第38話 ごめんな。



 ひいらぎ 青波あおはは、ずっと違和感を覚えていた。



 なずなと黄葉がデートをした、同時の『夜』。少女たちは今日も、『夜』に蔓延る悪夢を壊して回っていた。


「……今日はやけに静かね」


 そう呟き、大きなカエルのような悪夢を一睨みで消し飛ばし、青波は小さく息を吐く。


「次は、向こうね」


 夜の闇を駆けながら、青波は少し考える。……いや、彼女は幼い時からずっと、1つの違和感を覚えていた。


 『夜』に湧き出る悪夢には、全てその悪夢を見ていた持ち主が存在する。その悪夢を神と呼ばれる存在が飲み込み、一度咀嚼してから吐き出す。そしてそれが持ち主に戻ってしまうと、その悪夢が現実になる。


 『夜』とはその悪夢が大挙して押し寄せる期間のことであり、青波たち魔法少女の役目はその悪夢が持ち主に帰る前に破壊すること。……ここまでは、いい。


 けれど神の悪夢と言われる、天底災禍。それだけは他と、意味が違う。だって天底災禍は、



 なのにそれを、当の神自身が喰らうのだろうか?



 そしてそれがまた神自身に戻ることで、その悪夢が現実となり世界が滅びる。


「やっぱりそれは、気持ち悪い」


 それはまるで、一度食べた食事を戻してもう一度食べるような、そんな気持ち悪さを感じてしまう。故に青波は、そこに強い違和感を覚えていた。


 それにそもそも神は、どうして人の悪夢を喰らうのだろう? どうしてそれを、持ち主に返すのだろう? そしてどうして自身の悪夢で、世界を滅ぼそうとするのだろうか。



 なにも分からず、なにかが食い違っているような気がして、青波はずっと気持ちが悪かった。だから青波は、それを母親である真白に尋ねた。どうして神は、人の悪夢を食べるの? と。それに真白は、こう答えた。



『私も知らないよ、そんなこと』



 ……なにか大切なことを、見落としている気がした。そもそもこの『夜』は、本来もう終わっている筈のものだ。今の『夜』は、幼かった少女たちが撃ち漏らした悪夢の再演。だからなにか異常が起こっても、おかしくはない。


「いや、異常はもう起こってるのか」


 灰宮 なずな。彼の存在は、既に異常と言ってもいいレベルに達している。姉妹6人で立ち向かっても手も足も出なかった、蜘蛛の悪夢。そんな悪夢を産んでしまう彼の想像力は、常軌を逸している。彼の辛い過去を加味したとしても、それは異常だ。


「……いや、よそう。あんまり悪いことばかり考えても、仕方ない」


 なずなの頑張りで、黄葉もようやく調子を取り戻した。……いや、黄葉も赤音と同じように、以前よりずっと強い魔法を行使できるようになっている。


「……だからあとは、橙華。あの子さえ本調子に戻ってくれれば、いくら天底災禍と言えど、どうにか──」


 

 そこで不意に、パリンとなにかが割れるような音が響いた。



「……え?」


 夜を駆けていた青波は、まるで悪夢でも見るかのような表情で、唖然と空を見上げる。



 いつもと同じ筈の、『夜』の空。普段の夜より幾分か暗いその空に、が入った。そしてそこから、どす黒い闇が溢れ出す。



「あり得ない! 早過ぎる!」


 まるでバケツいっぱいの水に墨汁を垂らしたように、暗い闇がゆっくりと広がっていく。夜の闇が、より暗い闇に飲み込まれていく。



 それこそが、天底災禍。



 形のない闇がまるで濁流のように、夜を染め上げ少女たちに迫る。


「舐めるな!」


 青波はすぐに思考を切り替え、全力で魔法を行使する。他の少女たちも各々、天底災禍へ対抗する為の魔法を使い、闇の流れをせき止める。


 幸い『夜』が始まってから、もうかなり時間が経っている。だからあと数分持ちこたえれば、とりあえず今日の『夜』を超えることができる。


「…………」


 だから青波は、イメージする。広がる闇が全て消え去る、最高の光景を。夜が明けて日が昇る、いつも光景を。いつだって冷静な青波は、こんな異常な状況でも普段以上の魔法で天底災禍に抗う。


 姉妹たちは事前に、みなが得意とする魔法とは別に天底災禍に対抗する為だけの魔法を教わっていた。


 夜の闇をせき止め、それを消し飛ばす魔法。みな無我夢中でそれを使い、なんとか天底災禍を押し留める。


「……いや、不味い。橙華!」


 けれど橙華だけは天底災禍を止めきれず、今にも闇に飲まれてしまいそうになっている。


「……っ。あ、あたしだって!」


 そう叫び、橙華は必死に魔法を使う。……しかしどう見ても、あと数分も保ちはしない。だから青波は辺りの闇を吹き飛ばし、無理やり橙華の方に駆け寄ろうとする。


「……っ。邪魔するな!」


 ……が、橙華の位置は、青波のいる場所から離れ過ぎていた。だから流石の青波でも、助けに行くことができない。



 ……でも、声が響いた。



「頑張れ! 橙華ねぇ! すぐにわたしが駆けつける! だから頑張れ!」



 夜の闇を蹴り飛ばし、黄葉が宙を舞う。その速度と力は青波ですら目を見張る程で、あっという間に橙華のそばにたどり着く。


「ご、ごめん。あたし、上手く力が入らなくて……」


「気にすんな、橙華ねぇ。それよりあと少し、あと少しで『夜』も明ける。だからそれまで、ファイトだ!」


「う、うん。ありがとう、黄葉ちゃん!」


 そんな黄葉の援護もあって、橙華もなんとか持ちこたえる。そしてそれからみんなそれぞれ奮闘して、ようやく『夜』の終わりがやってきた。


 世界を飲み込まんと広がり続けた深い闇が、ゆっくりと溶けて消えていく。


「やっと、終わったぁ……」


 その様子を見て、橙華の肩から力が抜ける。


「違う! まだだ、橙華ねぇ!」


 消えたと思った天底災禍は、最後の悪あがきだと言うように、狙いすまして橙華を襲う。まだ暗い夜空から、大きな口のような闇が凄いスピードで橙華に迫る。


「……え?」


 完全に油断していた橙華は、それを防ぐことができない。だからそのまま、為す術なく深い闇に飲まれて消える。……そう橙華が諦めた直後、橙華の身体は宙を舞った。


「おりゃあああああ! 橙華ねぇを、いじめるな!」


 黄葉が、橙華を突き飛ばした。だから橙華はそのまま尻餅をつき、なんとか闇に飲み込まれずに済む。……けれど代わりに、黄葉が闇に飲まれてしまう。


「黄葉ちゃん! 黄葉ちゃん……!」


 そんな黄葉の姿を見て、橙華やみんなが急いで魔法を発動する。けれどもう、間に合わない。いつか赤音が飲み込まれた時と同じように、もうダメだと黄葉は誰より自覚していた。



「……師匠に、謝っといてくれ。約束守れなくて、ごめんって」



 黄葉は最後に笑って、そう言った。



 そうして天底災禍は、黄葉を飲み込んで消えた。そして今度こそ『夜』も終わり、普段通りの夜が辺りに広がる。……けれど赤音の時のように、奇跡は起こらない。黄葉はもう、戻ってこない。



 悪夢に飲まれたら、もう二度と戻ってこれない。



 それはここにいるみなが、誰より深く理解していることだった。



「…………黄葉ちゃん? ねぇ、黄葉ちゃん! 答えてよ! 黄葉ちゃん! 黄葉ちゃん……!」



 そんな橙華の言葉が、夜の闇に響き渡る。けれどいくら待っても、答えが返ってくることはなかった。


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