#15 Dearest’s Dearest
不登校とはいえ進学志望だ、家での勉強は欠かせない。自習は苦手ではないし、学校からの課題もまだあるため、大抵は一人で何とかなる。しかし、数学だけは手詰まり感が強かった。
個人指導であっても塾はまだハードルが高かったので、家庭教師に来てもらうことにした。
「
「生物系ですね。薬に関わる仕事したいって漠然とした憧れはありますけど、理数がそんなに得意ってことでもなくて」
「薬っていうと、薬剤師?」
「というよりは製薬の辺りです」
「なるほどね、その辺は薬学系じゃなくても理学とか農学でも行けるし、広めに考えていいんじゃないかな……大学のレベルはシビアだけど」
「学費的に国公立マストなんですけど、今の成績じゃ相当に厳しいですからね~」
あまり楽しい話でないものの、未来の話をすると心が明るくなった。環境さえ変われば通学もできるはず、という予感もあったのだ。
みゆき先生の指導に加え、心療内科や婦人科での処置もあって心身の不調も少しずつ改善してきた。そのおかげもあり、ほぼ授業を受けないでも中間テストはクリアできた。再試験を免れたというだけで、水準はガタ落ちだったが。
そうして、学業も再始動してきた頃。
エルシャドの二次創作ではないオリジナルだ。高校の文化祭を舞台に、疎遠になった幼馴染みの男女がお互いの特技を活かしてステージで共演する物語。文化祭、かつての私を追い詰めていた存在がモチーフのはずなのに、苦みは感じなかった。
ヒロインが恋を拒んで、一度は離れた関係の先に。再び手を差し伸べた彼女も、片想いを表現にぶつけてみせた彼も、次第に響き合っていくクラスメイトたちも。眩しくて、温かくて、それでいて嘘くさくなかった。こんな恋愛だって、こんな青春だって、きっとあると思わせてくれた。
特に、恋愛の捉え方が好きだった。単に結ばれて終わるのでなく、実らなかった後も続く絆を、それでもお互いを尊び合う姿を描いてくれたことが嬉しかった。押しつけで保たれている恋仲より、よほど美しいと思えた。
嬉しかった、のと同時に。
きっと和枝にも好きな女の子がいて、彼女とは結ばれない未来が見えていて、その先の友情を祈って物語にした、そんな裏が見えてしまった。和枝の好きな人に嫉妬を覚えてしまった。
私なんて、最初から和枝にとって部外者なのだ。彼の望みが叶うことを願う、それだけが私にできること、なのに。
こんなに美しい心の持ち主に愛されるのは、どれだけ幸せなことだろう、なんて。想像してしまった、その対象が私以外に実在することが妬ましかった。
彼がその恋を、実らないと捉えていることに。私が付け入る隙が微かにあるかもしれないことに。安堵してしまった、期待してしまった。
まだ、何もかも思い過ごしだ。彼にそんな人がいるだなんて、全部は私の思い込みだ。恋愛小説の作家のプライベートの勘ぐりなんて、読者の深読みにしたって質が悪すぎる。
私が干渉することじゃない、私はただ賞賛を贈るだけでいい、何度自らに言い聞かせても。
知りたかった。触れたかった。和枝が誰かに向ける大切な感情を理解したかった。恋になれるはずのない憧れを振り切るためには、理解して納得するしかない。
創作の背景に興味がある、という題目。私も悩んでいたから聞かせてほしい、というこじつけ。もっともらしい言い分を交えて、彼の内面を訊ねるメッセージを送った。気味悪がられてブロックされるのではとも思ったが、返ってきた文面からは楽しそうな顔が浮かんだ。
〉質問、ありがとうございます。自分の個性、やはり自分だけでは分かりにくいようで、聞いていただいたのをきっかけに自分を見つめ直すのは楽しい経験でした。
まず、少年少女の痛みの捉え方について。ありふれた話ですが、小学校時代は僕自身がいじめられていたから、というのが影響しているように思います。運動はからきしなのに勉強はできて、しかも高慢ちきな性格だったので無理もなかったかもしれませんが、帰っては母に泣きつく毎日でした。仲の良かった人も、近い境遇の子が多かったように思います。
中学からは平和な友人に恵まれたので、変な奴と思われたことはあっても、目立って攻撃を受けることはありませんでしたが。今でも、触れるくらい近くに男子がいると一瞬だけ体が緊張することがあります。女子の場合も別の意味で緊張しますが(笑)
これまでに好きだった本を思い返しても、昔の自分に近いキャラを求める癖は根付いているようです。
予想通りとはいえ、胸が痛んだ。彼が辛い経験をしていたから、だけじゃない。それを大して不幸だと捉えていないことが、余計に胸を締め付けた。数年経っても体が覚えている痛みなんて、軽いはずがない。
そして、もう一つ。
〉人への愛しさを描く原動力、について。
これはさらにベタは話ですが、実際に好きな人がいて、彼女への感情を創作にぶつけている、という側面は確かです。こちらは書いているときから自覚していました。確かめる勇気もないまま気持ちだけは育っていく、情けない話ではありますが。小説のエンジンとしては、自分でも不思議なくらいピタリとハマりました。
「……だよ、ね」
好きな人。彼女への感情。気持ちだけは育ってゆく。
それらが指すのは、私ではない誰かだ。当たり前だ。
予想通りの構図に、それでも胸はざわついてしまう。小説にアンバランスなくらい滲んでいる、狂おしいくらいの恋慕。私がそこにいないことが悔しかった、素直に応援できない自分が醜かった。
けど、彼がそれだけ愛せる人がいることは嬉しくもあった。彼が愛せる人がいる世界なら、きっとそこは美しい世界だ。背を向けるには勿体ない世界だ。
彼の望みなら報われてほしかった。私でない誰かと、それは嫌だった。
彼には幸せになってほしかった。彼と幸せになる誰かなんて、いてほしくなかった。
どんな結末が望みなのか、自分でも分からなかった、それでも。
その恋の結末を見届けたかった。成就でも、挫折でも、受容でも、拒絶でも、答えの先に彼が見いだすものを知りたかった。
もしも。君の恋が実らなかったなら。
自分と響き合える、望み合える、他の女性を求めたとしたら。
そのときは。君がどんな人間でも、私はそこに行きたい。君の隣にふさわしい大人になって、君と人生をやり直したい。
目標と呼ぶには微かすぎる、夢と呼ぶにも汚れすぎた望みを抱えながら、彼への返信を記しはじめた。
せめて、君にとっては。君の幸せを純粋に祈る私でいたい。
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