第42話 やるよ。
冷たい冷たい夜の中。大切な誰かが、闇に飲み込まれて消えていく。そんなどうしようもない光景を、赤音はただ眺めていた。
──行かないで!
そう叫ぶが、声が出ない。どれだけ力を入れても、手も足も動いてくれない。だから赤音はどうすることもできず、地獄のような光景をただただ眺め続ける。
「嫌だ! 黄葉……!」
そんな自分の叫びで、目を覚ました。
「……夢、なわけないわよね」
大きく息を吐き、立ち上がる。いつの間にか眠ってしまっていたのか、窓の外はもうすっかり明るくなっていた。
昨日、なんの前触れもなく天底災禍が現れた。その力は想像よりずっと強く、溢れ出す悪夢をせき止めるだけで精一杯だった。
「…………」
けれどそんな中、黄葉だけが自由に飛び回れた。彼女は悪夢の波をせき止めながら夜を駆け、本調子ではない橙華を助けてみせた。それは今の赤音にも……青波にすらできなかったことで、赤音は心から黄葉を尊敬した。
「……でも、それで自分が死んだら意味ないじゃない。……バカ」
溢れそうになった涙を歯を噛み締めて我慢し、スマホを持って部屋を出る。
赤音は、知っていた。
一度同じ絶望を味わったことがある赤音は、その先にある希望を誰より深く理解していた。
「夜の魔法を使えば、死者を蘇らせることができる」
赤音たちが普段使っている魔法とは別の魔法。『夜の魔法』と呼ばれるそれ使えば、人の死をなかったことにすることができる。事実、赤音は真白と契約し夜の魔法を使うことで、なずなの死をなかったことにした。
「……出ない」
だからまた真白にお願いしようと、昨日から何度も何度も電話をかけているけど、どうしてか一向に繋がらない。
「ほんと、なにしてるのよ。あの人……」
最も壊すべき悪夢、天底災禍が姿を現した。なのに真白は、帰ってこない。無論、真白が頑張って働いてくれているから、こうして大きな家に住めて3食美味しいものを食べられる。赤音もそれは、理解している。
けれどそんなの、家族の命には変えられない。
黄葉が……死んだ。なのに真白は、電話にも出ない。自分たちがこんなに必死に戦っているのに、なにも言ってはくれない。
「それとも或いは、母さんの方でもなにかあったのか……」
理由はなんにせよ、電話は繋がらない。一応メッセージを送っておいたが、きっと返事は返ってこないだろう。
「……ならやっぱり、私が頑張らないと」
夜の魔法がどういったものなのか、赤音もそれをよく知らない。いくつか制約がある代わりに、普通の魔法より強い力を発揮できる。赤音が知っているのは、それだけ。真白はそれ以上、なにも話してはくれなかった。
「ないものねだりをしても、しょうがない。……きっと今日の『夜』にも、天底災禍は現れる。なら今のうちに、対策を考えておかないと……」
……しかし現状、打つ手がなかった。夜の魔法に頼らないのであれば、今の赤音たちではどうしたってあれには勝てない。
「私はまだ、戦える。でもみんなは……」
赤音には、夜の魔法という希望がある。赤音だけは、まだ黄葉を連れ戻せるかもしれないという望みがある。……けれど真白との契約で、夜の魔法のことをみんなに伝えることはできない。
だからみんなは、黄葉を失った痛みを抱えたまま戦わなければならない。……特に橙華は、きっとまだ立ち直れてはいないだろう。
「……お腹減ったな」
嫌な想像を打ち払うようにそう言って、冷蔵庫を開ける。するとそこには、美味しそうなおにぎりと味噌汁が入れられていた。
「橙華姉さん……いや、それにしてはちょっと形が不恰好ね。……あ」
そこでふと、思い出す。そういえば昨日『夜』から帰って来た時、なずながなにか声をかけてくれていたと。
「……これ、あいつが作ってくれたんだ。……ほんと、可愛いやつよね」
冷めた味噌汁を温めながら、おにぎりを頬張る。
「うん。美味しい」
それだけで、頑張ろうって思える。それだけで、まだまだ戦えるってそう思える。
「……またみんなで一緒に、ご飯食べたいな。もちろん、黄葉も一緒に。……いや、そうじゃないとダメだ」
天底災禍への対抗策は、依然として浮かばない。……けれど、心さえ折れなければ戦うことはできる。戦うことができるなら、絶対に倒す方法がある筈だ。
「私は絶対に、負けない」
おにぎりと味噌汁を、綺麗に完食する。これなら今日も、戦える。
「…………」
……でもできればこのまま、なずなに会いに行きたい。思い切り弱音をぶちまけて、また彼に抱きしめて欲しい。なにも言わなくていいから、ただ側にいて欲しい。
「ダメね」
けれど今なずなに会うと、きっと気持ちを抑えられない。この溢れんばかりの愛情を、なずなに知られてしまう。そうなれば夜の魔法が解けて、なずなは元の冷たい死体に戻ってしまう。
……そう。赤音は依然として、夜の魔法に縛られている。でも今だけは、それが有難かった。だって今彼に甘えてしまうと、きっともう戦えなくなってしまうから。
「ごちそうさま、なずな」
だからその一言で弱気な自分を追い払い、自室に向かって歩き出す。……けれど、その途中。黄葉の部屋の前で立ち止まり、無理な笑みを浮かべて言う。
「待っててね、黄葉。なにがあっても、絶対に私が貴女を連れ戻してみせるから」
……赤音はまだ、知らない。夜の魔法が、どれほど恐ろしい魔法なのか。赤音はまだ、知らない。覚悟を決めて前に進もうとしているのは、自分だけではないということを。
そうしてまた、『夜』がやってくる。
◇
そして、同日の夜。『夜』が始まる少し前の時間。みんなで集まって、今日の方針を話していた。
「今日はみんな、戦う必要はないよ」
けれど遅れてやって来た橙華が開口一番にそう言って、みな驚きに目を見開く。
「ちょっ、なに言ってるのよ橙華姉さん! 戦うなって、まさか橙華姉さん──」
「大丈夫だよ、赤音」
動揺した様子の赤音を、青波がそう嗜める。そして彼女はそのままなにもかもを見透かしたような瞳で、真っ直ぐに橙華を見る。
「橙華。貴女が……貴女となずながなにを考えているのか、私には分からない。けど、なずなが私の誘いを断ったってことは、それよりもっといいアイディアがあるってことなんでしょ?」
「うん。あたしとなずなくんで、天底災禍を壊す」
見たことがないくらい、真っ直ぐで強い意志を感じさせる橙華の瞳。……みな、橙華はまだ昨日のことで自分を責め続けていると思っていたから、どうしても驚きを隠せない。
「……なずくんと橙華姉さんで、なにをするって言うの? まさか、ボクたちの代わりになずくんを戦わせるとか、そんなことは言わないよね?」
「ちが……いや、あながち違うこともないのか」
その言葉を聞いて、緑と赤音と紫恵美は射抜くような目で橙華を睨む。……けれど橙華は、揺らがない。
「みんながどう思おうと、あたしたちはもう決めたの。だからみんなは、天底災禍を抑えるだけでいい。その間にあたしとなずなくんが、あの悪夢を壊する」
「……なずなは? あいつは今、どこにいるの?」
橙華のあまりに真っ直ぐな瞳が逆に不安で、赤音は心配するようにそう言う。
「彼は今、眠ってる。昨日の夜から、あたしの魔法で辛い悪夢を見続けている」
「────」
その言葉を聞いて、青波以外の少女たちの瞳から色が抜ける。けれど橙華は気にせず、言葉を続ける。
「彼の悪夢……あの蜘蛛の悪夢を操って、あたしが天底災禍を壊す。それは、なずなくんの意志でもあるの。だからみんながなにを言っても、彼もあたしも止まらない。……黄葉ちゃんの仇は、あたしたちが討つ」
橙華は言いたいことだけ言って、そのまま『夜』へと向かって歩き出す。
「ま、待って!」
だから赤音は、その背を引き止めようとする。……けど、青波がそれを制止する。
「無駄だよ、赤音。2人はもう、覚悟を決めてる。だから今は、2人を信じてあげようよ」
「でもあいつ、また悪夢を……」
「そんな顔しなくても、大丈夫だよ。なずなの心は悪夢くらいじゃ折れないし、橙華ももう心配ない。……それにみんなだって、2人の気持ちが分からないわけじゃないでしょ?」
諭すような青波の言葉に、皆なにも言えなくなってしまう。
「さ、私たちも行こうか。そろそろ『夜』が始まる」
軽く笑って、青波もゆっくりと歩き出す。
「……時間さえ稼いでくれるなら、たとえ2人が失敗しても私が天底災禍を破壊する」
……最後にそう、小さく呟いて。
そうしてここから、長い『夜』が始まった。
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