利き酒の出来る女(現代ドラマ)

「うわっ……」

 思わず、声が出てしまった。

 東京でひとり暮らしの岩飛いわとびは、女性週刊誌で誌面半分の小さなコーナーを任されていた。各地の地酒を紹介したり、日本酒を使ったオリジナルのカクテルレシピを考案するのが主な内容だ。

 今日は、コーナー一周年記念の取材に、念願の新潟を訪れていた。日本酒の生産量は全国第三位だが、七〇年代に『幻の酒』として注目され地酒ブームの火付け役となった、越乃寒梅こしのかんばいの大ファンだからだ。

 もちろん東京でも吞んだことは多々あるが、酒蔵と契約して出来たてを提供するという日本酒バーでひと口やって、出たのが冒頭の感嘆符だった。

 カウンターを挟んで正面でグラスを磨いていたマスターが、レンズ越しに目を細める。

「どんな褒め言葉より、嬉しい反応ですね」

「あっ、すみません。あんまり美味しくて」

 岩飛は、タブレットに簡潔に感想をメモしながら、開店前に取材に応じてくれたマスター、船村ふなむらに質問する。

「東京で吞むのより、とてもフルーティな感じがするんですけど……秘密は何ですか?」

「僕が謝る番ですね。すみません、企業秘密なんです」

「なるほど」

 ふたりは顔を見合わせて、朗らかに笑い合う。

 岩飛はこんな商売をやっているが、人見知りで口下手なのが悩みだった。だが趣味の話が思いがけず弾んで転がるように、取材でそのコンプレックスを感じることはない。

 それに。再びグラスに口をつけてから、岩飛はチラリと船村を盗み見る。

 三十代後半とおぼしい面差しには、年相応に小じわが刻まれ柔和だが、フレームレスのスクエア眼鏡が知的な渋みを演出している。

 ――タイプかもしれない。

 岩飛は惚れっぽい方ではないのだが、何だか鼓動が騒ぐのを感じていた。

「本場でやってみたかったんですよね。吞み比べ」

「ほう。岩飛さん、お強いんですね」

「トビって呼んでください。あだ名なんです」

「では、トビさんですか。全種類いきます?」

「もちろん!」

 越乃寒梅は、日本酒のランク、精米歩合別に六種類あるのが特徴だった。

 嫌味でない程度のうんちくと共に提供される一杯一杯を味わいながら、船村とのふたりきりの語らいは心地良く岩飛を酔わせるのだった。

    *    *    *

 『越乃寒梅』を本場でテイスティングするのは、私トビの夢でした。

 日本酒バー、その名も『KANBAI』のマスター船村さんの耳心地の良いうんちくと、これも新潟名産こだわりの柿の種が添えられた越乃寒梅は、まだ十五時だというのに深い大人の時間を味わわせてくれました。

 原料米『五百万石』の持つ特性を活かしきり、淡麗辛口の中にもそれぞれ甘みや旨みがしっかりと立って、個性が表現されています。

 新銘柄『純米吟醸 灑』で感じたのは、現代的ですっきりとした味わい。それでも越乃寒梅らしい日本酒本来の旨みはしっかりと感じ取れます。

 昔ながらの味わいを連綿と守りつつも、時代に合わせて進化を遂げている『越乃寒梅』。これからも歴史に名を残す銘酒なのだろうと、確信したテイスティングになりました。

 ――ライター:岩飛亮子

 私信。蛇足になりますが、六番目に出されたお酒が、一番最初にも出された『普通酒 白ラベル』でした。

 私を試してらっしゃるのかしら? 船村さん。うふふ。

    *    *    *

 関係者用に送られてきた発売前の週刊誌の記事を読んで、船村はすぐに岩飛の名刺を取り出した。裏面には、手書きの携帯番号。

 あの取材の日から、SNSで交流を持ってはいたが、電話するのは初めてだった。

『……もしもし?』

 受話器の向こうで、少し戸惑ったような応答がある。

「トビさん、船村です。記事、読ませて頂きました」

『ああ、はい。ありがとうございます。感想かしら? お手柔らかにお願いします』

 笑みを滲ませた岩飛だったが、船村は真剣そのものだった。緊張か興奮か、声は僅かに震えて、要領を得ない言葉が飛び出す。

「トビさん、新潟に来られますか?」

『え? いつですか? 私もお酒が美味しくて楽しかったので、是非また寄らせて頂こうと思ってました』

「ずっとです」

『え?』

「僕も楽しかったです。お酒の話も、それ以外の話も。でも僕の条件には『利き酒が出来る女性』というのがあって、この歳まで独身でした。結婚してください。トビさん」

 ひと息にまくし立ててしまってから、急に沈黙が不安になる。五秒待ち、船村は恥ずかしくなって不明瞭に絞り出した。

「あ、あの」

 その言葉を、明るい笑い声がかき消す。しばらく続いて、やがてクスクスと小さくなった。

『ただ利き酒の出来る女性なら、星の数ほど居ると思いますよ。皆さん分かっても、気を遣って言わなかったんじゃないかしら。私が無遠慮だっただけで』

 船村はホッとひと息ついて、言い募る。

「そんなところも好きなんです。本音で語り合えなきゃ、夫婦なんてやってられないんじゃないでしょうか」

『船村さん、本気ですか?』

「本気です! 新潟に、来てくれませんか?」

 季節は春。奇しくも、恋の季節だった。

 モミジが紅く染まる頃、日本酒バー『KANBAI』では、沢山のオリジナルカクテルがメニューに加わることになったという。


End.

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