第39話 ごめん。
「さて、始めるか」
エプロンをつけてキッチンに立ち、まずは手始めにお湯を沸かすところから始める。
今日は約束通り、黄葉と一緒に寝るとみんなに言った。そのことに、紫恵美姉さんだけはぶつくさ文句を言っていたけど、他のみんなはどこか安心したように笑ってくれた。
『じゃあ師匠は、わたしの部屋でわたしの帰りを待っててくれ。すぐに終わらせて帰ってくるから、一緒にアニメみような!』
黄葉はそう言って、『夜』へと出かけた。だから俺は言われた通り黄葉の部屋で帰りを待っていたのだけれど、どうにも落ち着かない。
だからこの空いた時間でみんなに夜食でも作っておこうと考え、台所に向かった。
「みんな疲れて帰ってくるだろうし、喜んでくれるよな」
冷蔵庫を開け、中を確認する。食材は色々あるけど、それを使いこなせるほど俺に料理の腕はない。
「それにみんな女の子だし、あんまり重いのは嫌がるよな……」
なら前に橙華さんに教わった、味噌汁とおにぎりでも作っておこう。そう決めて、さっそく準備に取り掛かる。
「これからは毎晩、なにか作っておこうかな」
そうすれば少しでも、みんなの力になれるかもしれない。
「……っと、そうだ。黄葉のは大きめにしておいてやろう。どうせあいつ、腹すかして帰ってくるだろうしな」
そんな風にしばらく料理を作って、みんなを待つ。その時間は今まで感じたことがないくらい温かで、とても幸せだった。
「よしっ。できた」
そしてちょうど、料理が完成した頃。玄関の方から物音が聴こえてくる。
「お、帰ってきた」
だから俺は手早く手を洗い、早足にみんなを出迎えに行く。
「みんな、おかえ──」
「どいて!」
けれど俺が言葉を言い切る前に、橙華さんが俺を押しのけ自室の方に向かっていく。
「……なんだよ」
嫌な予感に、どくんと心臓が跳ねる。足元から這い寄る夜の闇が絡みついて、上手く足が動かない。……そんな錯覚を覚えるくらい、橙華さんはとても悲痛な表情をしていた。
それこそまるで、大切な誰かを失ってしまったような表情を。
「あ、緑姉さん!」
ちょうど目の前を通ろうとした緑姉さんに、そう声をかける。……けれど緑姉さんの目にも生気がなく、俺の声を無視して自室の方に歩いて行く。
「なんなんだよ、ほんと……」
胸が痛い。心が痛い。どうしてか意味もなく泣きそうになって、ぎゅっ手を握りしめる。
「あ、そうだ。夜食、作ったんだ。みんな疲れてるのかもしれないけど、ちょっとだけ──」
「なずな」
そこでふと、青波さんの声が響く。辺りを見渡すと、橙華さんや緑姉さんだけじゃなく、紫恵美姉さんや柊 赤音。それに、黄葉の姿もなかった。
「なずな。君に、話さなければならないことがある。だから……行こうか」
青波さんは優しく俺の手を引いて、リビングに向かう。……そこにはさっき俺が作った味噌汁の香りが漂っていて、どうしてか酷く胸が痛む。
「……これ、なずなが作ってくれたの?」
「……はい。みんな、お腹すいてるだろうと思って」
「そっか、ありがとう。なずなは本当に、優しい子だね。……でも、ごめん。今日はそれどころじゃないんだ」
青波さんは真っ直ぐに、俺を見る。その瞳はいつもと同じように透き通っているけど、今日は少しだけ……赤くなっていた。
「なにか、あったんですか?」
だから俺は意を決して、そう尋ねる。すると青波さんは色の抜けた瞳で、小さく言葉を返す。
「今夜、天底災禍が現れたんだ」
「……! 確か天底災禍って、神の悪夢とかいう凄いやつですよね?」
「うん。そう」
「……そうか。だからみんな、あんな疲れた顔してたんですね。……でもそれって、こんな早く出てくるものなんですか?」
「いいや。普通は、あり得ない。天底災禍は、『夜』が最も深まった時に現れる存在だ。それはずっと昔から、変わらない筈のことだ」
青波さんは苦虫でも噛み潰したような顔で、そう吐き捨てる。
「まあでも、みんな無事だったんですよね? ならそれで──」
「……違う」
青波さんは囁くようにそう言って、窓の外に視線を向ける。今日の夜空は薄い雲に覆われていて、星は見えない。だからまるで暗い闇がどこまでも広がっているような、そんな錯覚を覚える。
「…………」
青波さんはそんな夜空を恨むような瞳で睨みながら、その言葉を口にした。
「黄葉が、天底災禍に飲み込まれた」
「…………え?」
胸が痛む。心臓に穴でもあいたように、身体に力が入らない。
「飲み込まれたって、それはどういう意味ですか? 黄葉は……無事なんですよね?」
「……基本的に悪夢に飲み込まれたら、もう2度と戻ってこれない。……それが天底災禍なら、なおのこと」
「じゃあ、黄葉はもう……」
「……うん。あの子はもう2度と、こっちには戻って来れない」
「────」
足元が崩れていくような感覚に耐えきれず、テーブルに手を置く。どういうことだ? なんで……え? どうして……意味が、分からない。
黄葉が、戻ってこれない?
それはつまり、どういうことだ? ついさっきまで笑ってたあいつと、もう会えないってことなのか? あの太陽なような笑顔を、もう2度と見れないってことなのか?
「青波さん。あの藍色の腕輪を、俺にください」
「…………」
青波さんは、答えない。
「今から俺が、あいつを助けに行きます。だからお願いします! なんでもしますから、あれを俺にください!」
「……ごめん、なずな」
「どうして謝る! 黄葉は悪夢に飲まれただけで、死んだわけじゃないんでしょ? なら早く助けに行ってやらないと、あいつ1人で──」
「ごめん。ごめんね、なずな」
そこで青波さんが、俺を抱きしめる。そしてごめんごめんと、何度も何度も謝り続ける。いつだって余裕そうに笑っていた青波さんが、まるで子供のように俺の胸に縋る。
「青波さん」
「…………」
青波さんは答えない。けれど構わず、言葉を続ける。
「本当にもう、黄葉には会えないんですか? 本当に本当に、もう黄葉には……」
「……ごめん」
「な、なんなんだよ、それ! どうして黄葉が! ……約束、してたんだ! これからいっぱい、遊ぼうって……! 今日もこれから一緒にアニメみようって、約束してたんだ! なのに……なのになんで……!」
声が震える。涙が止まらない。胸が痛くて、手が震える。どうしてか今日の楽しかったデートのことを思い出して、胃の中のものが逆流する。
「私のせいだ。私が油断してたから、黄葉が……。でも、だからこそ私は……やり遂げなきゃいけない」
自分に言い聞かせるようにそう言って、青波さんはゆっくりと俺から手を離す。
「なずな。落ち着いたら、私の部屋に来て。これからのことで、話さなければならないことがある。……このままだとみんな、戦えない。このままだと明日の『夜』には、みんなまとめてあれに飲み込まれて消えることになる。だから……お願い。待ってるから」
そんな言葉を最後に、青波さんもこの場から立ち去る。だから静かなリビングには、俺1人取り残される。
「…………」
誰も手をつけなかったおにぎりと、味噌汁の香りが漂ってくる。それが無性に腹が立って、血が出るくらい強く手を握りしめる。
『ありがとう。やっぱ師匠、大好き!』
そんな黄葉の言葉が、何度も何度も頭の中で響き渡る。
「……黄葉。なんで、黄葉……。くそっ!」
その場にうずくまり、涙を流し続ける。無力な自分が、悔しかった。無理にでもあの腕輪を受け取っておけばよかったと、そう何度も後悔する。
そしてなにより、もう黄葉に会えないなんてそんなこと信じたくなかった。
だから俺は、涙を流す。それ以外にもう、できることはなにもなかった。
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