第13話 さよなら。
俺の部屋からパンツが見つかってから、数時間後。俺は自室で、粛々と荷物をまとめていた。
「……こんなもんか」
30分程度で片付いた荷物を見て、軽く息を吐く。来た時から荷物は増えていないから、出て行く準備はすぐに済んだ。
「呆気ないよな」
上手くいっていると、思っていた。今回は大丈夫なんじゃないかって、そんな風に期待していた。でもそれはやっぱり勘違いで、現実は明けない冬だった。
あれから柊 赤音と緑姉さんは、殴ってしまうんじゃないかってくらいの剣幕で、言い合いをした。黄葉も橙華さんも当事者である俺ですら、そんな2人に口出しすることはできなかった。
でも事実として、俺の部屋から柊 赤音のパンツが見つかった。無論、俺はパンツなんて盗んでいない。けどどうやら、柊 赤音の自作自演というわけでもないらしい。
俺は今までの経験から、人の嘘には敏感だ。だからなんとなくではあるが、彼女の言葉が嘘ではないと分かった。でもじゃあ誰が置いたんだ? と言われれば、それは俺にも分からない。
ただ事実として、俺の部屋から柊 赤音のパンツが見つかった。俺がなにを言っても、その事実は決して変わらない。だから俺は、言った。
『分かった。俺はもう、出て行くよ』
緑姉さんは、そんな俺を本気で止めてくれた。けど、こんな風に喧嘩されてまでこの場所に残りたいとは、どうしても思えなかった。だから俺は緑姉さんにお礼を言って、この家から出て行くことにした。
「さて、行くか」
そう呟いて、立ち上がる。もうこれ以上、ここに残る理由もない。
「なずな。入りますよ」
でも、まるで見計ったようなタイミングで、緑姉さんが姿を現す。
「……もう、片付けてしまったのですね」
部屋を見渡した緑姉さんは、悲しそうに息を吐く。
「まあな。元から荷物は少ないから、すぐに終わったよ」
「もしかして、こうなることが分かっていたから……少ない荷物しか、持って来なかったんですか?」
「いや、違うよ。……言ってなかったっけ? 俺はずっと前に両親が死んで、親戚中をたらい回しにされてきたんだよ。だから荷物なんて、元からほとんどないんだよ」
「……辛くは、ないんですか?」
「慣れてるから、大丈夫」
謂れのない罪を押しつけられて、家から追い出される。そんなことはこれまで、何度もあった。だから今さら、怒りも湧いてこない。
「……やっぱり、行っちゃダメです。私、もう一度赤音姉さんの所に行ってきます」
「気持ちは嬉しいけど、今さら行っても意味ねーよ。赤音さんのパンツが俺の部屋から見つかったのは、事実なんだから」
「私はそれが、嘘だって言ってるんです! だってなずなは、優しい子です! パンツなんて、盗むわけありません!」
緑姉さんは、本気で怒ってくれている。実の姉の言葉より、俺のことを信じてくれている。緑姉さんがそこまで俺を想ってくれる理由は分からないけど、その気持ちは素直に嬉しい。
「でも残念だったな、緑姉さん。実は俺、パンツに目がない変態だったのさ」
「じゃあ、私のパンツをあげます」
「……え?」
「パンツでもブラでも……私の、身体でも。なずなが欲しいと言うなら、全部全部あげます。だから、行かないで……!」
緑姉さんは、泣いていた。まるで世界が終わってしまったような表情で、大粒の涙をこぼす。
「……ごめん。軽率だった」
「ダメです。許しません」
震える声でそう言って、緑姉さんは俺の身体を抱きしめる。
「大丈夫だよ、緑姉さん。俺にもちゃんと、帰る家があるから。それに実は、お金にも……余裕があるんだよ」
それは、嘘ではなかった。つい先ほど、唐突にやって来た柊 赤音がとある約束と引き換えに、目玉が飛び出るほどの金額が入った通帳を渡してくれた。
『それだけあれば、しばらくは困らないでしょ』
泣きそうな顔で、そう言って。
「そういう問題じゃ、ないんです。私はなずなと、離れたくない。せっかく……せっかくお姉ちゃんになれたのに、こんな別れ方なんて……嫌です」
「でも別に、今生の別れってわけでもない。学校も同じなんだし、いつでも会えるよ」
「でも……でも……!」
「ありがとな、緑姉さん。でも俺は、大丈夫。だから……泣かないで」
緑姉さんの背中に回した腕に、力を込める。緑姉さんもそんな俺に応えるように、ぎゅっと強く俺の身体を抱きしめる。
「……決めました。私もなずなに、ついて行きます。もう……もう赤音姉さんとは、一緒にはいられません」
「いや、なに言ってんだよ。ダメに決まってるだろ? そんなの」
「どうしてですか? 私、なんでも頑張りますよ?」
「いや、そう言われても……あの家死ぬほど狭いし、ボロボロで、しかも山の中にあるんだぜ? 女の子を住まわせていい場所じゃない」
「そんなの、なずなと一緒なら気になりません」
緑姉さんは綺麗な翡翠色の瞳で、真っ直ぐに俺を見る。……どうやら、本気で言っているようだ。
「でもダメだ。……そもそも、赤音さんが誰の為にあそこまで必死になっているのか。それが分からない、緑姉さんじゃないだろ?」
「それ、は……」
「詳しくは訊かないけど、みんなには人には言えないような秘密がある。そしてそれは、俺が家にいると不都合になるようなことだ。だから赤音さんは、自分が嫌われ役になってでも俺を追い出すことにした。……中々、できることじゃないよ」
柊 赤音のやり方は、正直言って気に入らない。でも彼女はきっと、自分が間違っていると自覚している。自覚した上で、わざわざ嫌われ役を買って出た。
そんな彼女を、俺はどうしても……否定できない。
「……なずなは、優しすぎます」
「俺なんかより、緑姉さんの方がずっと優しいよ。……ここまで優しくしてもらったのなんて、産まれて初めだ」
でもだからこそ、こんなに優しい人にあんな辛そうな顔はして欲しくない。だから俺は、もう出て行くと決めた。
「あ、忘れてた。緑姉さん、ちょっと手を離してもらってもいいか?」
「嫌です」
「……いや、嫌って言われても困るんだけど……」
困ったような俺の顔を見て、緑姉さんは小さく笑う。その笑顔を見ると、少しだけ安心する。
「なずな。さっきみたいに、また私の胸に甘えてください。そしたら、手を離してあげます」
「いや、いいけど……なんで?」
「なずなが、言ったんじゃないですか。またして欲しいって」
「……そういや、そうだったな」
軽く笑って、言われた通り緑姉さんの胸に顔を埋める。
「…………」
緑姉さんは橙華さんや紫恵美姉さんほどじゃないけど、胸が大きい。だからこうやって顔を埋めると、少し緊張してしまう。
「なずな」
「……なに?」
「本当に1人で、大丈夫ですか?」
「ああ。今までずっと、1人だったしな」
「……辛くなったり、苦しくなったりしたら、いつでも私を頼ってください。私はいつでも、なずなの味方ですから」
「…………ありがとう」
しばらくそうやって、緑姉さんの胸に甘え続ける。緑姉さんは、温かくて柔らかくて……なにより優しい。気を抜いたら、惚れてしまいそうになるくらい。
「もう、大丈夫だよ」
でもだからこそ俺は、そう言って緑姉さんから距離を取る。そして、なにかを誤魔化すように息を吐いてから、用意していたプレゼントを鞄から取り出す。
「これ、渡しとくよ」
「これ……」
「ラッピングしてあるけど、中身は分かるだろ? それ、赤音さんに渡しておいてくれないか? 俺からのプレゼントだって言わなくていいから、上手く使って仲直りしてくれ」
「……いいんですか? なずなはそれで、本当にいいんですか?」
「ああ。何度も言うけど、俺は大丈夫。だからそっちも、さっさと仲直りしろよ?」
「……なずなは、優し過ぎます」
緑姉さんは、また俺に抱きついて泣いてしまう。
「優しくなんかないよ。俺はただ……狡いだけだ」
「そんなことないです! なずなは……なずなは私の、自慢の弟です!」
その言葉だけで、俺はもう満足だった。……いや、これ以上緑姉さんと話していると、覚悟が鈍ってしまいそうになる。だから俺は緑姉さんの頭を優しく撫でてから、ゆっくりと手を離す。
「さて、あんまり遅くなると電車がなくなっちゃうから、俺はもう行くよ。……紫恵美姉さんやみんなにも、よろしく言っといてくれ」
「……本当に、行っちゃうんですか?」
「ああ。これ以上、迷惑かけるわけにもいかないしな」
「……私は、私はいつでも待ってますからね?」
「うん、分かった。ありがとな、緑姉さん」
そうして俺は、家を出た。
「……行くか」
ふと見上げた空は厚い雲に覆われていて、吹きつける風は真冬のように冷たい。けれど俺は、気にすることなく前へと進む。
「結局一度も、ただいまって言えなかったな」
どうしてか最後に、そんな言葉を口をついた。
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