第57話 負けない!
「なずくん! 久しぶりに一緒に、ゲームしようよ!」
朝ご飯を食べ終わり、リビングのソファで一息ついていた頃。紫恵美姉さんはどこか甘えるような顔でそう言って、強引に俺の腕を引いて自室に引き込む。
「さ、 なずくんはボクの隣……じゃない。ボクの後ろに座って。それで背中からボクを、ぎゅって抱きしめるの。ほら、早く」
紫恵美姉さんは座布団の上にペタンと座って、期待するようにこちらを見上げる。
「いきなりだな。……別にいいけど。でもその格好だと、俺はゲームできなくないか?」
「できるよ。ちょっとやり辛いかもしれないけど、ボクのゾンビなずくんにならそれくらいできる! だから、早く!」
いつよりわがままな紫恵美姉さんに押し切られ、俺は諦めて座布団を引き寄せる。そして言われた通り、紫恵美姉さんの背中を抱きしめる。
「ああ、幸せだなぁ。なずくんはゾンビだけどあったかいから、気持ちいい。……それにいい匂いするし」
「俺からすれば、紫恵美姉さんの方がずっといい匂いがすると思うけどな」
「そう? 気になるなら、嗅いでもいいよ? なんなら、揉んでもいいし舐めてもいい。なずくんがしたいなら、どこをどんな風にしてもいいよ。……だから今日は、ずっとそばにいてね」
紫恵美姉さんは当たり前のように笑って、そのままゲームを始める。
「……っと」
だから俺も慌ててコントロールを握るが、やっぱりこの体勢だと上手くできない。……でもまあ、対戦するゲームではなく2人で協力して戦うゲームなので、そこまで気にする必要もないだろう。
「あー、脳が溶ける。ゲームするの久しぶりだし、こうやってなずくんと2人きりになるのも久しぶりだし、最高だなぁ」
「喜んでもらえてるなら、俺も嬉しいよ」
「じゃあもっと、強く抱きしめて。なずくんのゾンビ成分を、ボクに充電して」
「なんだよ、ゾンビ成分って。そんなのねーよ」
呆れるように息を吐いて、そのまま腕に力を込める。そして少し、考える。
今日も雨が、降っている。見ているだけで憂鬱になるような暗い空から、涙のような雨が街を濡らす。こんな雨の中、外に出る気は起きない。でももう6日しかないのだから、このまま楽しくゲームしているだけでは、ダメだろう。
「……なぁ、紫恵美姉さん」
「なに? あ、そっちアイテムあるよ。ボクはいいから、なずくんがとって」
「分かった。……じゃなくて。聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
「おっぱい揉みたいなら、好きなだけ揉んでもいいよ。なずくんの為に、さっき密かにブラジャー外しておいたから」
「いや、なんの話だよ」
思わず紫恵美姉さんの胸元に、視線がいく。……Tシャツの隙間から大きな谷間が見えて、心臓がドクンと跳ねる。
「いや今はおっぱいより、天底災禍と神の話だ。……紫恵美姉さんはさ、どうすればあれに勝てると思う?」
「……なずくん」
「なに?」
「肩に力、入り過ぎ」
紫恵美姉さんは身体から熱を抜くように息を吐いて、そのまま俺にもたれかかる。……すると、温かで柔らかな感触が伝わってきて、少し安心する。
「黄葉のこともあるからさ、気持ちがはやるのは分かるよ? でも休む時にはちゃんと休まないと、いざって時に力でないよ? おっぱい揉む?」
「……ありがとう、紫恵美姉さん。でも、おっぱいは揉まない」
「ま、今ゲーム中だしね。あとの方がゆっくり揉めて、お得だよね」
「なんだよ、それ」
マイペースな紫恵美姉さんを見ていると、やっぱり肩から力が抜ける。だからしばらく、目の前のゲームに没頭する。
「ゲームではさ、強敵にぶつかった時の対処方が3つあるんだよ」
中ボスらしき敵との戦いが始まったところで、紫恵美姉さんはそう口を開く。
「3つって?」
「レベル上げ。装備の見直し。そして、情報収集。ゲームで勝てない敵にぶつかった時は、その3つのことを見直さないといけない」
そう喋りながら、紫恵美姉さんはあっという間に中ボスを倒す。
「レベル上げ、ね。……もしかしてみんなの魔法って、修行すれば強くなったりするのか?」
「……微妙なところだね。なずくんも知ってると思うけど、ボクらの魔法の源は心なんだよ。だから心が安定すればするほど、力も強くなる。けど、心を鍛えるなんて無理でしょ?」
「それはまあ、そうだな」
心に寄り添って傷を癒すことはできても、心そのものを強くする方法なんて、俺は知らない。
「魔法そのものを、上手く使うコツみたいなものはあるんだけどね。でも基本的にボクらの魔法は、敵を倒したりしても強くはならない」
「じゃあ、装備……この腕輪は強くなったりしないのか? そういうの、お約束だろ?」
「まあね。ピンチの時に武器がピカーってなって新しい力に目覚めるのは、分かっていても燃えるよね。ボク、そういうの大好き!」
紫恵美姉さんは無邪気に、ニコッと笑う。その笑みはなんだが不意打ちで、少しドキッとしてしまう。
「……まあ確かに俺も好きだけど、この腕輪にはそういう力はないのか?」
「ないよ」
紫恵美姉さんはそう、言い切る。
「絶対に?」
「うん。腕輪をつけると、分かるんだよ。この腕輪が、どういうものなのか。どういう力を持っていて、どういう戦いを見てきたのか。だから残念だけど、そういう力はない。この腕輪は力を出し惜しむような器用な真似は、できないんだよ」
「…………」
紫恵美姉さんがそこまで言うなら、無理なのだろう。……というか、覚醒なんて不確かなものを頼りにするのは、本当に最後の最後にするべきだろう。
「じゃあ、情報……って言っても知らないか。天底災禍はともかく神のことなんて、みんな知らないって言ってたしな」
そもそも藍奈は、普通のやり方では勝てないと言った。なら今紫恵美姉さんが言ってくれたようなことでは、きっと無理なのだろう。
紫恵美姉さんの言うことは正しいが、まとも過ぎる。神を倒すには、もっとイカれたやり方を探さなければならない。
「ボク知ってるよ。神様の話」
ぴょんぴょんと敵を飛び越えながら、当たり前のように紫恵美姉さんは言う。
「……それ、ほんと? ってやばい、死んだ」
俺が操作していたキャラクターが、崖から落ちていく。……油断した。
「なずくん。復活したら、そこの宝箱あけてみなよ。強い武器、入ってるよ?」
「オッケー。……じゃなくて、本当なのか? 神の話」
「うん。……といっても、噂話なんだけどね」
紫恵美姉さんは小さく息を吐いて、言葉を続ける。
「向こうの自然公園の奥に、大っきい山があるでしょ? そこの山の頂上付近にね、草も木も生えない謎の場所があるんだよ。そしてそこにはね、100年に一度しか咲かない花が植えられているらしい」
「……言っちゃ悪いが、なんか嘘くさい話だな」
「うん、だよね。実際、随分前に黄葉に調査してもらったけど、なんの異常もなかったしね」
「わざわざ調査したんだな……。いや、というかその話のどこに、神が関係してるんだ?」
100年に一度しか咲かない花というのは、嘘くさくはあるが少し気になる。でもその話のどこに、神が絡んでいるのだろう?
「その花はね、この世のものとは思えないほど綺麗らしいんだ。だからわざわざ神様が、その花を見にこの世界にやってくるらしい」
「……神も惹かれるほど、美しい花ってことか。それなら俺も、見てみたいな」
「だよね。そんなのが本当にあるなら、ボクも引きこもりを辞めて見に行くよ」
「ってことは、紫恵美姉さんは100年に一度しか家から出ないのか」
「あははっ、そうだね」
紫恵美姉さんは、笑う。俺もつられて、笑ってしまう。やっぱり紫恵美姉さんとの時間は、凄く楽しい。
「…………」
……でも結局なにも、光明は見えない。紫恵美姉さんの話は面白かったが、現状を打破するようなものではなかった。……いや、ここで手をこまねいているくらいなら、一度その花を見に行ってもいいかもしれない。
だってこの街には、本当に神がいるのだから。
「……む。言っとくけど、なずくん。今日は離してあげないからね? 今日はボクのなずくん抱き枕として、一緒に寝るって決めてるんだから」
「でも……」
「でもとかないの! ……ボクだって寂しいんだから、今日くらい……そばにいてよ」
紫恵美姉さんはコントローラを置いて、こちらを見る。……その瞳は、揺れていた。空から降る暗い雨が伝播したように、紫恵美姉さんの瞳が薄らと滲む。
「……ごめん、そうだよな。黄葉のこともあるんだし、そんなに簡単にいつも通りとはいかないよな」
「うん。それにこんな雨の中出かけても、危ないだけだよ。だから今日は、一緒にいよ? ……ううん。一緒にいてください。……お願い」
紫恵美姉さんはそう言って、甘えるようにこちらにしなだれかかってくる。
「分かった。今日はずっと、そばにいる。……約束だ」
紫恵美姉さんの柔らかな身体を、抱きしめる。紫恵美姉さんはなんていうか……ぎゅっとすると安心する柔らかさで、抱きしめると身体から力が抜ける。
「……黄葉、助けられるよね? ボク凄く頑張るから、きっと大丈夫だよね?」
「ああ。絶対に黄葉は、助けてみせる。……どんな手段を使っても、俺が絶対に助ける」
「うん。……なずくんがいてくれてよかった。こんなに頼りになるゾンビ弟は、他にいないよ。もう絶対に、離さない。……絶対に……」
紫恵美姉さんは腕に力を込める。だから俺も紫恵美姉さんを、ぎゅっと強く抱きしめる。
背後から響くゲームのBGMを聴きながら、しばらくそうやってお互いの体温を感じ続けた。
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