第35話 わたしだけ……。



 ひいらぎ 黄葉こうはは、後悔していた。



 可愛い服を着て、なずなと並んで街を歩く。そんな時間は思った以上に楽しくて、『動きにくい服も偶には悪くないかな』なんて思ったりもした。


 けれど映画館に入って映画を見始めた辺りから、黄葉は少し後悔していた。



 こんな映画、観なければよかったと。


 

 その映画は、主人公の女の子が先輩に一目惚れするところから始まる。地味で自分に自信がない女の子が、恋をして変わっていく。そんな、どこにでもあるような物語。


 けれど主人公の心境の変化がとても丁寧に描かれていて、黄葉は少しずつその映画に熱中していった。


「…………」


 ……でも、その主人公の心境が、今の自分とあまりに一致していた。だから気づけば黄葉は、映画を忘れて自身の想いと向き合っていた。



 愛や恋なんてものはまだまだ自分には関係ないものだと、ずっとそう思っていた。



 それこそそれは映画やドラマみたいな画面の向こうの話で、自分には全く関係ないこと。そういうのはもっと大人になってからだと、そうしていた。


 けれどそんな想いも、なずなが家に来てから少しずつ崩れていった。緑や赤音は、まるで画面の向こうのヒロインのような顔をするようになった。……赤音はずっとなずなに強くあたっていたけど、それでもそれはなんだと黄葉はとっくに気がついていた。


 だって黄葉は、見てしまった。赤音が無理やりなずなを追い出した、あの日。大きなリュックサックを抱きしめて、声を殺して泣く赤音の姿を。


 ふと周りを見渡すと、みんな大人になっていた。自分だけが子供のまま、同じ場所をぐるぐると走り続ける。



『貴女は、いつまで経っても子供ね』



 いつかクラスの女子に、そんなことを言われた。その時は別に気にならなかったけど、時間が経つ度にチクチクと胸が痛む。早く変わらなきゃって、そんな焦燥感にかられる。


 なにか大切なものに、ヒビが入った。けれどそれがなんなのか考える暇もなく、『夜』が始まってしまった。黄葉たちが使う魔法の源は、心だ。心を強く保たないと、あの時のように魔法が使えなくなってしまう。



 だから心に、蓋をした。



 余計なことを、考えないように。自分が自分で、いられるように。黄葉は心に、重い蓋を乗せた。……けれどなずなが家に帰って来て、その蓋が少しずつズレていく。考えちゃいけないことを、どうしても考えてしまう。



 だからこのデートで、はっきりさせないといけなかった。そうじゃないと、またあの時と同じ失敗をしてしまう。



「…………」


 そんなことをダラダラと考えていると、いつの間にか映画は終わっていた。ちらりと見た最後は、大人になった主人公と初恋の人が抱きしめ合って終わり。



 主人公の女の子は、変わってしまった。だから黄葉はまた1人、取り残される。



「なあ、師匠」


 隣に座る、なずなの手を握る。


「なに?」


 なずなは特に驚くことなく、黄葉を見る。


「どうやったら、みんなみたいな大人になれるんだ?」


 なんの脈絡もない、唐突な問い。それを聞いて、なずなは少しだけ目を瞑り考える。そして軽く息を吐いて、こう言った。


「少し、歩こうか」


 そのままなずな立ち上がり、黄葉の手を引いて映画館から出る。日はまだ高く、デートはまだまだ終わらない。……けれど黄葉の心には、暗い影が差していた。


「……いや、こんなんじゃダメだ。ごめん、師匠。デートの時にする話じゃなかった。だからやっぱり──」


「黄葉はさ、あの映画おもしろいと思った?」


 黄葉の言葉を遮って、なずなは真っ直ぐに黄葉を見る。その瞳はとても真剣で、だから黄葉も余計な言葉を飲み込んで、真面目に言葉を返す。


「……最初は凄く、面白かった。あの主人公の子、わたしに似てたから。……でも途中からぼーっとしちゃって、よく見てなかった。……ごめん」


「いいよ。俺も途中からは、あんまり面白いと思わなかったし。……特に最後。あれは多分、映画オリジナルの展開なんだろうけど、あれはダメだよな」


 なずなは呆れるように、笑う。……けれど、その辺りの展開をよく見ていなかった黄葉には、なずながなにに呆れているのか分からない。


「主人公の女の子がさ、変な奴らに絡まれるんだよ」


 そんな黄葉の心境を見透かしたように、なずなは言葉を続ける。


「特に因縁があったわけでもないし、伏線があったわけでもない。なのに絡まれて、そこで高校生のころ好きだった男がヒロインを助けてくれる。そしてそこからまた、2人の恋が始まる。みたいな終わり方」


「……それのなにが、ダメなんだ?」


「なにも解決してないんだよ。ヒロインが抱えていた孤独感や、疎外感。彼女はそれがなんなのか気がつくことなく、ただ恋をしてそれを忘れた」


「師匠は、難しいこと言うな。……でもわたしには、分かんないよ。それのなにが、ダメなのか。……ううん。そもそもわたしには、恋とか愛とかが分からない」


「俺だって分かんないよ、そんなの。……でも、黄葉が思ってるほど大したもんじゃないと思うよ。恋も愛も、そして……大人も」


「…………」


 それは違うと、黄葉は思った。そもそもそういう言葉を言えるだけで、黄葉となずなは違う。なずなが当たり前だと思っていることが、黄葉にはもう理解できないことだった。


 そんな黄葉の心境を知ってか知らずか、なずなは黄葉の手をぎゅっと握って言う。


「転んだ時に見えるのは、今自分が歩いてる道なんだよ。転んで初めて、自分が誰なのか気がつく。物語の起承転結の転は、そういう役目なんだと俺は思う。そして多分、それは現実も同じだ」


 なずな遠い目で、空を見上げる。その横顔がとても大人びて見えて、黄葉の心臓がどくんと跳ねる。


「例えば、ここで黄葉が変な奴に絡まれたとする。それで俺がそいつらから、黄葉を助ける。……まあ黄葉は俺より強いから、その必要はないだろうけど」


「相手が1000人までなら、助けは要らないな。わたし、強いし」


 冗談めかして、黄葉は笑う。


「じゃまあ2000人の悪漢から、俺が黄葉を助けたとする。でもそれじゃあ、黄葉が抱えてる問題はなにも解決しないだろ? ……もしかしたら黄葉は俺に惚れてくれるかもしれないし、それで痛みを忘れられるのかもしれない。でもそれじゃ、なにも解決していない」


「……でも恋をしたら、人は変わる。わたしには分かんないけど、みんな凄くキラキラしてる」


「それが、羨ましい?」


「……うん」


「本当に?」


「…………分かんない。……いや、わたしはただ、寂しいんだ……」


 クラスの女子が、オシャレや恋の話をしている。姉妹のみんなも、お化粧をして香水をつけてどんどん大人になっていく。そんなみんなが羨ましくて、今日のデートで真似をしてみた。



 するとやっぱり、ドキドキした。



 みんなみたいな大人になれたんだって、そう勘違いしてしまうくらい。


「…………」


 ……けど、やっぱり自分とみんなは違う。だって自分は、思ってしまう。こうやって街を歩くより、2人で石を投げていた方が楽しかったって。


「黄葉が今、なにを悩んでいるのか。たぶん俺は、それを分かってやれない。……でも黄葉は、向き合ってるんだと思うよ。自分が歩いて来た道と。だから好きなだけ、悩めばいいんだよ」


「……師匠は、優しいな。でもわたしは、魔法少女だ。わたしは今日も、戦わなきゃいけない。だから本当は、こんなことで悩んでる暇なんてないんだ」


 だからこの胸の痛みの原因を知って、決着をつけなければならなかった。どうしたって逃げられないなら、向き合って正面から叩き壊すのが黄葉のやり方だ。


「…………」


 でも、本当は……。


「よしっ、着いた」


 そこでなずなはそう言って、とある建物の前で足を止める。


「……ボウリング場? 師匠、ボウリングしたいの?」


「ああ。勝負しようぜ? 黄葉。勝った方が負けた方に、なんでも命令できる。口で言っても分からないだろうから、身体に直接教えてやるよ。お前がすげーつまんないことで、悩んでるってな」



 そうしてここから、なずなの作戦が始まった。


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