不帰来路花(1)
曇天の夕暮れ、崩れ落ちた石造りの建造物。廃墟を取り囲むように立つ楢に似た枯れ木の群れ。雲間から月が幽かに、その影をのぞかせている。
さきほどまでいた地下空間とは、明らかに仕組みを違える異界へとサリクスは引き込まれていた。
(原理結界か――、祭壇と贄で強度を高めているようですが……。どうやら、こちらが本命のようですね。いや、あちらにも結界遣いがいる――)
少し手間取りそうだ、とサリクスは思った。
エルラとダグマルのもとに置いてきた影猫も一〇数える間も保たずに、形成に必要な魔力を喰われた。おかげで、瞬きするくらいの間しかエルラ側の様子を窺う時間はなかった。
そして自分のいるこちらの空間はこちらで奇妙な空気感だ。空気が薄いように思えた。地面に落ちる〈影〉は身体から遠い部分から霧散し、ただの影に戻ってしまっている。薄い空気は魔力と流体が散らされているからかと、サリクスは推測した。
(おおかた、樹が力を吸っているといったところでしょうか。ですが、それよりも――)
サリクスは前方を見据えた。廃墟から男が一人、姿を現した。頭に生えた角が、彼が
サリクスは相手よりも先に問いを投げた。
「あなた、イラカシュの誘拐、行方不明事案の関係者で間違いないですか?」
「まあ、そうなるな」
「他に仲間は?」
「言うと思うか?」
「……妹さんがいるんでしょう?」
揺さぶりをかける。男の目が俄かに険しくなった。
「なぜそれを」
「ふふ、なかなか可愛い子じゃないですか。そのくせエグい力使いますね。儚い見た目とのギャップがいいです」
サリクスが楽しそうに言った。
男は、サリクスの言葉の意味を考えた。まるで離れた場所が見えているような口振りに、思い当たる事柄があった。
「なるほど。昨日、監視に反応があったのはお前の使い魔だったのか」
「さすがに気付きますか」
「しかし、たかだか三人で乗り込んでくるとは舐められたものだな」
「原理結界の使い手がいるのであれば、少人数のほうが却って勝ちが見えるというものです。まあ、そんなことは知らないで来たんですが」
サリクスは持っていた散弾銃を地面に寝かせ、両掌を開いて顔の横へ上げた。ひとまずは敵意がないことを見せて、相手の出方を窺うことにした。
エルラとダグマルの動向も気になるが、すでに使い魔は消滅してしまっているうえ、再生成もできない。あちらはあちらでどうにかしてもらうよりない。エルラとリリなら負ける相手ではないだろう。目下の問題は、こちらだ。
いま立っている場所は、空間を自己の原理で塗り潰す秘術の中。相手の領域内にいる以上、場は相手に有利な条件にある。
つまるところ、相手の正確な力量を測れていない現状では自分以外の人間の心配をしている余裕はない、ということ。場合によっては、余力を残せるかもわからない。
先日の「海の怪物」に比べれば脅威度は低いが、状況を見る限りこの男は術師への対策を固めている。厄介な相手であることは、考えるまでもない。
しばしの睨み合いののち、男が口を開いた。
「その角、〈捩れ角の吸血姫〉だな。聞いたことがある、筆記で満点を取ったのに口述術式が使えないって理由で入学できなかった術師が狩人やってるってな」
「へえ、わたしも有名人になったものですね」
サリクスは両手を上げたまま、強がりを言っているように振る舞った。自分が下だと相手に思い込ませる。
男が両手を広げて言う。
「そういう意味では俺たちは似ているかもな。学会の詩人どもに目に物見せてやろうっていう反骨心はな」
「勝手に親近感を覚えられても、こちらは迷惑なんですが」
「傷を舐め合う相手もいないものでな。少しくらいは感傷させてくれ」
サリクスは舌打ちを堪え、確かに、と同意する素振りを見せた。
「――祭壇術や巫術は、現代派が幅を利かせているいまのアカデミックな場では不利でしょうね。急激な発展で旧いものは軽視される風潮にあるという話は聞いたことがあります。それに、贄や麻薬を使うことの多い祭壇術、巫術の類は〝クリーン〟なイメージを見せたい現代派からすれば、悪しき伝統の一種と見做されてもいるでしょうし――」言いながら、腕を組む。「ですが、その反骨心とやらで、教会や狩人協会が動くような犯罪を犯すのは、誉められたことではありませんよ。あなたたち、少し目立ちすぎましたね」
「伝統を重んじるクセに都合の悪いことを隠そうとする姿勢が気に食わない。つまらない見栄のために本懐を忘れてはならない、そうは思わないか、お前も術師なら」
「どうでしょうね。手法は理解できるといえば理解できますが、だとしても結局はそれだけです」
「そうか、残念だな。術師ではみ出し者同士、同じ方向を向いて進めると思ったんだが」
「時代と立場が違えば、ゼロではなかったでしょうね」
「それこそ夢の話だ」
「……あなた、術師ではなくて物理学者にでもなっていたら、ここまで苦しむことはなかったでしょうね。それはそうと、わたしはあなたと議論がしたくてここにいるわけではないの」
つまらないわけではないけれど、と小さく零した。
そうか、と男は言い、
「しかし、惜しいな。お前の左の角だ。削ったのだろう、こういうビジネスをしているとわかるんだ」
値踏みするようにサリクスを見た。さきほどまで見せていたわずかな友好さが消えた。
「ああ、これですか。枝が多くて邪魔だったので」
「ますます惜しい。鹿型の角は人気なんだ、見栄えがいいし、旧い魔族のシンボルとして有名だからな。尊き血筋というほどでもないが、いまの時代でも鹿角の家系はそれなりに由緒があると見做される。その角を所有することは自己の正統性、あるいは強者を制圧した証として機能する」
「へえ、そうなんですか」興味なさげに返事する。「それで、わたしをどうしたいんですか?」
「話し合いで済むのであれば、それに越したことはないんだがね。お前には価値があるから、大人しく捕まってくれると助かる。ただし、あとの二人には用はないんでな、死んでもらう。場所がバレた以上は生かして返すわけにはいかないんでね」
「結界に引き込んだくらいで、よくもまあ強気になれますね。成果を褒めてほしいのなら、他をあたってください」
「そっちこそ、結界に捕らえられてよく冷静でいられるものだ」
サリクスが小さく首を傾げる。
「おそらく、家畜たちから魔力を捻出しているのでしょうけど、これ、どのくらい維持できるんですか?」
「家畜?」
「だって、虜囚たちは商品で、そして繁殖用なんでしょう? それなら家畜と同じではなくて? わざわざ自我を失うまで拷問しながら、身を整えさせてもいるのはそういうことでしょう?」くすくすと笑い、問いかける。「こんな非道なことをしておいて、情でも湧いたんですか?」
「お前はなんなんだ……」
イラカシュたちを捕らえ、商品としていた悪人側の彼もサリクスの言動には困惑が滲んだ。
「狩人です。文字通りの」淡々と告げる。「本当は魔族だけを狩りたいのですけど、そういう依頼は多くないので、今回は助かりました」
「俺たちを潰しに来たにしては態度が妙だ。さきも言ったが、うちの商品を解放しにきたわけではないのか?」
「正気を保てている者がいるのであれば、名目上保護はするつもりでしたが……」首を傾げ、顎に指を当てる。「あまり状態はよくありませんが、罪人以外の獲物にありつけることはありませんから多少のことには目を瞑りましょう」
「は? おまえはそっちが目的だったのか。魔導素材にでもするつもりか?」
「いえ、違いますよ」さらっと答えたあと、ふと思案する様子をみせる。「うーん、あなたには言ってもいいか……、食べるんです」
サリクスは暴露した。男は気付いていないが、サリクスが秘密を明かすということは、その秘密を知った相手を生かしておくつもりがないことの表明でもあった。
同時に鎌かけや揺さぶりでもある。
「どういうことだ? 食べる?」
「食べないんですか?」
「何を言っている? 食葬のことか? そんな風習はとうの昔に消えている。吸血種も吸血とはいうが、実態としては血を口にするのは一生に一度や二度の通過儀礼に残る程度でしかない。……それともお前も魔族の肉や内臓が薬になると信じているクチか? まさか美食だとか言い出さないだろうな」
「あなたの妹さんはどうなんですか?」
サリクスの問いに、男は一瞬固まった。
「……あいつは快楽のために食べているのではない。誤解しているだけだ。あいつは自分の病が治ったのは、同族の血肉を摂ったからだと信じ込んでいる。病が治ったのだから、より多く食べればもっと強くなれると思っているんだ。そう信じてしまうきっかけを作ったのは俺だから、否定できずにいるだけだ」
「優しいこと――」呟く。「ですが、他者の命を取り込むことで、自己の増強を図れるのは本当のことですよ」
「それこそ迷信だ。〈捩れ角〉のような優秀な術師が知らないはずも――」ふと思案する。「まさか……」
眼前の侵入者の本質は、そういう原理か血継術なのか、そう考えついた。妹と同じく、他者の生気を内蔵魔力に転換するような。
「勝手に納得するのは構いませんが、尚早な決めつけは判断を鈍らせますよ」
「だとしても、優勢なのはこちらだ。こちらには結界とほぼ無尽蔵の魔力がある。たとえ強力な原理術や血継術を持っていようと、この差は覆せまい。いま降伏すれば、商品ではなく取引相手として便宜を図ってやろう」
男の言うように、原理術や血継術を獲得していても、それが絶対的な効力を持つとは限らない。原理によっては戦闘では無用なこともあるし、普通の術に劣る場面すらありうる。彼のように、安定した術の行使には別の術式による補助が必要なケースも少なくない。
「ふむ、少しは魅力的に思えますが、残念ながらわたしは仕事で来ているので、あなたたちを見逃すわけにはいかないんですよ。そもそもあなたたちはお尋ね者なんですから、取引なんてしなくても奪ってしまえばいいのではなくて? それに……」提案を蹴ると、俄かに小さく顔を歪め、楽しげに告げる。サリクスの影が波立った。「あなたと、あなたの妹さんは美味しそうだから、邪魔が入る前に狩らせてくださいな」
「イカレてやがる……。ハハッ、イカレ具合なら、お前のほうがよっぽどだよ」
男も楽しげに笑い、サリクスに殺気を集中させた。視線に構わず、サリクスは散弾銃を拾い上げた。
「まあ、いい。お互い持て余しているんだ。殺し合いができる機会などそうそうないからな、とりわけ秘術を尽くしてなんてのはな。とはいえ、勝つのはこっちだがね」
「あなた、名前は?」
「――リヒャルト・フリードヴァルト」
この枯森の番人だ、と男は告げた。朽ちた城に主人が戻るのを待ち続けている忠実で哀れな墓守だとも言った。
呼応するように領域の空気が震えた。
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