第12話 ……。
全て、上手くいっている。そんな風に、勘違いしていた。
「あー、疲れた」
すっかり暗くなった夜空の下を、軽く伸びをしながら歩く。
緑姉さんと買い物に出かけてから、5日間の時が流れた。そのあいだ俺は、日雇いのバイトに精を出していた。
柊 赤音に、認めてもらう。
それは、絶対に無理なことだと思っていた。けど緑姉さんのお陰で、あの柊 赤音にも喜んでもらえそうなプレゼントを、見つけることができた。……が、肝心かなめのプレゼントを買う金がなかった。
いやまあ、それくらいの金なら残った両親の遺産を使えばどうにかなる。けど、それはなんというか……違う気がした。だから俺はこの5日間、せっせとバイトしてお金を貯めた。
それで今日、ようやくそのプレゼントを買うことができた。
「もうあんまり猶予もないし、喜んでくれるといいんだけどなぁ」
紫恵美姉さんと黄葉と緑姉さん。その3人は、きっと俺のことを認めてくれている。そして橙華さんも、大丈夫だと思う。
最近は、ただお世話になりっぱなしというのも気がひけるので、橙華さんの料理の手伝いをしている。……まあ、橙華さんからすれば邪魔なだけかもしれないけど、それでも橙華さんは凄く喜んでくれた。
だから残るは、柊 赤音と未だに一度も家に帰って来ない青波さん。その2人と仲良くなることができれば、俺も晴れて柊家の一員になることができる。
「……認められたいって、思うようになってるな」
みんなに認めてもらうのは、あの家に残る為の手段でしかなかった筈だ。でもいつの間にか俺は、みんなに認められて……彼女たちの家族の一員になりたいと、そう思うようになっていた。
「人生は、明けない冬だ」
それは、ついこの間までお世話になっていた『先生』の口癖。俺が知る限り誰より悲観主義だったあの人は、なにかある度にその言葉を口にしていた。そしていつの間にか、その口癖が俺にもうつっていた。
……でもここ最近は、その言葉なんて嘘だというように暖かな日々が続いていた。だからもしかしたら、長らく続いた俺の冬も明けたんじゃないかって、そんな風に思ってしまう。
「お、着いた」
ダラダラと考え事をしながら歩き続けて、ようやく家に辿り着く。
「プレゼント、上手くいきますように」
覚悟を決めるように息を吐いて、玄関の扉を開ける。そしてそのまま柊 赤音の部屋を訪ねようとして、ふと声が響いた。
「──灰宮 なずな! あんた、私のパンツ盗んだでしょ!」
彼女たち姉妹には、なにか普通じゃない秘密がある。俺はそのことに、気がついていた筈だ。なのにここでの生活があまりに楽しくて、気を抜いてしまっていた。
だから、こんなことになってしまったのだろう。
「…………」
俺なんかより、ずっと覚悟が決まった柊 赤音の真っ直ぐな瞳を見て、俺はそれを強く自覚した。
◇
「ついて来なさい!」
柊 赤音は叫ぶようにそう言って、俺の腕を引っ張って俺の部屋の扉を開ける。するとそこには、橙華さんと黄葉、それに緑姉さんの姿があった。
「みんな、集まってるんだな。……いや、紫恵美姉さんはいないのか」
「はい。紫恵美姉さんは、イベントの最中とかで部屋に鍵をかけて引きこもっているので、ここにはいません」
俺の言葉に、緑姉さんがそう言葉を返してくれる。
「そんなの今は、関係ないわ。それよりあんた、私のパンツをどこにやったの?」
「いや、知らねーよ? パンツなんて。というかまずは、この状況を説明してくれよ。……一体、なにがあったんだ?」
「しらばっくれるんじゃないわよ! 私のパンツを盗むのなんて、あんたくらいしかいないじゃない!」
「いや、盗むわけないだろ? パンツなんか」
「嘘つくんじゃないわよ! あんた以外に、誰が盗むって言うのよ!」
柊 赤音は、射抜くような鋭い瞳で俺を睨む。
「赤音ちゃん。ダメだよ? そんな風に、勝手に決めつけちゃ。なずなくんもバイトで疲れてるんだから、まずはお夕飯にしよ? ね?」
「ダメよ。いくら橙華姉さんの頼みでも、それは聞けない。だって本当に、私のパンツがなくなったんだもん。いつもみたいに、なあなあで済ませていい問題じゃないわ!」
「でも……」
「でもじゃないの、橙華姉さん。……仕方ないことなのよ」
柊 赤音は、そこでまた俺の方に視線を向ける。
「今から、あんたの部屋を調べるわ。それでパンツが見つかれば、あんたはこの家から出て行きなさい!」
「……分かったよ、それでいいよ。俺はパンツなんて、盗んでないしな」
「そ。じゃああんたは、部屋の外で待ってなさい」
「はいはい。思う存分、調べればいいさ」
そう言って、部屋から出る。
「すみません、なずな」
一緒について来てくれた緑姉さんが、そう言って頭を下げる。
「どうして、緑姉さんが謝るんだよ」
「だって私は、なずながパンツを盗んだりするような子じゃないと知ってます。なのに、赤音姉さんを止めることができませんでした」
「……緑姉さんは、相変わらずいい人だな。でも、緑姉さんが謝ることじゃないよ」
「でも……」
「別にいいって。それより、黄葉の奴がやけに大人しく見えたけど、なにかあったのか?」
いつもの黄葉なら、こんな事件が起こればもっと騒いでいる筈だ。なのにどうしてかさっきは、一度も口を開かなかった。
「黄葉姉さんは、なんていうか……こういうエッチな話題が苦手なんです。だからきっと、友達だと思っていたなずなのことを急に異性として意識してしまって、ちょっと戸惑ってるんだと思います」
「……なるほど。子供っぽいと思ってたけど、そういうところもお子様なのか」
「はい。でも、大丈夫ですよ? 黄葉姉さんは1日経てば大抵のことは忘れるので、明日になればいつもみたいに仲良くできます」
「……そうだな」
そう呟いて、閉められた部屋の扉に視線を向ける。
「でも、もう潮時かもな……」
「なにか言いましたか? なずな」
「いや、なんでもない。……それより、赤音さんがこんな風に騒ぐことって、よくあることなのか?」
「いいえ。いつもの赤音姉さんなら、パンツがなくなったからって誰かを疑ったりしません」
「そうなのか。……でもまあ、男と一緒に住んでるとなると、そういうのも気になっちゃうよな」
「……なずな。ちょっと来てください」
緑姉さんはそこでどうしてか俺の腕を引っ張って、リビングまで移動する。
「どうしたんだよ、緑姉さん。いきなり引っ張って」
「なずなが、そんな諦めたような顔をするからです。……大丈夫ですよ? なずながパンツを盗んだりするような子じゃないって、私はちゃんと知ってますから」
緑姉さんはそう言って、俺の頭を自分の胸に押しつける。
「……どうして、抱きしめるんだよ。胸、当たってるぞ?」
「いいんです。私は、お姉ちゃんですから」
「……そっか」
関係あるのか? と思ったけど、緑姉さんの温かさが気持ちよくて、下手な反論は飲み込んでしまう。
「よしよし。なずなは、いい子ですね」
「そこまでされると、ちょっと恥ずかしいな」
「誰も見てないから、大丈夫です。だからなずなも、今は思う存分……お姉ちゃんの胸に甘えてください」
「…………」
落ち着いた言葉とは裏腹に、緑姉さんの心臓は壊れるくらい強く高鳴っている。きっと緑姉さんも、こうやって抱きしめるのは恥ずかしいのだろう。なのに彼女は、まるで俺の不安を見透かしたように優しくしてくれる。
「……ありがとう。緑姉さん」
俺はそんな緑姉さんの優しさが嬉しくて、しばらくそのまま緑姉さんに甘え続ける。
「さて、そろそろ戻りましょうか? 私、今日は赤音姉さんにガツンと言ってやります」
「別にいいよ。わざわざ、喧嘩するほどのことでもないし」
「でもなずなは、赤音姉さんの為にプレゼントを──」
「大丈夫だって。2人に喧嘩されても、困るしな。……それより、その……もし嫌じゃなかったら、またこうやって抱きしめてもらってもいいかな?」
「──! ……可愛い。やっぱりなずなは、凄く可愛いです! なずなさえよければ、いつでもしてあげます! だって私は、なずなが──」
「あった! やっぱり、あったわ!」
緑姉さんの言葉を遮るように、俺の部屋からそんな声が響く。
「……戻りましょう。なずな」
「ああ」
俺と緑姉さんは一度顔を見合わせてから、急いで部屋まで戻る。
すると蔑むような冷たい目をした柊 赤音が、手に持った赤いパンツを見せつけながら、俺を睨む。
「あんたのベッドの下から、このパンツが出てきたわ。橙華姉さんと黄葉が、その証人よ。だから、灰宮 なずな。あんたは約束通り、この家から出て行きなさい!」
そう叫ぶ柊 赤音の声があまりに冷たくて、俺はなにも言うことができなかった。
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