花塵を踏む(2)
ノーラマリーの案内で一行は霧に閉ざされた街路を行く。教会は町の北東域にあり、西門からは多少の距離があった。
さきのノーラマリーの話通り、町の人々は虚ろな表情と緩慢な動作で生活を送っていた。傷んだ食品の並ぶ商店には客もおり、町人たち視点では日常が変わらず続いているようでもあった。
子供の手を引きながら先導するノーラマリーは、サリクスをチラチラと度々見ていたが、ふいに口を開いた。
「あなた、出身は?」
「クルツェヴィルクです、たぶん」
「やっぱり。じゃあわたしと同じね」
ノーラマリーが嬉しそうに言った。
何かサリクスに尋ねたそうな様子ではあったが、切り出した話題はよくある初対面の探り合いのような質問だった。
出身地を尋ねるのは当たり障りのない挨拶のような会話ではあるが、サリクスやノーラマリーに近い年代のイラカシュはクルツェヴィルク継承戦争の孤児や避難民の子が多く、話題としては避けられることが多かった。そうでなくとも、若い女性が狩人となると、戦災云々関係なく〝訳あり〟の場合がほとんどだった。ちょっとした日常会話でも、隠れた傷に触れてしまうことは珍しくない。
物心つく前から教会暮らしだと、感性が世間と乖離しているのだろうか、サリクスはそう思った。それを言ったら自分もそちら側になるが。
ひとしきり、お互いの身の上について当たり障りのない会話を続ける。途中でエルラについても言及されたが、「姉妹」で角があったりなかったりすることについては深く問われることもなかった。戦災に加え元貴族という偽経歴も手伝い、よくある話と捉えられいるようだった。話の流れでいつの間にかエルラは「吸血種」ということになっていた。尋ねられた際の返答用に、角を切り落とされたというショッキングな逸話を用意していたが、吸血種なるカバーもありかもしれないと、エルラは思った。
「それにしても、あなたたち、どこかで会ったことあるかしら?」
ノーラマリーが、エルラとサリクスの顔を見比べ、尋ねた。
「いえ、初対面のはずですが」
サリクスは真面目な口調で答えた。エルラも首を横に振り、問いに否と返した。
「記憶違いだったら、ごめんなさい。うーん、でも、どこかで見たような……」
どうにも納得いかない、記憶のどこかにひっかかりがあるといった様子でノーラマリーは首を傾げている。
「こんな目立つ角、そうそう誰かと間違えることはないと思いますよ。その記憶の人はこんな角でしたか?」
自虐するサリクス。自分から己の角を話題にすることは珍しい。それを知るエルラにしてみれば、その様子は少し奇妙に思えた。
ノーラマリーの言うその人は、おそらくサリクスかエルラの母親のことだろうと、サリクスは察していた。答え合わせをしてもよかったが、それはサリクスにとって差し障りのない情報開示の範疇にはなかった。
「ええ、そうよね……。エルラさんもずっと共和国にいたというし」
それっきり会話はなく、ほどなくして教会へ着いた。
白い壁に藍色の屋根、質素な外観ではあるが町の規模からすれば大きめな建物。装飾は控えめで、赤い垂れ幕や看板の目立つ大通りの華美なファサードの酒場や小劇場、カフェなどと対照になるよう意図的にデザインされた景観に見える。
教会の扉を開けるなり、ハウスマンは俄かに眉をしかめた。壁、天井、床とを見回し、歩いていく。
白い壁面に、彫刻の施された柱と梁、天井は板張りだが綺麗に磨き上げられ、随所に装飾が彫られている。奥には白色に彩色された木彫りの女神像が安置され、平時であれば左右の大窓からの光に照らされていているだろう。通路の左右に十列に並べられた木製の長椅子には、十人ほど町人が座り、祈るかのように手を合わせている。
その先客も三人はすでに息絶え、残りの者もひどく衰弱していた。大雑把な精度ではあるが温度を視ることのできるサリクスには、一瞥しただけでわかってしまった。
「ふむ、これは確かに教会だが……」
「どういうこと?」
「教会だけど教会ではないってことですよ」
サリクスが構内を見回して言った。
ハウスマンは頷いた。この教会施設に仕組まれた異物にサリクスが気付いていることを評価しているようだった。狩人の術師は戦闘偏重の傾向があるため、専門以外の領域への造詣があることは珍しいことだった。教会外の知識の助けが少しでもあれば十分だと考えていたが、想像以上の人材が来てくれたことが喜ばしく思えた。
「その通りだ。この町の教会は主教派の流れを汲んだもので、小規模ではあるが儀式術の機能を有している。祈祷、儀礼によって術の効果を享受する形態だ。祈るという簡単な動作で機能する開かれた小規模な術ではあるが、それゆえに正しい作動をさせるためには、起動要件の軽さと曖昧さに反し、複雑な定義が必要になる。そのために教会堂、特に礼拝空間には少なくとも太陽、月、火のいずれかの神を表した意匠、装飾、像などを指定された方法で置く必要がある。ここは月の神性が重要視され強く信仰されている土地であるため、月の女神像が中心に配置されている。像の大きさも異なっているのがわかるだろう」
ハウスマンは説明する。一行の中で知識に乏しいエルラと、年若いダグマルに向けた簡単な講義のようでもある。
「こうした配置は儀式の構成要素であるから、ある程度は定型化されたものになる。各地の教会施設がその規模の大小、教派を問わず、いくつかの決まった様式に当てはめられるのは、このためだ。その前提からすると、この建物には違和感がある」
「あ、本当です、先生。おかしいです」
ダグマルが声をあげた。あちこちを指差しながら、一度気付いてしまえば、異常な箇所がどんどん目に入る。それが楽しそうに。
「気付いたようだな。しかし教派違いだとしても、ここまで変質したものにはならない。祈る対象が根本から変えられている。それでいて、判別できないほど形貌は似せられている。住民たちは、変化に気付くことはなかっただろう。おそらく、ここの教役者も……。そのくらい取り繕われている」
「よくここまで凝ったことをやったな、と術師視点では思ってしまいますが」
「巧みさは認めざるを得ないが、異端や冒涜すら生温いほどの邪悪な所業だ」
「うん? 結局どういうことなの?」
エルラが尋ねた。彼らの言わんとしていることは、わからなくもないが咀嚼しきれずにいた。
「乗っ取りや寄生が行われた、ということよ」
「それが何か実害になるの?」
「教会というのは、単なる宗教施設としての意味しかないのではなく、儀式術の祭壇であり術式の一部です。それが書き換えられたということは、儀式の結果が教会の意図せぬものに変わるということになります」
「じゃあ、異変はそのせいってこと?」
「一つの要因としては、だ。結界を失ったことで、マモノや迷い海の脅威に晒されやすくなり、心の健康を保つための祈祷は、礼拝者の精神へ悪影響を与える呪詛に変わった。住人たちの異常性の原因はわかったが、根本的な問題はまだ残っている」
「誰が、何のために行ったか」
サリクスが噛みしめるように言った。
その言葉を質問と捉えたダグマルが首を傾げて答えた。
「異端派の仕業?」
「どうでしょう、彼らはもっと主張が激しいと思うわ」
ノーラマリーが苦しげに息をしながら言った。
「いずれにせよ、現時点でわかることは、この件の実行者は教会の術式への高い知識を持ち、体裁を保ったまま中身を書き換えることのできる極めて技量の高い人物、ということだ」
サリクスは像を見やった。
「そういうことです。そしてその儀式は今も続いている」
「その通りだ。当然、現状の程度で留まる術とは思えない。対処は早いほうがいい」
「まずは、この術の機能を把握する必要がありますね」
「手伝ってくれるか?」
「はい。でも、調査の結果によってはわたしたちだけでは手に負えない可能性も――、そのときは……」
「本庁まで持ち帰る余裕があればいいのだが。もし時間的猶予までも少ないとなれば、我々だけでこなさねばならないな」
「そういうのは得意だわ」
〝時間切れ〟のときは自分に任せろ、と言いたげにエルラは胸を張った。
「ほお、頼もしいな」
年長者の余裕といった態度のハウスマン。彼からすれば、この場の全員は娘のような年頃で、仕事仲間としての敬意もあるが親心に似た情が捨てきれずに滲んでいる。
サリクスはエルラを呼び、ハウスマンらから離れた。
「ちょっとエルラ――」
「調子に乗るな、でしょ、わかってるわ。でも――」
失敗しても死ぬだけ。死んだら生き返ればいい。自分の命は吹き消せないほどの重みのあるものだと知っているがゆえの軽率さ。
そして〈リリ〉という魔滅の剣。異変の原因が何かしらの術であるなら、万能鍵になる。そういった余裕がエルラにはあった。
「迂闊に動けるのは、わたしだけなのは本当でしょう?」
「柔軟に動くには、まだ経験が少なすぎます。初仕事だってこと忘れてませんよね? それに、わたしたちだけじゃないんですよ」
サリクスは声を抑えめに、エルラへ告げた。
「わかってる」ひどく真面目に頷くエルラ。「でもさ、サリュ。あの人たち本当に信用できるの?」
「キミよりはずっと」
薄く口角を上げて、サリクスは言った。その発言にエルラの背でリリが小さく「ふふ」と笑った。
「成果を挙げたいのはわかりますが、いまはまだ〝敵〟が見えてこない」
この町で起きている事の全容は、霧に包まれた町と同じように白くぼやけて像がはっきりとしない。教会の儀礼術式を改造した術で流体と魔力を集めているらしいことは現段階でも推察できた。しかし、それで何をしようとしているのかは、式を解読しなければわからない。
マモノが現れたから退治してほしいというような内容の仕事であったなら、倒してお終いで、必要があれば軽く調査する程度だ。今回の任務はそうした単純なものではない。教会との共同任務であり、お互いの所属で事後には情報の共有がされる。一定の手順をなぞって仕事を進めておくと、面倒事は少なくなる。
「いい、エルラ? キミはわたしが指示を出すまで勝手に戦ったり、町の人に手を出してはいけませんよ」
演技じみた態度で、サリクスが告げた。
エルラは何度か小さく頷き、了解の意を示した。
「もちろん、教会の方々にもです」
サリクスは人差指を口に当て囁いた。
「それって、どういう意味?」
「どっちもです」
「はぁ、サリュでしょ。あのノーラマリーとかいう子、狙ってるのは」
サリクスはエルラを睨みつけ、小さく息を吐いた。
「そりゃあね、もしかしたら~とは思いますけど。仕事中ですし、聖女隊の方ですし……」
「真面目なんだか不真面目なんだか」
言いながらエルラは、教会の面々をサッと見やった。
ハウスマンとダグマルは、構内を見回し、周囲を警戒している。エルラとサリクスも監視対象。
ノーラマリーは最前列の椅子に座り、少女の相手をしている。
『お姉ちゃん、あの子……』
リリが何か言いかけた。
エルラは口を手で覆い、小さくリリに囁く。
「あの子がどうしたの? 確かにちょっと気味悪い感じだけど」
「ええ、あの子には注意してください」サリクスはエルラに耳打ちした。「彼らも、あの子を気にかけている素振りをしながら警戒しています」
住人は男性ばかりで、女性は老人か赤子しかいなかった。少女は確認できた中でただ一人の年若い女性だった。もし、女性たちが攫われたり、捕らえられたりしているのだとしたら、彼女にも危害が及ぶ可能性がある。
そして、もう一つ、例外はそれだけで警戒すべき事柄でもあった。少女が異変の首謀者側かもしれないという疑いは簡単に捨て去ることはできない。
「ま、とにかくわかったわ。まだわたしの出番じゃないのね」
首を傾げ手を広げて、わずかに不満さが滲む顔でエルラは答えた。どのみち荒事にならなければ自分の出番はない。しかし、何事もなく事態が解決するとも思えなかった。
「では、わたしは彼と協力して術式の解読と解体を進めますので、あなたたちは異変がないか監視していてください」
「わかったわ」
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