第14話 夢を見ていた。
鬱蒼と生い茂る、林の中。その中心に隠すように作られた、誰も近寄らない小さな広場。そこは、幼い頃の赤音の唯一の逃げ場所だった。
嫌なことがあると、その場所で空を見上げた。辛いことがあると、その場所で涙を流した。
その小さな広場は、赤音だけの小さな秘密基地だった。
……でもその日は、先客の姿があった。誰も来るはずがない冬の深夜の林の中に、薄暗い目をした少年が佇んでいた。彼はポツンと置かれたベンチに腰掛けて、真っ直ぐに夜空を見上げていた。
「……どうして、泣いてるの?」
その少年は、涙なんて流してはいなかった。けれどどうしてか、赤音の口からはそんな言葉が溢れた。
「泣いてなんかいないよ」
「ううん、泣いてる。私には分かるの。……だって私も、同じだから」
「…………」
少年が、赤音を見る。赤音もまた、少年を見た。少年は、まるで夜の闇を固めて作った人形のように、冷たく暗く……なにより美しかった。
「ここはね、私の秘密基地なんだ。ここでなら1人になれるし、なにをしても誰にも怒られない。……だから、ここでなら泣いてもいいんだよ?」
「……そう、なんだ」
赤音の言葉を聞いて、少年は一度目を瞑った。けれど彼は、泣かなかった。……まるで涙の流し方を忘れてしまったかのように、彼の瞳は乾いたままだった。
「…………」
この少年は、自分と同じだと赤音は思った。彼もきっと自分と同じで、どこにも居場所がない。涙の流し方を忘れるくらい、辛い孤独の中を生きている。
だから赤音は、言った。
「私はね、いつでもここにいる。だからいつでも、会いに来ていいよ」
交わした言葉は少なく、想いが通じ合ったわけでもない。けれどその日からその場所は、赤音と少年……2人の逃げ場所になった。
「また、来たんだ?」
「そっちこそ、いつもいるな」
「だってここは、私の秘密基地だもん」
「そうだったな」
「それより、お菓子あるよ? 食べる?」
「……食べる」
初めは、手を伸ばしても届かないような距離で、黙って空を見上げ続けた。けれど時間が経つ度に、2人の距離は縮まっていった。だって2人は、同じだったから。冷たい孤独と、理不尽な怒り。そんな地獄を生きてきた2人の瞳は、同じように暗く染まっていた。
……いや、違う。赤音は、気がついていた。この少年は、自分なんかとは比べものにならないくらい、辛い生活を送っていると。日に日に増えていくアザに、全てを諦めたような瞳。それを見れば、彼がどんな地獄を生きているかなんて、簡単に想像がついた。
「一緒に、逃げよう」
だから赤音は、そう言った。
子供2人で逃げたって、現実はなにも変わらない。そんなに簡単に解決するなら、彼はきっと独りで逃げていただろう。そう分かっていながら、気づけば赤音はそんな言葉を口にしていた。
「どこに逃げても、同じだよ。この世界に、楽園なんてないんだから」
「同じじゃないよ! 私は……私は貴方と一緒なら、嫌なことを忘れられる。だからきっと、2人なら大丈夫だよ!」
「……君って、俺のこと好きなの?」
「……! そ、そうだって言ったら悪い?」
「ううん、悪くない。……すごく嬉しい、ありがとう」
その時はじめて、少年が笑ってくれた。少年はどこにでもいる子供のように、とても無邪気に顔をほころばす。
「……!」
その笑みを見た瞬間、赤音の身体に電流が走った。心臓は壊れるくらい強く高鳴り、身体中の血液が熱くなる。
この人の為なら、死んでもいい。
赤音は本気で、そう思った。
そしてそれから2人は、約束した。1週間後、逃げる為の準備を済ませてこの場所で落ち合おうと。
赤音は大きなリュックサックがパンパンになるほど、色んなものを詰め込んだ。貯めていた貯金箱に、好きなお菓子。お気に入りのぬいぐるみや、宝物のキーホルダー。
そうやって大切なものをリュックに詰めているだけで、泣きたくなるくらい幸せだった。
そして、1週間後。大きなリュックを背負って、赤音はいつもの場所にやって来た。
「…………」
けれど、夜の闇が朝日に覆われるような時間になっても、少年がやって来ることはなかった。翌日も、その次も、1年経っても少年はやって来なかった。
きっと本気だったのは、自分だけなのだろう。
そう思うと、胸が痛んだ。寂しくて。辛くて。悲しくて。なにより……恥ずかしくて。赤音の胸は、いつまでもいつまでも痛み続けた。
そうして、赤音の初恋は終わりを告げた。
……そうなる、筈だった。1年後、まだ彼を待ち続けていた赤音のところに、1人の女性がやって来た。その女性は、まるで太陽のように晴れやかな笑みを浮かべて、赤音に向かってこう言った。
「健気で可愛い、そこの少女。私と1つ、契約をしないかい? そうすれば、君の大好きな彼に会わせてあげるよ」
赤音は迷わず、その女性の手を取った。そうして赤音は、とある役目を担うとこで、もう一度その少年と出会うことができた。
……死んでしまった筈の、その少年と。
◇
「……どうして今になって、あんな夢を見るのよ」
そう呟き、赤音はゆっくりとベッドから身体を起こす。体調が悪いわけでもないのに、身体がとても重かった。
「また、雨か」
暗く染まった空を見上げて、大きく息を吐く。そしてそのまま、腕につけられた赤いブレスレットに視線を向ける。
「そろそろ、か」
そう呟き、気怠さを振り払うよう立ち上がる。
なずなを追い出してから、あっという間に3日間の時が流れた。そのあいだ緑とは、一度も口をきいていない。それに、ゲームのイベントを終わらせて部屋から出て来た紫恵美とも一悶着あり、今でもその2人とは冷戦が続いている。
そして、橙華と黄葉。その2人も、どこか元気がない様子だった。なずなが柊の家にいたのは、たったの10日前後だ。それなのにみんな、大切ななにかを失ってしまったように、笑わなくなってしまった。
「馬鹿みたい」
その言葉は、ただの誤魔化しだった。けれど赤音には、そう言わなければならない理由があった。柊六姉妹に課せられた役目と、秘密。それ以外にも、赤音にはなずなを拒絶しなければならない理由がある。
「……関係ない」
部屋を出て、会話のない食事を済ませて、諸々の準備を終わらせる。少し前まではうんざりするくらい騒がしかったのに、今では静かな生活が当たり前になっていた。
「……行ってきます」
誰ともなしにそう呟いて、家を出る。ふと見上げた空はまだ雲に覆われているが、雨は止んでいた。だから赤音は傘を持たず、早足に学校へと向かう。
「なんで、いるのよ」
逃げるように早足で歩き続けた赤音は、1人の男の後ろ姿を見つけてしまう。
灰宮 なずな。
彼は気怠そうにゆっくりと、学校に向かって歩いていた。
「…………」
赤音はあれから、なずなとは一度も話していない。橙華や黄葉もまた、味方になってやれなかった気まずさからか、なずなには会いに行っていないようだった。
そして紫恵美は、とある事情で家から出られない。だから緑だけが、いつもなずなの側にいた。今日は日直の仕事があるから早めに家を出てしまったが、緑は休み時間の度になずなに会いに行っているようだった。
「……あの子。お姉ちゃんに、憧れてたっけ」
緑は末っ子ということもあり、姉という存在に強い憧れを抱いていた。だからきっと、初めてできた弟という存在を誰より大切に思ってしまうのだろう。
「……最悪」
そこで唐突に、雨が降り出した。さっきまで降っていた雨とは比べものにならないくらい強い雨が、突き刺さすように赤音の身体に降り注ぐ。
いつもなら、こういうことにならないよう橙華や緑が傘を渡してくれた。けど今日は、誰も傘を渡してはくれなかった。だから赤音は、逃げるように近くにあった神社の軒下に駆け込む。
「……あ」
そして前を歩いていたなずなもまた、同じ場所に駆け込んでいた。
「……偶然だな」
気まずそうに、なずなは言った。
「…………そうね」
赤音は短く、それだけの言葉を返す。
そんな2人を閉じ込めるように、激しい雨が硬いアスファルトを濡らし続けた。
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