ニイガタで受けた依頼(ファンタジー)
この辺りが、ツバメ温泉だな。
俺は注意深く、宿屋と土産物屋が数件並ぶ、こぢんまりとした商店街を抜けていく。腰に吊ったロングソードがどう慎重に歩いても金属音を立てるから、不意打ちに備えて耳を澄ました。
普段は温泉街として、地元のお年寄りや観光客で賑わう街道だったが、今はひとっこひとり歩いていない。
コボルトが出たと、噂が立ったからだった。コボルトは、犬の頭とひとの身体を持つモンスターで、戦闘力はそう高くないがイタズラ好きの一面があり、一般人には脅威となる存在だ。
昨夜、路銀を稼ぎながら旅を続ける俺がミョウコウ市の酒場に入ると、ツバメ温泉から逃げてきた商店主たちに、あっという間に囲まれた。
ニイガタは
温泉街から徒歩十五分、標高一一五〇メートルにある源泉かけ流しの野天風呂『カワラの湯』で、コボルトが目撃されたらしい。
遠くに脱衣所の建物が見えてきて、俺はロングソードに右手を添えた。
「バウワウ」
「バウ! キャンキャインヒン」
ん? コボルト語?
乳白色ににごった広い岩風呂に、二匹のコボルトが浸かっている。――いや、二匹? 一匹は犬頭だったが、もうひとりはブロンドだった。仲良く並んで湯に入り、世間話よろしくコボルト語で和やかにお喋りを楽しんでいる。
俺は緊張感からガックリと解放されて、警戒を解いてカワラの湯に近付いていった。
まず、耳の良いコボルトが顔を上げる。続いて、整った顔立ちの少女と目が合った。
……え? 少女? 待って待って待って、耳が長い、エルフ? エルフの美少女?
俺は興奮して――いやいや待て、それじゃ俺が変態みたいじゃないか。ごほん。混乱。そう! 混乱して、思わず声を張り上げた。
「おい、何やってんだ! コボルトは、人間に襲いかかることだってあるんだぞ!」
エルフは白い湯の中から、細い片手を上げて振る。
「大丈夫じゃ! 彼女、女の子だから!」
そういう問題じゃねぇだろ、とは思ったが、彼女がふいに立ち上がって脱衣所に向かったので、俺は絶句してしまった。肝心なところは長いブロンドに隠れて見えなかったが、エルフ特有の手足の長いスマートな肢体は、俺の鼻の血流を良くするのに十分だった。
いかん。初対面で鼻に詰め物をした状態とか、さすがに第一印象が悪過ぎる。
そう思いとどまって、俺は鉄の意思の力で鼻血を止め、赤く染まったハンカチを急いでしまった。コボルト語は分からないから、ハッハッと舌を出して温泉に浸かるコボルトと何となく目が合って、間抜けな時間が過ぎる。
三分ほどあって、脱衣所の扉が開いた。鮮やかな黄緑に染め上げられた革鎧を着た、小柄なエルフだった。
「待たせたな。ワシは、ルーヴィンショウじゃ。ルーヴと呼んでくれ」
「ああ。俺はドルフ。コボルトの討伐を依頼されてきたんだが……エルフがこんなとこで、何やってるんだ?」
ルーヴはふふんと得意げに含み笑い、ピンと人差し指を立てた。
「人間界には、『オンセン』という至高の趣味があると聞いてな! 手始めに、森の近くから攻めているのじゃ」
そう言えば、ミョウコウコウゲンの森には、ハイエルフが住んでるって伝説があったっけ。三年ほど前にもニイガタに来たことがある俺は、幾らか風の噂を知っていた。
長命で美しいが保守的な森の妖精エルフは、人間界に興味を示すもの好きがほとんど居ないため、ニホン中を旅する俺も数えるほどしか見たことがなかった。
湿ったブロンドの両側から、エルフの特徴である先の尖った長い耳が覗いている。
「彼女を討ちに来たのか? 彼女は、傷を癒やしにオンセンに浸かっているだけじゃ。危険はない」
「でも……」
「でもはない。人間は争い過ぎじゃ。無害な彼女を討つというなら、ワシが相手になるぞ」
エルフが精霊魔法を使うというのは、有名な話だった。ロングソード一本の俺では、分が悪い。
「分かった。ただ、温泉に来るのをやめて、森に戻って欲しいんだ。俺がやらなくても、また別の奴が来る」
ルーヴは、コボルト語で何往復か会話をした。
「ドルフ、薬は持っているか? 切り傷を治すために、ここに来ているそうじゃ」
それからルーヴに通訳して貰いながら、コボルトの足の傷に薬草をすり込み、包帯を巻いて手当てした。コボルトは感謝するように何度も振り返り、森の奥へと帰っていった。
「一件落着じゃの。ドルフ。せっかくだから、お前もオンセンと洒落込んでみてはどうじゃ? 気持ちがよいぞ」
そんな顛末で、俺はカワラの湯に浸かっていた。シュワシュワと泡立つ白いにごり湯が、確かにひどく心地いい。両手で湯をすくって豪快に顔を洗い目を開けると、ルーヴの笑顔が間近にあった。
「ルーヴ!? 何やってんの!?」
「ん? ここは、『コンヨク』だと書いてあったぞ。男女が一緒に入っていいという意味じゃろう?」
「ま、間違ってはいないけど!」
「何じゃ、ドルフ、色気を出しておるのか? お前のような
ルーヴが高らかに笑う。
それから俺は、何の因果かルーヴの温泉ハントに付き合わされ、混浴の度に鼻血をこらえる羽目になるのだった。
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