける道理などない」
「例えそうだとしても、関係ない。お前がなにを言おうと、俺は黄葉を助ける」
「馬鹿者め。なにが助ける、だ。自分がそのざまで、よくそんな戯言をほざけるな。自身の欠陥と痛みに気がつくことなく、口を開けば女のことばかり。……気に食わん。自分すら救えぬ者に、他者が救えるわけなかろう」
灰色の少女はそう吐き捨て、背を向ける。
「待て。最後に1つだけ、訊いておきたいことがある」
「……なんだ? その女を捨てて、妾のところに戻りたいと言うのか?」
「いや、違う。そうじゃなくて、俺の母さんは……その、優しい人だったよな?」
場にそぐわない質問。流れを無視した、唐突な言葉。けれど母さんのことを覚えているのは、もう俺とこの神しかいない。だからどうしても、訊いておきたかった。
病弱だったけど、とても優しかった母さん。その記憶が確かなものだと、誰かに証明して欲しかった。
「…………」
俺の言葉を聞いた灰色の少女は、厚い雲に覆われた空を睨む。そしてそのまましばらく沈黙してから、囁くような小さな声で言った。
「妾は、あやつほど残酷な女を知らん」
「……そうか。やっぱり、そうなんだな」
頭が痛む。誰かの言葉が、心に直接響く。
『なずな。明けない冬が、お前の魔法だ』
……けれど今は、そんなことどうでもいい。
「ありがとう、姉さん。でも俺は、止まらない。姉さんを殺すことになったとしても、俺は絶対に黄葉を助ける」
「……そうか。ならもう、なにも言うまい。……けれど、なずな。妾は、待っておるからな? 今でもずっとお前が帰ってくるのを、妾は待ち続けているからな?」
そんな言葉を残して、灰色の少女の姿が消える。
「なずな? どうしてたのよ、ぼーっとして。もしかしてまた、頭が痛むの?」
そして止まっていた時間が動き出したように、柊 赤音が俺の方に駆け寄る。
「……いや、なんでもない。それよりそろそろ、帰ろうぜ?」
「いいの? もう少し調べればなにか──」
「いや、大丈夫。もう大体、分かったから。だから早く、帰ろう。……こんな所に、花なんて咲くわけがないんだから」
「あ、ちょっと……!」
少し強引に柊 赤音の手を引いて、逃げるようにこの場から立ち去る。
「…………」
1番知りたかった神の弱点は、もう分かった。……いや、俺はそれを初めから知っていた。まるで運命のようにこの場所に来て、それを思い出すことができた。
……なら今は、余計なことを考えるべきではない。
「ねえ、なずな」
柊 赤音が心配するように、俺を見る。
「……なに?」
「あのね、このまえ緑からようやく渡してもらったの。あんたからの、プレゼント。だからさ、全部終わったら使ってもいいわよね? あれ」
「ああ。……楽しみだな」
「うん」
柊 赤音の手を強く握る。そうしている間は、余計なことを考えずに済んだ。
そうして今日はあっという間に過ぎ去って、残りあと5日。薄らとだが、光明が見え始めた。
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