花塵を踏む(1)

 その町は霧に沈んでいた。

 蜘蛛の巣のように絡みつく湿った重い空気。町を支配する雰囲気は陰鬱と言うよりほかはないだろう。息苦しさと大気の粘度、微かな潮の匂い、肌を撫でる細かな水滴、見通しの利かない薄暗く白んだ景色は、この場所がまるで水底のように錯覚させる。


 エルラとサリクス、リリの三人は狩人協会の斡旋で任務にあたっていた。エルラとリリにとっては初仕事になる。

 町への足には馬車を使う予定だったが、馬が途中でどれだけ鞭を入れても動かなくなり、徐々に濃くなる霧の中を一時間ほど歩くハメになった。


 御者によると、ここ何ヶ月かで町の人々の様子がおかしくなり、一〇日ほど前からは霧が出るようになったらしい。この地域でここまで霧が続くのは彼の経験では一度もなかったし、話に聞いたこともないという。もう七日近く町との往来が途絶えている。町からの便りも人もなく、町に向かった者も以降の消息が掴めていない。町の異変との関係は不明だが、人狼系統のマモノが目撃されたという情報もあった。

 そういった状況もあり、近隣の町村では不気味がり、馬車を出してくれる者はいなかった。エルラたちは、半年分の収入に相当する額とエルラの〝説得〟で、今日の馬車を用意できた。それでも途中下車することになったが。



 町の西門で、協力者もとい同業者と落ち合う予定になっていた。どこか近場の町で合流、打ち合わせをしたほうが合理的で円滑に物事が進むのでは、とサリクスは思っていた。敵を倒せればそれでいいと考えるエルラでさえも、いくらか疑問に思っているようだった。


 狩人は、よくいえば自由で成果主義な者が多い。目的達成にあたって共闘や協力をしたいなら、チームやパーティーを組むか、属するかというケースがほとんどだ。同じチームでないならば、たとえ同じ任務でも多少の協力はするが基本的には競合になる、という考えをする者が少なくとも半数はいる。サリクスの経験上でも、聞き及んだ話でもそうだった。協会という最低限の枠組みの中でさえ、そのような有様になっている。そういったある種の甘い考えでもやっていける程度には内地の「狩り」は穏やかなものだった。


 もっとも今回の同業者は協会の狩人ではない。だからこそ、相手側にも事情や流儀があるだろうが、事前の情報共有や行動計画を立てておきたかった。




 濃霧の中、ようやく門と人影が見えてくる。人数は四人だが、背丈から二人はサリクスとエルラより年下のように見受けられた。

 向こうも、サリクスとエルラに気付いたようで、二人に手を挙げて合図を送っている。


「キミたちが狩人協会の派出か?」


 四人の中、唯一の男性が尋ねた。


「ええ。サリクスと、エルラです。わたしは術専門で、彼女は見ての通り荒事専門。そちらは教会の査察官の方々かしら」


 サリクスは面々をサッと確認した。初老の男性、自分と同年代だろう有角種のイラカシュ女性、頭に大きな花飾りを着けた少女、そして十歳に届かないだろう子供。


「そうなんだが、状況は幾分複雑でね。彼女たち二人は聖女隊で、わたしは聖女隊の指揮官に相当する巡回司祭だ。この子供は我々が保護した現地住民になる」


 巡回司祭はハウスマン、花飾りを着けた赤髪の少女はダグマル、イラカシュの女性はノーラマリーとそれぞれ名乗った。全身を黒色で統一された礼装は、教会の実行部隊であることを示す戦闘服だ。一見すると装飾のない黒一色の表地には、生地と同色の糸を以って術式が刺繍されており、光の加減や角度によっては模様部分が煌めいて見える。腰に帯びた、青く焼かれた扉つきランタンと銃嚢が、物々しさを滲ませている。


 子供の身元は不明だが、保護した場所が診療所だったことと身なりがよいこと、診療所の所長には同じ年頃の娘がいることから、この子供は所長の娘と考えられるようだった。


 エルラはサリクスに、聖女隊とは何かと小声で尋ねた。それに対しサリクスは、聖女隊とは教会の処刑隊の女性部隊だと、耳打ちする。処刑隊は教会版の狩人といえる戦闘集団だとも。

 エルラは、俄かに心が騒めいた。狩人に相当する者たちが来ているのなら、獲物はいるのだと。実戦の機会がようやく来たと実感した。


「わたしとダグマルはさきほど到着したばかりで、まだ町の状態を確認できてはいない」


 その言葉にエルラはノーラマリーを見やった。疑問と疑念の混じった視線。イラカシュの聖職者は近年では珍しくないらしいが、エルラは初遭遇だった。サリクスとアザリエ以外の角有りへの警戒心も未だ色濃いというのもある。

 サリクスも、ノーラマリーの存在について疑問に思った。教会の所属であることは装束から見て取れる。ハウスマンとダグマルは汚れも皺も少ない衣装なのに対し、ノーラマリーのものは幾分かくたびれていた。おそらく彼らよりも早い段階で町の調査にあたっていた人員なのだろう。


「と、言うと?」


「それはわたしから説明するわ」


 ノーラマリーが申し出た。

 彼女は自分は町の異変の噂を聞き、調査に来た隊の一員だったと告げた。

 調査隊はノーラマリーを含めて三人の聖女と、三人の巡回修道士、二人の学士、一人の見習い修道女で構成されていた。彼女たちがこの町を尋ねたのは十二日前のことで、調査隊が調査を開始して間もなく、町は霧に閉ざされたのだという。

 到着時には、すでにほとんどの住民は異常な状態になっており、調査が難航することは想像に難くなかった。彼らに生気はなく、声をかければ返ってはくるが、弱々しく要領も得ない。どこか夢を見ているような、現実に生きていないような印象を抱いた。薬物や毒によるものと疑ったが、工場施設や水利システムに異常は見受けられず、市場や家庭に残っている食料も汚染されていなかった。町人たちも栄養失調の傾向がある以外には大きな病の気はなく、中毒だと断定できる証拠もなかった。

 証拠の有無以前に町人のほとんどが同等の症状の中毒状態というのは、完全にありえない事柄とはいえないが実際に起こったとは考えにくい事象だった。不自然な濃霧と併せ、この町のみがここ数ヶ月の間に、という点において事件性を疑うには十分な材料たり得た。

 調査の方向性としては、原因の特定と住民たちの覚醒方法の発見が優先されることになった。早い段階で、住民の異常はなんらかの術によるものだと判明したが、自分たちにはその術式の特定も解除法も発見できなかった。


 それがノーラマリーの報告だった。


「気になる点は、見て回った限りでは男の人ばかりだってことね。女性もいるにはいるけれど、みんな年配の方だったわ。それと赤ん坊」


 生死問わず、調査隊が確認できた住人は広い年代の男性に老婆、赤子と偏りのある結果だったという。事前に教会が把握している住民構成では、ここまで偏った男女比、年齢比ではなかった、と説明を続けた。


「わたしたちは人狼がいると聞いて来たのだけど。それより、他の調査隊はどこに?」


「ええ、ここからが本題」


 ノーラマリーは、こほこほと咳をし、深呼吸をした。


「ハウンド型のマモノは何体か確認して、処理したわ。けれど、問題はそんな低級のマモノ数体によって起こされたものではなかった。調査を続けるうち、一人が死んだ。その子と一緒にいた隊員は視えない敵に襲われたと言ったわ。わたしたちは不可視の敵に怯え、交戦することも対策を立てることも満足にできないまま、町を彷徨うしかなかった。そうしている間に、一人また一人と姿を消していった。終いには、みんなおかしくなって仲間を襲いだした。そのときになってようやくわたしたちは気付いた、視えない敵は嘘だったんだって。それで結局生き残っているのはわたしだけ。伝令が生きていれば彼女も」


 苦しそうにノーラマリーは言った。心情だけでなく、肉体面にも辛い部分があるような様子。ダグマルは絵に描いたような心配顔でノーラマリーを見ている。


「こういうときの連絡係って、役目を果たせないものよ」


 エルラは、呟くように言葉を投げた。サリクスはエルラを一瞥した。余計なことを言うなとでも言いたげな目。


「伝令が届いたかどうかは、どうでもいいわ。大事なのは、少ないとはいえ応援が来たということよ」


 言い終えるとノーラマリーは咳き込んだ。


「あなた、顔色がよくないですよ。発熱もあるようですし、休んだほうがいいのでは?」


 サリクスは指摘した。ノーラマリーの話の真偽は不明だが、もし事実だとすれば彼女にもよくない影響が表れる可能性は考えられる。気遣うようで、彼女を疑い、警戒している。


「任務で手一杯だったから疲れているのかも。それか、カビか埃、もしくは悪い気にでも中てられたかしら」


「確かにあまりいい空気ではありませんが、霧自体はただの霧です。変に魔力を帯びているわけでもないようですし」


 何日も霧が晴れずにいるという事象自体がすでに異常ではあるが、発生している霧そのものには異常性はなかった。もっともサリクスはおろかこの場の全員は、何日も濃霧に晒され続けた人間がどうなるかといったことは知識として持ち合わせておらず、本当に無害なのかは判定を下せない。


「どこか落ち着ける場所はないか。キミたちが使っていた拠点は?」


 ハウスマンが尋ねた。


「ああ、そうだわ。肝心なことを言い忘れていました」小さく息を吸い、呼吸を整える。「教会が一番安全と言えば安全……異変の中心らしいって点を除けばね」

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